vol.505

巣鴨プリズンと小池百合子

今回の都知事選挙について、かつて、巣鴨プリズンと呼ばれた所の官舎で育った私に、ある種のメッセージが届いたので公表しておくことにします。
東京裁判のA級戦犯とされる方が、いまの天皇誕生日に、処刑された場所が巣鴨プリズンでした。その場所は、東京都豊島区で、池袋の駅から歩ける、いまのサンシャインビルの建っているところです。十三階段の処刑場のあったところは、いま公園とされていますが、池袋の街そのものが、ガイコク化するなかで、何か大切なものを忘れたままの戦後というものを問いかけるようなエネルギーを宿しているのは、すこし霊的な能力のある人間ならわかるはずです。
東京オリンピックは、戦前にいちど開催が決定していました。その開催は戦争で消えましたが、前回の1964年のオリンピックでは、この国が高度経済成長を成功させる国民的な合意が形成されました。
今回のオリンピックは、2020年です。その時までに、日本がほんとうに覚醒できるかが問われているのですが、この視点から考えると、主要三候補といわれる方々の背負うものがあきらかになります。皇紀2600年に生まれたジャーナリストの候補は、戦後のGHQによってレールをひかれたマスメディアの利益を代弁する存在です。男性の自公推薦候補は、これもGHQによってレールをひかれた戦後の地方自治体の議会の議員グループの利益を代弁する存在です。
豊島区を選挙区とする元衆議院議員の女性候補は、その敗戦利得者たちのつくった戦後システムに風穴を開けるためにあらわれた存在のようです。
この三者の関係を考えると、ほんとうに日本国の首都たる自治体の首長を決める今回の選挙で、2020年までのこの国の気分というか方向性が決まってしまうことがわかります。いま進行中のことについて精神界は、情報を開示しますが、それを参考にして、決定するのは、ひとりひとりの日本国民であるということです。
天皇制を含めて、ひとりひとりの国民が、この日本をどうするのかという、究極の民主主義がいま達成されつつあるという歴史の動きのなかで、今回の都知事選挙は、マスメディアやその他のメディアが報じているような、左右の対立や知名度による人気投票といったネガティブな選択ではないといえます。
7月31日の投票に向けて、さまざまな情報操作がこれからも行われていくでしょうが、日本全体の意識の場が、これまでもくり返しお伝えしてきたように、これまでのような戦後の支配システム下での羊のように洗脳されたところから次のステージに上昇しています。このステージの上昇、または移動にまったく気がついていないのが、団塊の世代なのですが、この戦後に物質万能主義の教育を受けて、死んだら終わりと信じ込んでいる人間グループに、これから死に向き合う時間が訪れることになります。この人間のたましいのあり方が問われる時代に、自分たちの死に方の責任がとれないものたちが、子供たちやその先に未来の子供たちのことを考えて、地方自治という政治の責任を担うことは、常識的に考えてもしてはならないことのはずなのです。
A級戦犯の代表ともいえる東條英機元首相は、64才でこの世を去りましたが、不思議なことに今回の主要三候補のうちの二人は、64才です。
現在の日本の姿、とくに豊島区の姿が、あの戦争の結果であるとするなら、大東亜戦争と名づけられた戦いの目的とされた東亜諸国民の融和とはまったく別のものになっているということに、そろそろ、多くの日本人が気づかねばならないのです。
過去は、精神的なエネルギーの場で消え去ることはありません。そして、人為的に作り変えた過去から生まれるのは、本来あるべき正しい時空の扉とは別の物語です。私は、精神界の伝達として、明治維新に間違いがあったから、1945年の敗戦に到る道が開かれてしまったのだということをお伝えし続けています。この次元の扉、または時空の扉というものは、誰でも、ちょっとした連想ゲームをしてみればわかるはずです。あの時、別な選択をしていたら、いまとは違う人生の時間が経過したはずということを考えたことは、誰にでもあることでしょう。その選択のなかには、実は選挙のようなものも含まれると考えてみてください。
未来を決めるのは、そうしたひとりひとりの意志なのです。都民の方には、今回の選挙で、東京だけではなく日本の未来にも責任が生まれるという自覚が必要なのかもしれません。

2016年7月21日 積哲夫 記

この光文書に合わせて通信が届いているようですので、掲出しておきます。

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2016.7.20(水)15:05~

みちびけるものに
共に 試練を
越えられるものには
授けられる
その覚悟を
自らの物語を 否定する者達に
その資格は 与えられない
負うた荷に 見合うだけの 資質を
人は 与えられ
だが それを 育むのは
自分自身でしかないことを
愛に満たされて生きた者達は
知ることもない
失ったものの大きさを 知るものは
より大きなことの価値を 計ることが できるようになる
人の営みは えいえいと 続くように見えて
その実は すぐに 忘れられていく
あまりにも 失ったものの多い このクニが
めざすべきものは 何かを
歴史は あなたがたに 問うている
そこに生きた人々の
思いを汲みとることすら
困難になりつつある この国情に
歴史は何を 問うているのか