「Sは時々名言(あるいは世迷言)を口にする」

イラストにつけ漫画につけ、商品として絵を描くことの価値についてこのところ考えることが増えた。

昨今はイラストを描くにも画材を揃えるハードルは下がっている。なんだったら、ペンタブとパソコンがあれば、絵を描くだけなら困らない。
デジタルで作成されたイラストは、様々な場所で活用されている。文化的に皆が絵を描くことを楽しみ、絵があらゆるところにあふれている時代だと、SNSを見ていると気付く。

カラーワークの強化もしておこうと思って美術系の解説書を流し読みしていると、油絵でも驚くほど繊細に描かれた絵画が多い。
油絵は美術館の中で見ていたものの印象ばかりが強くて、もっとでこぼこギトギトした表面が普通だと思っていた。
そういえばエアブラシなんてものもあったな、とグラデーションの表現と解説を見ながら思い出した。
夕焼けと大気に霞む山脈の絵を眺め、どうやって描いているのか、筆致や作業手順にあたりをつけていると、頭の中に話しかけてくる声がある。

「全体の霞の雰囲気とアタリをとってから、山の稜線や岩肌を影で細かく描き出しているんだろう。油絵なら、ざっくりと塗ってから形を削り出すんじゃないか」
「同じようなことが、彫刻にも言えそうだね。どっちも作業工程は似ている」

自分でもしばらく考えていればたどり着いた答えかもしれないが、日常的に、ふと抱いた疑問にはすぐに回答が返ってくることが多い。
例えば、もっと少ない油で揚げ物ができればいいのにと思っていたら、「油の量が少ないほど温度管理は難しい。食材が焦げて失敗しやすいし、何より温度が上がりすぎると危ない」と思考の彼方から横やりが入る。
良く知るSの声ではない。通りすがりのお料理の専門家がどこかからツッコミを入れてくれたようで、そんなのもいるのかと呆然としながら、ぬか漬けのきゅうりを引っ張り出したのは今日の夕飯時のこと。閑話休題だが。

「デジタルイラストならこんなに世の中に溢れているのに、あんまり絵画ほど価値を感じないのは何でだろうね」

やっぱりいくらでも印刷できるからとかだろうか。

「価値というのは、数が限られているものにつきやすい。たとえば1点ものだったなら、なんとなく値打ちがありそうだろ。限られた人間しか見れない、限られた人間にしか手にできない。そういった特別なものに価値は見出される。デジタルだと、誰でも見れるし、いくらでも印刷されるし、そりゃ価値も下がるってなもんだろう」

デジタルイラストが価値をもつのは売れた時の1度きりなことが多い。継続して使用料をもらうケースもあるらしいが、その時の支払がうすーく原価になって、印刷された本などの値段にこっそりのっかる。それを買う側の私たちにとってみれば、装丁やデザインの一部にしか過ぎないので、絵の価値なんてものを意識する機会は考えてみれば少ないかもしれない。

「だから原画とかは貴重で価値があるものなんだよ。おまえも分かったら現物のストックを作っておけよ。それと、今のはデジタルでも価値を持たせるヒントだからな、うまくやれば稼げるビジネスの種だぞ。メモしとけよ」
「心の隅にでも置いておこうとは思う」
「おまえな」

絵と解説を見比べていると、絵を描いた人が何を表現しようとしたのか、何に挑戦していたのか、意図や計画が透けて見えてくる。

「デジタルの世界でもアナログの世界でも、やることは皆一緒だ。上手い人の絵を見て、真似をして、技術を学ぶんだね」
「そういう意味では、絵を描こうとする人間は皆、時の巨匠たちと心理的には非常に近い位置にある。良い絵を描きたいと思う心の間には幾ばくの距離もない。絵を通して、その精神性に触れて、時を越えて繋がることができる。それは、偉大で夢のあることじゃないか?」
「ふーん、確かに」

なるほど、ここでも精神学とリンクしている。
モーツァルトの精神を追体験できる時代がきている、という話を思い出した。
やまとうたも、クラシックも、絵画も、皆、作った人間のその時の精神を写し取った魚拓みたいなものだろうか。

感じようと思えば感じられる。常に人間の体の内側には、そのためのセンサーが備わっている。
精神学を学んだら、そういうエネルギーがより繊細に分かるようになると思うけど、今のところ現代人の九割がたはにぶちんである。

とはいえ、精神性によってものの価値が変わる時代は、既に始まっている。
宿題も詰めていかないとなぁ。。。
企画書を書く能力は、会社ではあんまり身につかなかったなぁ、と溜め息が出るばかりである。

*ちなみに、海外のデジタルアートの投稿所を眺めてみると、だいたい正気の沙汰ではない色遣いをしているか、闇の深い描写が見受けられる。サイケデリック・サイコパスとメランコリック・ダークネスの二つ名を進呈したい(適当)。闇の深い絵を描いた人間は、一度、精神の療養に励んだ方がいいのではないだろうか。

*学生時代、「闇が深い…」という言い回しを周りの学生が好んで使っていたことを思い出した。自分たちの世代の人間関係でさえ文字通り闇が深いのを、嘆けばいいのか笑えばいいのか、困惑したようなニュアンスがそこにはあった気がする。