最後の一厘。  痛切な響き。

    
    1991年  春

    静寂な病室で、天井の配列された穴を、際限なく数えていた私。

  高度成長、バブルへと続く時代に、大人として成長していく過程で

 繁栄の影にある何かを常に見つめていた感がある。

  この関心は、日に日に増し、栄光と相反する負の産物、環境問題に

 焦点を絞り、環境学を専攻する事となった。

  しかし、バブルという時代にとって、環境への学びも、負の産物で

 あるのか、抱える課題に行く手を阻まれてしまう。

  自身の小宇宙で、地球の重たさを一人で背負っているような状態。

 今、振り返ってみると、なんて無謀な!と呆れてもいるが・・・

  結局、私の小宇宙は闇に満たされ、精神を病むに至った。

  精神分裂病との診断。当時の主治医から、一生薬を飲むようにと

 勧告された。

  因みに、10年程、向精神薬のお世話になっていないが・・・

  
   
    2008年  春

 
    混迷する現在、光に進んでいる私。

 
   当時は、全くまとまりのつかなかった小宇宙を、少しずつではあるが
   理解し始めている私。

  
   同一ベクトルに進むべく精神学を学ぶ同志の方々。

 
  自分の今までの歩みと、連載される「光文書」を重ねてみると、本当に

  『最後の一厘』の言葉の重さが、全身に響き渡る。

  今、同時進行で働く気配を感じる。

  当時は、閉ざされていた道筋を感じます。

  
     私も又、働きます。

     光として。

  追伸:寛解という言葉でくくられる(完治のない)当時の分裂病、統合失調症を

  自分ながらに解決した過程を、精神学の学びを通して、言葉にし、

  行動にしていきます。   どうぞ、よろしくです。  ペコ

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