別巻<犯罪被害者追悼サイト>

抑えようとしても抑えきれぬ怒りに頭痛が治らない。
ことが起こってから期間は経っているが、ワタシが知ったのは最近になってからだ。
知人が殺されたのだ。

社会的にも責任のある立場の、年齢だけは大人の人間によって、
明るく豊かな社会の実現を目指す指導者たらんとする人たちの集まりの場で、
呆れるほど馬鹿な方法で。
何の理由もなく。

逮捕されたのは、その場にいた人間の20%相当数。
今の時点で逮捕されていなくても、止めさせようとしなかった人間も共犯といえる。
度数の高いアルコールをかけて火をつければ、燃えるということが分からなかったのか。
深刻なのは、将来日本を背負って立つことを目標にしている人間の集まりの中に、これほどの割合で、思考が停止している人間がいるということだ。

事件に対する、この団体の代表は、「大変遺憾に思っております」と、まるで他人事だ。
遺憾という言葉の意味を、ワタシは取り違えて覚えてしまっているのかと心配になり調べてみた。

遺憾(いかん)とは、一般には、「思い通りに事が運ばなくて残念だ」という意味である。英語では、regret、shame、indifferentなどの表現で表される。
外交における「~は遺憾である」という声明は「~は為されるべきではなかった」という見解の表明である。自らの行為に対しての言及であれば非を認めたこととなり、相手の行為に対する言及であれば非難となり、第三者の行為に対する言及であれば旗幟の表明となる。ただし、いずれの場合も劇的な対処を行わず事態を収拾せんとする意向を暗示するものであることが多い。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

そのまま放っておけば、いつかみんな忘れてくれるだろうとでも思っているのだろうか。
このままでは、知人はただの無駄死にだ。

何かできることはないのか。
そう考えているとき、以前にSekiさんより伺った話を思い出した。
Sekiさんと奇跡力のページで対談されている元刑務官で作家の坂本敏夫さんの『犯罪被害者追悼サイト』構想だ。
お花や弔電の変わりに、祈りと追悼のことばを、1000円程度の参加料を支払って登録する仕組みを作り、集まったメッセージを遺族に届けるとともに、収益を遺族への献花料、防犯活動、犯罪被害者への支援活動に寄付するというものだ。
マスコミが騒いで各メディアに取り上げられても、恩恵を受けるのは、マスコミ各社のみ。
被害者や遺族に対するケアや補償などは、報道の大きさに比例しない。
被害者や遺族は、マスコミの騒ぎが収まった後も、生きていかなければならないのに。

『犯罪被害者追悼サイト』構想を聞いたとき、確かに必要なことだということは分かった。
ただ、急を要することのようには思わなかった。
でも、今回の知人に起こった痛ましい事件は、特別なことではないのかもしれない。
いじめを苦にした自殺、虐待などの犯罪は後を絶たない。
ワタシに何かできることがあるとすれば、それは、このサイトの立ち上げに協力し、1日でも早く、活動を開始できるようにすることなのではないか。

Sekiさんに伝えると
「立ち止まっている暇は無い。前に進もう。」
と、おっしゃった。

Sekiさんが言葉に出して意思表示されるということは、進めるということだ。
出版プロジェクトのように。

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