明日、千葉県の千倉にある土佐ノ与一(※1)のお墓に行きます。

あと、日本で唯一料理の神様(※2)がいるという高家神社にも参拝します。

ということを、某大阪の知人に伝えたところ、そちらも明日、福井県の敦賀(※3)にある昆布関連の施設に行くということを伝えられました。

これは何かが繋がっているのでしょう。

何か出汁文化や日本の食文化が動くのでしょうかね。

 

※1:江戸中期、紀州(和歌山県)の鰹節職人、土佐浦へ出漁する印南鰹船団の職人でもありました。日高郡印南村出身。本名は善五郎。燻乾法鰹節「土佐節」の製法を東日本一帯に広める礎を築いた人物とされています。彼は最終的に北は気仙沼の方まで作り方を伝承し、その結果、東日本全体のかつお節の品質が格段に向上しました。しかし、当時土佐藩ではかつお節の製法を藩外へ漏らすことをご法度とされていたため、その禁を破って他郷へ伝えてしまった与一は帰郷が叶わず、安房国朝夷郡南朝夷村(千葉県千倉町)渡辺久右衛門方に身を寄せて骨を埋めたそうです。

※2:磐鹿六雁命(いわむつかりのみこと)。景行天皇の行幸に同伴していた人物の一人。行幸の折、その場で取った堅魚(かつお)と白蛤(はまぐり)のなますを供したところ、その腕を賞して、膳大伴部(かしわでのおおともべ)に任ぜられました。醬づくりにも大きく関わっており、調味料の神様としても崇められています。

※3:敦賀は北前船の寄港地であり、江戸中期の昆布の集積地であり大消費地でもあります。現代においても最大規模の昆布問屋があり、昆布と敦賀は切っても切れない関係の土地でもあります。福井で使用する昆布は羅臼が多く、寺社仏閣の多かった福井ならではの食文化があります。

 

全く関係ないですが、福井にある永平寺は道元禅師とも縁が深く、私は道元禅師の典座教訓などを読み、精進料理の世界に一時身を置いていました。福井という地は未踏の地で私自身には全く縁がないのにも関わらず、何故か奇妙なくらいに要所要所で福井・敦賀が上がってきます。

日本の食文化と切っても切れない深い関係のある土地なので、今後何かが動いていくと思われます。

その時に多分、大きな膿だしが和食の世界でも起こるので、出汁文化・和食文化がかなり大きな危機を迎えると思います。

それを耐えないと、乗り越えられないのでしょうけど、耐えて頑張るしかないですね。