精神学協会にはマツリヌシという担い手がいる。
私もその一員として末席にある。

祝い事や祓い清めなど、マツリヌシが担うことは多岐にわたるが、
ここでは死者の弔いについて触れる。

死んだ後も人は何かを残す。
財産や遺産のことではない。
その人の生きた痕跡が情報の降り積もりとなって、
良くも悪くも、この世に残るのだ。
それを『 霊 』と呼ぶ。

良い死に方とは、最低限でも、死した後、せめて、
この世に悪いものを残さない死に方のことだ。
(良いものを遺すのは実はとても難しい。)

近年、生きている間を快適に過ごすことを優先するあまり、
良い死に方を目指さないで生きる人々が増えた。
それは、ある種の無責任といえる。
その結果、当然にして、問題のある霊が増えた。いや激増した。

弔いというのは、死者を悼むということの他に、
問題のある霊が、生きている人間の邪魔をすることが無いように
あるべきところに送り出すというのが、重要な意義であるのだ。

それがマツリヌシの主要な役務のひとつである。

 

以下は、私の体験談である。

これは、光文書の(Vol.605:秘密の開示、はじまる)の後半に掲載されたもので、
時事的に必要だと感じたため、ここに再掲することにした。

正確には、死者の弔いの方法についての話ではなく、
親族の弔いがうまく成されなかった場合の後日に、
私の身に何が起こり、駆け出しのマツリヌシとして
どのように対処したのかという話である。

特に、祖母が亡くなった際に、祖母がずっと祀ってきた仏壇が、
どうやら不適切に処分されたらしく、それが問題となった。
処分にあたった親族に問題があったというわけではなく、
一般的な業者に一般的な処分を依頼した結果である。

つまり、全国津々浦々で当たり前のように起こることであると思われる。

一昔前までは、このような問題はあまり起こらなかったのであるが、
人の世も大きく移りかわっているのだ。

 


 

Vol.605 秘密の開示、はじまる
(※ある会員の方が体験した報告)

 

この5月は稀にみるほど体調を崩してしまいまして、
一時、40度を超える熱が続きました。

抗生物質の効果が無かったので、
おそらく何らかのウィルス感染症だろうとの診断でしたが、
確かなことは何も分かりませんでした。

高熱が治まったあとは激しい咳が出始め、
微熱とともに数週間続き、夜は一睡もできない有様です。

血液検査やCTスキャンなどでは何も異常は見つからず、
医学上は、むしろ健康体でした。

様々に処方された薬はどれも効果がなく、
仕事にも支障をきたしていたので、
これは困ったなぁ、と途方に暮れていました。

かといって、浄化と上昇では効果がない……
審判を希求しても症状は改善されない……
頼みの綱の積司塩もいまひとつ効かない……

ここに至りやっと、亡くなった祖母の
光への送りをやってみようと思い立ちました。

実は、祖母は亡くなった後に行く先が無いのではないかと
感じておりまして、私がマツリヌシになった暁には、
光への送りを行おうと以前から考えていたのです。

きっと、今がその時。

聖水、聖塩を用意し、保管しておいた祖母ゆかりの品を並べ、
結界も準備。

身を清め、いざ。

力を貸してくれる神格の存在とつながり、
ノリトの奏上を始めようとすると、
息苦しいものの、咳が治まり始めました。

光への送りのノリトはこれまでに何度も奏上し、
その効果も実感していますが、
特定の人物のために実名で奏上するのは初めてのことです。

ノリト奏上が終わりに近づくと、私の中で何かが光に変わって、
そして、ふわっと身体を抜け出てきました、
それが祖母であることはすぐに分かりました。

しかし、私の想像とは異なり、それで終わりではありませんでした。
直後に、私の肺の中で無数の光の泡が立ち、
鎖骨と肩甲骨の上端あたりから外に出て、
次々に天へと昇り始めました。
暑くもないのに全身から汗が吹き出し、滴り落ちます。

神格あるものが私の身体の潜在能力を使って、
何かしらの処理を行ってくれているのだと感じました。

10~20ほどの光の球が昇っていったでしょうか。
気が付くと、気分爽快で、
あんなに具合の悪かったことが嘘のように楽になっています。
呼吸が楽で咳も出ない。

全ての光が私から出た後で、祖母の光だけが宙に残っていました。
私には精神的存在の声は聞こえないのですが、
それでも何となく分かりました。
あぁ、父のためにもノリトをあげて欲しいんだな。

私の父は祖母に先立ち亡くなっているのです。

父の名で光への送りのノリトを奏上すると、
どこからか光がやってきてふたつになりました。

その状態で、遺品のミタマ抜きを行いました。

ノリトを奏上すると、暗くくすんだような状態だった遺品が、
明るくはっきりとしたものになってきました。
やはり、闇は人の視覚によって知覚されていると確信しました。

遺品から思いが抜けたことを確認し、
最後に大国主のノリトを奏上。

ふたつの光が何かに導かれ昇っていきます。

なんと、お迎えに来て下さったのは、
私の間違いでなければ、コトシロヌシ様です。

そのとき、言葉にならない声を聞きました。

「もう大丈夫だ。皆、光へと導く。」

その慈愛に満ちた力強い声とともに、私は知りました。
昇っていった無数の光は、祖母が仏壇で祀り続けていた
私の先祖とその血縁者達だったのだということを。
私がマツリヌシになったことを知り、祖母が呼び寄せたのだということを。
そして、もうすぐ閉ざされてしまうという、
ぎりぎりのタイミングであったということを。

なんと有り難いことでしょうか。

心の奥底にあった何かがはじけ、涙が流れました。

これが、私のマツリヌシ初仕事となりました。

 


 

【補遺】

精神学協会は宗教ではない。
唯物論では説明できない不可視の存在と現象を肯定している点では
宗教と類似しているように見えるが、
宗教はオリジンである「宗」を超えることを許さない。
精神学協会は先人を超えることを目的としている。
この点で、決定的に異なる。

子は親に優れることが当たり前である。
生徒は教師を超えることが当たり前である。
そうでなければ人類は進化などしない。
先人を下回るばかりなら、それは滅びへの退化というほかに無い。

精神学協会では、来るものは拒まず、去るものは追わない。
なぜなら、本人の意志の在り方こそが重要だからである。

支配者もいなければ依存者もいない。
宗教とは異なり、超えてはならぬ人もいない。
ただ自らの意志で進み歩むのみである。

歩むものは進む。歩まないものは進まない。
何もしなければ何も起こらない。ただそれだけである。

だが、歩むものに必要となる知識がある。

貴方の内なる魂魄に響くものがあるなら、
門戸を叩いてみるのもよいだろう。