※この記事は、2015年5月シンロジカルセミナーにて発表させていただいたものです。

紀伊半島一周の旅

約三年前のことです。
奈良にある葛城山と、奈良の出雲の地を訪ねよと、積先生からのご指示を頂きました。
私はその言葉を聞いておきながら、和歌山の葛城山だと思い込み、登ってしまいました。
登った後、積先生にお電話にて報告させていただいたところ、そこではないと指摘されましたが、
この場所でも本当の葛城山の代わりになるのではないかと、上昇して天に尋ね、
和歌山の宝を堀り探せという言葉が私の中に降りてきました。その言葉を信じ、和歌山から何かを発信しようと決心したことが、アーストラスト設立と今回の旅の企画に繋がっています。

紀伊半島一周の旅は、最終知識に書かれている日本の仕組みに関する秘密を、旅の行程をこなすことにより、新しい歴史が刻まれる第一歩の御神業と位置付け計画いたしました。
信仰というものの大切さを実感し、それに伴い自分の心の内から喜びと至福感が至るまでの二日間の行程を振り返り、帰宅後に私の身に起きた出来事も含め、旅の日記をとして報告させていただきます。

4月18日

朝10時過ぎ、JR和歌山駅東口から紀州観光のバスに乗り込み、出発致しました。
目指す所は熊野本宮旧社地・大斎原です。積先生の誘導により、新しく出来ている大きな鳥居ではなく、昔から残っている参拝口の鳥居を潜り参拝しました。
昔は橋が無く着物の裾を濡らしながら禊ぎをして参拝したそうです。
積先生からのお話で、今回の旅のお参りには約束事があり、最初に積先生、次に私高田弘子、
続いて皆様の順番で参拝してくださいとのことでした。
その参拝順は、聞いた話では、増田さんの夢の中で、とてつもなく大きく、両目と口が空洞になっている積先生の姿の人から手渡された、黄緑色の色紙に書かれていた順番だそうです。

橋を渡って島に入ると、神気を感じました。社殿跡の祠に向かう道中、積先生より「熊野権現がお待ちかねです」と、ひとこと説明をいただきました。
祠にご挨拶した後、祠から離れ、皆の参拝する姿を眺めているときに、うたが伝わってきました。

おおゆのはら さいたけて
みのおくさきに いまもつづく
かみよの すがた
よのありさま み つげもうす
みのおきところにて かがやきありし
ちのものの ゆくへさだまり
よをひらき たもうこと
いと さいわいなり
てんと ちの しるべ このよにありて
つぎのよに つなげしは
みのほどに さい たけて
み よすがに とどろきたもう

このうたは、新しい世明けを告げるうたなのだと感じました。

大斎原を後にし、当初は参拝を予定していなかった熊野本宮大社へ参拝することになりました。
積先生は「私は第二社殿しかお参りしません。そこにしか神様がいません。」とおっしゃました。
そのとき私は「イザナギイザナミですか?」と尋ねると「そういう事は詮索しないように」と返されました。
熊野本宮大社に入ると真っ直ぐ第二社殿まで赴き、大斎原の参拝順で参拝を行いました。
そのとき確かに存在を感じさせて頂きましたが、たぶん、積先生にご挨拶をされたのだと思いました。全員が第二社殿を参拝した後、各自、他のお社を参拝することになりました。

私は境内をしばらくあてもなく歩き、神門付近にたたずんでいました。
先程までとは全く違う気配を感じ、積先生が神格を召喚されていると直感しました。
同時に、本殿の後ろの一番高い木の先が揺れ始めたことに気付き、
その揺れがだんだんと下がって行く様を見届け、第四社殿へ歩いていきました。
第四社殿の鈴を振ると、風が私の足元から吹き上がり、風の心地良さを感じました。
柏手を打つと、今度は左方向からサーッと大きな風が流れました。
風は、この地の浄めだと思いつつ、風に身をまかせ、舞いたい気分に浸っていました。
第四社殿の参拝を済ませた後、再び神門に戻ると、しばらくして うたが降りてきました。

てんちの みつやく はたされしとき
いまより ひらきて ちに ひかり たまわれし(な)
ひとの よの あるべきすがた しめされたし
てんたかく ひとたかく ち ひらけゆくとき
まつよのすがた いま たたれし
しんのみち よに しらしめたまへ
てんとちの みつやく はたせませ
これも けいやく

「これも けいやく」という言葉が降りてきたときは、
自分も同意して、うなずき合うような感じでした。

熊野本宮大社を後にした車中にて、積先生よりお話を頂きました。
「熊野本宮の八咫烏は、神武天皇を大和まで道案内しました。
八咫烏は京都の上賀茂神社、下賀茂神社の御祭神です。
この旅は、古事記の正しい意味付けと、最終知識に書かれている神武の神格を完成させることです。
過去の歴史は秘密だらけで、それを開示するときがきたのです。
皆さんの人生が今日から新しく始まります。」
この話を頂き、この旅の目的を達成するためには、
積先生が同行していただくことが必要だったのだと解り、感謝しました。

鳥羽のホテルにて一泊

4月19日  伊雑宮

ホテルを出るとき、天気予報通りのポロポロとした雨模様でしたが、バスに乗り、
伊雑宮に近く付くにつれて、傘もいらない位の小雨に変わっていきました。
伊雑宮に着き、バスを降りた瞬間から、体に清々しいバイブレーションを感じました。
過去に二度参拝していましたが、それらのときとは全く違う感覚が伝わってきました。

伊雑宮は、伊勢神宮 内宮の別宮のひとつで、伊勢神宮から遠く離れた場所にあることから
遥宮(とおのみや)とも呼ばれています。
また、小さな社殿ですが、伊勢神宮の本宮より社格が上という事や、
籠神社(このじんじゃ)と伊雑宮にしか刻まれていない六芒星の話など、
謎の多い神社とも言われています。

今回の参拝では、それらの情報に左右される事のないように、
自分の意識と体で感じさせていただく事を心掛けて参拝させて頂きました。
参拝中には、伊雑宮の役割と、私が生まれたことの意味、
一瞬のことで思い起こせないのですが、何か大きな大切な事を、感じさせられました。
そこのお社と私の体、そして、そこに眠る意識と私の意識が、
訳も分からないまま一つに重なったように感じたのは、不思議な感覚でした。

皆の参拝が終わり、積先生に、社殿の前で集合写真を撮らせていただいてもよろしいでしょうか?と尋ねたら、積先生よりの「撮りましょう。私が真ん中に立ちます。」と即答いただき、
参加者全員でカメラに収まりました。
伊雑宮では、集合写真のときのお人払い等、普段から積先生がおっしゃっている、
天を味方に付けるという事を実感させていただいたように思いました。

橿原神宮

橿原神宮を最後の場所に選んだのは、古事記、日本書紀が書かれた意味の開示と、
新しい時代の幕開けを祈念してのものでした。
私の個人的な話ですが、過去に何度も橿原神宮の前を通りながらも、
何故か足が向かず、今回が初めての参拝になりました。

北参道の鳥居を潜り、北神門にさしかかったとき、
積先生より「お待ちかねです」と一言頂きました。
熊野本宮と伊雑宮の参拝では、身内の家にいくかのような感覚でしたが、
橿原神宮では、何か大きな舞台に立たされるような、心が見透かされているような、
いつにもない緊張感がありました。
参拝のときには、自分の人生を無駄にする事なく御国の為に働く事をお約束します、
と、誓いを立てました。
参拝を終え、皆で記念写真を撮った後、増田さんから、皆さん一人一人の参拝される姿が光を放っており、夢に出てきた積先生の姿をしたモノから「確認しなさい」と言われていたことがこのことだったのかと、ありがたいものを見せていただいて感謝したという話を聞かされました。

この旅が計画できたことも不思議なことではありますが、
精神界からの契約の一つとして、
悔い改めをして立て替え立て直しが始まる時期ということで、
新たな出発へのGOサインを頂いたのではないかと思います。
今回の、行程を無事にこなせたのは、積先生が同行してくださったおかげだったと思い、
深く感謝しました。

バスへの帰り道、積先生が畝傍山に登るとおっしゃり、畝傍山に行くグループと、
私を含めた登山が難しい履物を履いた人達のグループに分かれました。
山に登っていく人達は、積先生の光の柱に触れるチャンスを頂くかもしれないと思いつつ、
私達は神武天皇陵に向かいました。

余談になりますが、御陵への道すがら、手島郁郎の流れをくむ70数名の男性の集団との出会いがありました。
御陵に着くと、すさまじい、泣きながら、雄叫びのような必死の祈りをされていました。
イエス様を信仰し、この地球の為に、あれ程の迫力をもって祈れるとは…と、ただただ驚きでした。
御陵からの帰り道、彼らにどんな人達かと興味本位で尋ねてみると、
「私達はキリスト信者である前に日本人であるという意識をもって、戦後70年の節目に日本の原点である神武天皇を魂の父と仰ぎ、全国から集まったのだと」言われていました。

私達は、彼らとは対象に、各自、静かに参拝をいたしました。
御陵に到着する前に白鷺に会っていましたが、御陵では、ハトが三羽と、カラスが三羽ずつの二組が御陵の上を飛んでおり、その間をぬうかのように一羽のカラスが飛んでいました。
坂本敏夫さんは、木の根本から水が飛び出したのかと思ったが、
水ではなく煙のようなものを「はっきりみました」とおっしゃっていました。
後の話になりますが、積先生が畝傍山に光の柱を立てたことを聞き、
それとリンクしていたのかもしれないと思いました。

積先生に同行して頂き、多くの方々にも賛同して頂くことになり、本当に嬉しいかぎりです。
二日間を振り返ってみると不思議なことばかりでした。
帰宅途中、大阪駅で和歌山県外の皆様が降りられたとき、積先生より
「二日間奇跡の連続でした。全て完璧に終えられた。新しい時代が始まりました。

皆様の意識も変わり、働くようになるでしょう。おめでとう。」
と握手してくださった時は、感無量でした。

(4月20日午前2時過ぎ)

帰宅して夜中、午前2時頃、ふと目が覚めました、
イエス様 空海様はじめ、沢山の精神界の存在に 心から感謝の気持ちが湧き上がってきました。
そして、積先生にも、この様な大きな働きのチャンスを与えてくださったことにも
本当にありがとうございましたと感謝の回想をしていました。
まだまだ学びを得なければならない覚悟をもって これからも働かせて頂くことを誓いました。
このときに うたが流れてきました。

ジパング 黄金のひかり かがやく島
地につもりし やみの
地にうずもれし 歴史の意味くみて
たてかえ たてなおし
あたらしき よの ひらきたる こととひの
しらべ
みつやくの かいじ
はたせ たもう こと
い(意)をつくして 天 と 地 の
ひかりの かけはし
つむぎ たもうや

             イエス様からの言葉

みをよせて かへすがへすも
ひとすじのみち
たよれるものは わがみ わがこころ
ひとたび すすむは かへすみちあらねど
ひかり とどけし みち なりと
ひとの めざすみち しめし たりとて
やへすのみちも かんなびて
みちたりた よを つくるべし

             スサノオ

午前2:30頃、再び床に就き、多分、午前3時頃だったと思います。
ヒューヒューと風の音と、窓ガラスに叩き付ける雨の音で起こされ、
「大荒れだな」と心でつぶやきました。
その直後にお腹が痛み、そして、だんだん痛みが酷くなり、トイレに駆け込みました。
「この痛みは全ての闇の浄化かな?」と独り言を呟いたあと、
お腹から背中にかけての痛みがさらに酷くなり、
顔や手足が冷たくなり、血の気の引いていくのがわかりました。

トイレを出て、梅酒を飲んで全身を温めようと思い台所に向かいました。
台所にさしかかった頃に、足に力が入らないという感覚があったところまでは覚えているのですが、そのまま倒れてしまった様です。

倒れたときの大きな物音に気付いて、三女の婿が飛び起き、様子を見に来てくれたようです。
そのときの私は、全身を痙攣させていたがすぐに痙攣が止まり、脈も無かったそうです。
三女の婿が「お母さん倒れましたよ! 救急車! お父さん、お母さんが!」と何度も叫んでくれたようです。
その声を聞き、娘、主人と起き、駆けつけてくれて、
脈もなく、息をしていない私をみて、皆で大騒ぎをしていたそうです。
私のほうは、主人の声や みんなの声を遠くに聞きながら、
お母さんてどこのお母さん?三女の婿さんのお母さん?と、他人事のように聞いていました。
騒がしいけど、どうしたの? 誰が倒れたの?
と思いつつ、だんだんと意識が戻り、まわりの状況と自分の状態が理解できました。

私の第一声は、「救急車は呼ばないで!大丈夫だから!それより梅酒飲ませて」でした。
それから主人に、背中全体にオイルを塗ってもらい、
(大丈夫、大丈夫)と何度も何度も自分に言い聞かせました。
家族にも「大丈夫、もう大丈夫やから」と言いつつ、
自分をコントロールしようと必死に深呼吸したり、オイルを塗り続けながら、
少しずつ状態を落ち着かせていきました。

4月20日(月)10:40分頃

積先生に今朝方に起きた出来事を相談しました。
多分何もないと思うけれど、とりあえず検査してもらっとくようにと言われ、
家族も皆、病院へ行って検査をしてもらえと心配してくれていたので、
家族の気持ちを考えて病院に行ってきました。

検査結果は、血圧、心電図、酸素など、異常は何も発見できず、すべて良好状態で、
とりあえずということで、点滴してくださいました。
積先生に検査結果が良好だった事を報告し、
積先生より、「新しい時代が始まりました。それに対応する為の新しい身体をつくりかえる
ということだと思います。」と言っていただきました。

そのあと、自宅にて一人で上昇しとき、言葉が流れてきました。

この身に よりそい たてかへの
おちからぞえ いたしましょう
 (熊野大斎原と熊野本宮大社のイメージが出てくる)
おおいなる ゆのはら  (大斎原)
みち あけて
ひかりさし
はなの おわりの みのりも
またうるわし

           くまののおおかみ

りっぱな かぜふく やしろが
たちました
ひかりの さわやかな かぜがふく
やしろが たちました
あいのかぜがふき
ひとびとの うれいを ひかりの
かぜが はこんで くれます
やすらかなりし このやしろ
とりがうたい はながさき
ひとびとの えがお が あふれる
すばらしい せかいが ひらかれます

           名前を名乗らない声

この旅からのことを振り返り、自分自身の心の中で、
改めて思いがあふれ出しました。

奇跡が軌跡に変わるとき、
二度の死を体験し、一回目のときは光の世界を見せていただき、
今回の場合は何所に繋がっても闇の世界、
目覚めない人間の行き着く先を見せていただいたように思います。

いと小さきものと自覚したとき、
生かされている喜びを実感する。

生まれてきた意味
生きる目的を 知ることができると
恍惚感に浸れる。

光とともに生きる喜びを知ったあなたへ
人と人の間に溺れる事なく進んでください。

私達は 貴方達と共に進むことを
お約束する者です。

(この歌には、イエス始め、空海、ムハンマド、その他沢山の存在がイメージされました。)

それから二週間が経って、やっと元気な体になりました。
自分の体験を振り返り、これからの行動について考え上昇しました。
このときに流れてきた歌を紹介して、旅の報告を閉めたいと思います。

ひとたるみちを ふみしめて
こへゆくさきの ゆたかなりし
みくにの ひらかれし よにありて
なすすべなく いくるよの
ひと ひと ひとのみちしきたまい
かくるよの ひらけしは
おんみのゆくすへ たやすことなし
たちたるよの ゆくみちに
たてたまいて なほ つづく
みちしきの ひとたりてや
ひとたびの ゆうすげからじと
とをたたきし おんみの ゆくへ
さだめし

       5月6日 12時54分