シンとは何か

精神学は神命によって、シンロジーと英語では表現されています。それは何故かというと、シンとは神であり、新であり、英語のsinでもあるからです。
ここまで書くと、いま話題のアニメ映画のタイトルに、シン・エヴァンゲリオンという言葉が使われていることに、多くの日本人が気付くはずです。
人間の潜在意識というものの、ある種の共時性というものは、いまの人知では偶然でしかありませんが、神知の立場でいうなら、何らかの精神界からの関与の証拠ということになります。
普通の日本人にとって、シンとは、やはり神であり、新しいであるというのが正しい理解でしょうが、英語のsinには罪という意味があります。
精神学の立場でいうと、シンロジーというものは、神と人間の罪を論理対象とする新しい神学ということになります。
キリスト教というものは、人間の原罪を問いますが、神の罪を問うことはありません。しかし、正しく聖書というものを読むと、神もまた、罪深い存在ではないのか、という疑問が普通に生じるはずなのです。
「神よ、神よ、この地上の悲惨は、あなたの責任ではないのですか」と問い続ける勇気を持つことができない人間は、精神学を知っても、自分を審判の業火の中に投げ込むことができません。
いまなぜ、こんな初心者向けの精神学の話をしているのかというと、愛と勇気と正義の三位一体を達成した人間でなければ、自らの小宇宙の救世主にはなれないというシンプルな原理が達成されないところで、たましいが成長し、光の世界に導かれるなどということは起こり得ないと知るべきだからです。
私は、いまのアメリカに、再びゴッドブレスが帰ってきたとお伝えしていますが、それは、かつて、アメリカにあったものではなく、この日本列島から吹いているものなのです。
アメリカの信仰ある人間たちが期待しているように、聖書のストーリーがこの地上で現実化するというのも、それは二千年かけて用意してきたアンチ・キリスト勢力の、人間支配のための洗脳工作のひとつに過ぎません。
西欧の人間界では、二十一世紀に入って、過去の文明の問題点を解決するための知の伝達が、どこかから届くという一種のスピリチュアリズムが拡散していますが、それは、西洋文明というものが、聖書を出発点にしながら、聖書の限界が現実世界にあるために、別な解答を求めるというその文明圏の集合的無意識領域の願望が顕在化したものに過ぎません。つまり、ひとつの物語です。
その物語が、人間の頭の中では進行しても、現実の物質世界では起きない理由を、知ろうとしない人間は、この時空から脱出することはできないのです。
神の仕組みには、順番が定まっています。日本の仕組みの発動は、アメリカのエヴァンゲリストの覚醒をはたらきかけますが、その福音とは、いまある聖書に、ダークとライトのイコンシールを貼った時に正しく発光したものが神の言葉と認識されるものです。
この二千二十一年の三月に到って、私は、これまで私を導いてきた天から、「イコンシールの用意は整った」との言葉を受けています。
このシールのはたらきで、聖書の神は、この世に、自分の代理人である人間の言葉で「光あれ!」というコマンドを発することができるようになるのです。
精神学を知らないアメリカが、世界を救うはたらきをするなどということはないというのが、精神界の伝達です。
いま、日本神界の多くが、アメリカに渡っています。それが、何のためなのかを、まだ私は知らされていません。その結果として、日本列島の精神的なエネルギーの場は、どんどん弱体化して、邪悪な人間たちの活動が高まる悪のステージ化しています。別のいい方をすると、アメリカ化しているのです。その先に、日本人への大きな試練が待っていますが、それもまた仕組みなのです。簡単にこの世に神の国は生まれません。

二千二十一年(神紀元年)三月十一日 積哲夫 記