ふた時の終わりの日

この二千二十一年の八月十五日に、どうやら、私の旅路の「ふた時」が終了したようなので、今回は、その報告です。「最終知識」という書は、私にとっての「ひと時」の記録でもあるのですが、そこには、二千一年の八月十五日の事が記されています。私が、この日本で、担っているのは、聖書の時代を終らせるために、日本に置かれた、日本の仕組みというものが、正しく発動するために、人知の側へ、神知を移すという役割で、聖書の言葉の「ひと時とふた時と半時」という記述は、私にとっての十年と二十年と五年ということだというのは、すでにお伝えしています。
実は、オリンピック期間中を含め、八月十五日に到る日本列島の波動は、きわめて悪く、その影響は、世相にも、天候にも、人心にも、大きく出ていたと私には見えました。
さらに、アメリカが、二千一年の「九、一一」という事件によって、対テロ戦争という不毛な戦いに突入し、世界の秩序を混乱させただけの結果を残して、アフガニスタンで敗北するという事象も起きています。また、中国大陸においては昨年に続いて、天帝たる龍の怒りとしか人民には思えないような天変地異が続いています。その余波というべきか、日本列島も、東京政府を天が見限ったかのような豪雨が、被害をもたらしています。これらの事象は、この世界が、大きな転換点を迎えていることを示しているというのが、私の見方です。
では、この「ふた時」のテーマとは、何だったのでしょうか。千九百九十一年からの「ひと時」のテーマは、精神界という場の用意でした。その用意が整ったので、天は、私に精神学協会というものを立ち上げさせて、人知の側に神知の移築を始めさせたのでした。その理由は簡単で、過去二千年以上の間に人間世界にあった精神界の情報らしきものは、宗教という人間集団の利害に直結した知の体系に封印されてきたからです。精神学協会は、はじめから、宗教の時代を終らせるという天の意志を伝達してきました。ところが、地の人間は、精神学という名前だけで、宗教というレッテルを貼るまでに、無神論による洗脳を受けているという現実が、この二十一世紀のはじめにはあったのです。
それが二十年の時を経て、精神の秘密やこの世の波動の秘密を、普通の若者たちが、発言するようになり、それに合せて、精神学協会に、天がつくれと命じたイコンシールや波動シールが授けられるようになりました。神知というものは、人間がそれを正しく受け入れられるようになるまでは、降りてはこないものです。その精神界の法則を、いまの時点に当てはめると、人間は過去の歴史の闇に光を当てて、過去の交通整理をして、次の精神ステージに進むタイミングにいるということになります。精神界の側のテーマでいうなら、このタイミングで、約束した最後の審判を実行しなければ、神なり神々なりの役割も終わらないということになるのです。
その最後の審判を実行するために、人間の歴史上の罪に責任のある意識体の所在を、探究し続けていたというのが、光の側の二十年の姿でした。それが、どうやら、特定されたのです。そして、ここから先に、神人一体となって、この世をミクニ、またはミロクの世にするための仕事をする人間の登場を促す、または、その能力を持つ人間を育てることが、天から求められているということです。
たぶん、そのために、一度、日本列島は、闇の底に沈む必要があるのでしょう。すでに見限られた東京政府だけでなく、一般の日本社会からも、いままであった、日本の神々の光の守護が、なくなるようです。
私が知る限り、いままで日本を守ってきた神社の光の結界から、現時点では光が消えています。その先にあるのは、国民的な危機にほかなりません。日本人が、神性を覚醒させないと、無神論で世界を支配している人間グループが、たとえば、天皇の上に君臨する日が近づくといってもいいのです。しかし、それでも、あと半時の後には、すべての過去の悪行を、天が知り、人間のたましいが分けられる日が来ます。あと半時とは、あと五年ということです。

二千二十一年(神紀元年)八月十九日 積哲夫 記

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