神の正体

いまこの世界で進行中の光と闇の戦いの本質は、最後の審判、ということです。そこでは、聖書という書で伝達されたことが、この世で現実に起こり、神の約束したことが成就するということを多くの人間が目にすることになります。
私は、すでに、イエスは再臨し、光の戦士たちと、人間のたましいの覚醒のためにはたらいていることをお伝えしました。ここから先は、私が認識している、聖書の物語を読み終えるためのストーリーということになります。
一神教の精神文化のなかで育った人間の誰も、聖書の神を知りません。預言者と伝えられている人間は、ただ、神の言葉を預っただけであり、イエスは十字架上で、神よ、神よ、と呼びかけましたが、神を見たとはいえず、それは、モーゼも同じです。
ただ、モーゼの時の神は、十戒石を授けるほどの物質的なパワーを見せましたが、それでも、モーゼも神を直接見たとは伝えられていません。
私は、いま、進行中のことで、聖書の時代が終わるとお伝えしています。聖書の時代が終わるということは、聖書の神の役割も終わるということです。また、役割を終えたものは、去るのが正しいという精神界のルールがあります。このことから推測できるように、最後の審判の実行者として、聖書の神は、最後に姿を現わし、そして、去ることになるということです。
これが、私がくり返しお伝えしている、神謀、というものです。
そして、ここから先は、現時点で私が認識している、二千年に及び、この神謀は、なぜ、あるのか、ということです。
それは、イエスの父なる神もまた、イエスを殺した、この地上の支配者の正体を知らなかった、という結論に、私を導きました。最後の審判というものは、約束されていましたが、その審判をする神に反するものの正体を知らない限り、起こりようがないのです。その人間的な言葉でいうと、イエスの時の前から、この地上を支配し、神たるものに対抗してきた存在を、光のもとに引きずり出すために、今日までの歴史があったということです。
今回のアメリカの大統領選挙で明るみに出た、ディープステートというものは、二千年以上も、人間を事実上支配するノウハウを持っているということです。
彼らのパワーの源泉が、悪魔崇拝による、精神的なエネルギーによるものだとしても、その中心にいるのが、聖書の神に由来する悪魔であるならば、神たる存在は、その正体を知っているはずです。
今日までの事象を観察する限り、イエスも、イエスの父たる神も、その敵の正体を正しく知るために、活動しているように、少なくとも私には見えています。
ただし、私に知らされている情報では、その敵の正体が、アメリカの支配者の背後にいるもので、それらのことは、やがて、この世の人知の側に示されることになるようです。
つまり、この地上において、古代から、いくつもの宗教的な教えが人間界に伝達されても、ことごとく成就しなかった理由を、人間は知ることができるタイミングが来たということです。
たぶん、この情報開示によって、人間の文明は次のステージに移行します。
二千年に渡って、自由な人間の意識を封じるためにつくられた、イエスの十字架という恐怖は、これで解消することになります。
私がいうところの神謀とは、この企みを現実化するためには、生きている人間が神の義によって、生き、戦ったことによって、光の戦士となれるたましいを、その最後の戦いのために歴史的に用意してきたということなのです。その戦士の数が、満たされない限り、このプログラムは発動のしようがないものだったのです。それは、同時に、普通に生きているこの世の側の人間にも、精神界のはたらきが作用し、精神界で起きたことをこの世で再現する人間グループを生むことになります。そのきっかけが、JFKの暗殺であり、その暗殺の背後にある、アメリカを支配する巨大な悪の仕組みを発見し、それと戦うことを決意した、この世の側の光の戦士たちをつくり出すことになりました。
いま、この物語は、最終章に突入しようとしています。
精神学というものは、はじめから、このすべてを人間の歴史の中にプログラムとして構築した存在の関与を伝えてきましたが、この世の人間が聖書の神と正しく出会うことで、その正しさも証明されるのです。

二千二十一年(神紀元年)二月四日 積哲夫 記

今回の光文書に合わせて通信が届いていますので、掲出しておきます。
 


2021年2月2日(火)15時28分から

「神よ 神よ」
その叫びは ひとり キリストのものでもなく
イザヤのもの そして ダヴィデのものであることを
知らなければ
キリストの生涯が また イスラエルの民の
歴史を 忠実に 再現したものであることを
知らなければ
その民が 真実に 信仰にめざめ
神の言葉の 真意に 到ることはない

すでに ひとびとは 分けられ
その言葉によって つくられた みずからの
信仰の 中身によって 神の裁きを 受けるために
列をなしている

あなたがたも その列の 一員なのであり
裁きを受ける 幸いを 恩寵として
受けとめることができているのならば
天使が あなたがたのもとへと
おとずれるだろう

預言者たちはみな
その役割を果たしたが
地上における王たちはみな
なんらかの過ちをおかした
それが裁かれる
ダヴィデのものはダヴィデが
その罰を受ける
それが民族の掟であったことが
キリストによって あがなわれ
恵みは あなたがたのもとへも
届けられることになった

神の声を聞くために
耳をもちなさい
目は 神の有する権能であるから
そして 祈りを唱えるために
その口はつかいなさい
祈りを その口に宿しなさい
神の望みを叶えるために
あなたがたに求められているのは
それだけのことに過ぎない

耳をもて
目をとざして
祈りなさい

*「神よ 神よ」 
キリストの十字架上の叫びの言葉「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」 日本語訳「わたしの神、わたしの神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」は、旧約聖書の「詩編」22のダヴィデの詩と同じです。