武漢クライシスがもたらした、日本社会の崩壊 Ⅱ
―いまこそ、歴史から英知を探れー

 3月16日、朝に日本の友人と今後のことを話している最中に、カナダのトルドー首相から渡航禁止(カナダ国籍・永住権所持者、米市民、外交官、航空関係者を除き、すべての外国人渡航を禁止した)が発表された。近日中に、カナダも来ると思ってはいたけども実際に、その発表を聞くと心の動揺は隠せませんでした。その発表と同時に、街が激変してしまいました。まずは、仕事場に行くまでの車の量が激減して、日ごろは混んでいる道路も祝日並みの量になってしまった。店の近辺も人通りはなく、日本で言う正月のような人通りになってしまった。
 発表当日に来たお客さんたちが、口々にしていたのは仕事が無くなった話でした。一人のお客さんは、4年間働いていたレストランで、昨日緊急ミーティングがあり、レイオフの通達がされました。先週来たときは、そんな素振りもなく、「武漢肺炎の影響はそれほどないし、適度に忙しい。」と話しをしていた。そして、「来週月曜日に、包丁の研ぎ、仕上げてほしい。それと新調で新しい包丁を買おうと思う。」そんな会話をしていました。ところが週が明けて、状況が一変しました。会社から首が言い渡され、失業保険の申請を出す話しになってしまった。
 もう一人のお客さんは、自営で美容サロンをしている人で、この騒動によってお客さんが相次ぎキャンセルし、営業が出来ない状態になってしまった。今後は、「ほとぼりが冷めるまで様子をみるしかない」と言い、いつから営業ができるか不安を持ちながら、なるようにしかならないと言って帰っていきました。


 いままではカナダ人は、アジアの問題として武漢肺炎を捉えていたが、感染拡大と米国が非常事態をとったことで、カナダにもその波が押し寄せてきました。そして、それは突如としてトルドー首相の渡航禁止発表からはじまった。カナダは、常にアメリカの動向を追随して、いろいろな政策をうつのですが、突如の渡航禁止令というハードルが高い規制からスタートしました。その後に、バンクーバー市の保健所(地方自治レベル)の方がバーの営業停止などを言い渡し、営業ができない状態になってしまった。トルドー首相の発表を境に、地方行政が一斉に公衆衛生を厳守するほうに舵を切り、コーヒーショップから小さなレストランまでが、店内でも飲食を禁止して、テイクアウトだけの店になってしまった。そして、無形産業であるスポーツジムの営業禁止やコンサート・スポーツ興業の禁止を発表した。この武漢肺炎は、日本だけの経済の冷え込みではなく、これは世界各地の現象になり、世界同時の経済活動の停止になってしまった。
 9.11もリーマンショックもこの街で、過ごしてきたけども、こんな規制がかかったのは、初めての体験で街一帯が戒厳令の状態になってしまった。日本のように、経営者の個人の意見に采配に任せるのではなく、強制的に店の営業権を停止してしまった。しかも、何の前触れもないままに一斉にはじまってしまった。民主主義・自由経済体制でありながら、ここまで徹して住民は何も反論をしない号令ぶりには、多民族国家の公衆衛生の重要性の意味を理解した。


 ちょっと蛇足ながらに、話しますと、この近辺は、高級レストランが建ち並ぶ高級層が集う繁華街ですが、人通りはなくなり車の数は激減し、ヘアーサロンやブティックは休業をしてしまった。大型レストランは、休業をしてしまい、大勢の従業員をレイオフして再開のめどが立っていない。それに、あるレストランは内装工事を始めてしまい、この1~2ヶ月は営業出来ないという前提に、事業プランを立ててしまっている。今朝がたの首相の発表の前に、民間レベルは先手をうって営業が出来ない前提で、物事が進められていたと推測します。知らなかったのは、個人経営の店と労働者だけで経営がしっかりしているところは先を見ての行動をしていた。

 

 

「日本人と北米の労働・公衆衛生の発想の違い」

 日本人の人からすると、急に解雇されてしまうと精神的にも肉体的にも打撃を受けてしまうが、北米の人たちは仕事に対しての価値観が日本人とは大きく違っています。その大きな違いは、「仕事=人生」では考えていない。いまの仕事がだめなら、違う仕事に転職をしようといつでも思っているところがあります。ある意味で、気軽に物事を考えている。その反面、プロフェッショナル性にかけていることもあるが、その楽観性は転職をすることに対して恥もなければ、いまの仕事が自分の人生にはなっていない。それに、社会システムが日本型の労働雇用制でないので、個人が特定の企業に縛り付けていないことも関係をしている。日本は、終身雇用制と年功序列賃金体系で、個人と特定の企業の関係を無理に縛り付けている。(かつての会社は、「社員は家族」という日本型経営のいい部分もあるが、いまは人間関係の希薄さで厳しい側面もある。)
 北米の人たちは、いつでもリストラになるという前提で仕事をしているので、一人一人がプロスポーツ選手のような契約と労働の関係を理解しているので、自分が結果を出せなかった時にはリストラにされることが前提になって働いている。今回のような景気情勢によってリストラされることに対して、一時の落ち込みはするけども、それについて人生を引きずることはない。しかし、ここまでの大規模の同時リストラをしたのは、カナダでは初めてのことだと思う。しかも、特定の産業だけでなく料理関係、航空関係、ホテル関係、語学学校など、ありとあらゆる仕事から大量解雇がはじまった。(北米は、会社に社内留保がないため景気が落ちればすぐに、解雇をして必要であれば採用をするシステムに成っている。労使関係において、フレクシブに動く社会システムに成っているので、感情的な情でつながるのではなく、合理的な仕事量での関係でつながっている。)
 話しを、元に戻します。何よりも日本人とは、大きく違うのは公衆衛生の価値観である。白人社会は、風土病と侵略の歴史の中で作ってきた文化なので、疫病に対しての危機管理はすごく、危機対応は日本の事なかれ主義的な感情では行政は動いていない。ある意味、日本は見習わなくていけない部分でもある。トップが、政策を発表したらそれに対して従い、地方自治も住民の命を守る観点から、より厳しい条例を発表しています。その意味では、国の役割と地方自治の役割が明確に分かれている。例えば、国家行政は国際間の仕事の規制(渡航禁止・国際空港の限定的な使用)を打ち出し、地方行政はレストランの営業停止やテイクアウトに特化する営業などの指示(住民の公衆衛生)を打ち出し、明確なガイドラインが出来ている。
 それが、打ち出された時には住民は従い、クレームや個人の見解を打ち出すようなことはしない。公衆衛生というガイドラインが出たときには、住民は何も言わないで協力をする姿勢になっている。日本を見ていると、個人の立場(パーソナル・オピニオン)と公の場(パブリック・リレイション)を混同してしまい、公衆という立ち位置と個人の意見の境が明確にわかれていない。国会の討論を見ていても、野党議員は政権批判はするけども、具体的な政策案は出さないで、一議員の感情の見解を述べている。公衆という立ち位置で、何をしなくてはいけないかという位置で見解を持っていない。カナダにしてもアメリカにしても、そんな議会の姿を目にすることはない。国難というレベルで、どう終息させていくかに論点が移っているにも関わらず、個人的な感情を言って政権批判をする稚拙な行動はとっていない。国や地方行政は、非常事態宣言をすると同時に、経済保証と生活保障をどのようにして「国民生活を守るか」に議論が移って、政策としてどうしていくかに論点が移っている。
 報道にも大きな違いがあります。日本では、町中のインタビューで「学校閉鎖についてどう思うか?」「今回の政策についてどう思うか?」という馬鹿な質問を一庶民に求めているが、いったい何を聞き出そうとしているのかわからない。日本の報道で多かったのは、学校が休校で昼飯の問題と誰が面倒を見るのかを取り上げていたが、報道機関は公衆衛生という空間デザインが出来ていない稚拙な人たちが、庶民の感情だけを吸い上げて政権批判をしている、まったくナンセンスな話しである。公衆の安全を取った時には、個人の利益追求をどこまで自粛させるかが、大きな問題であるにも関わらず、個人の感情を抑揚させることが報道の任務と思っているのかわからないが、社会としては成り立たないことを報道機関が真っ先にしている。
 今回、日本の政治家のありかたとオールド・メディアの本当の姿が出てきたような気がします。国民目線や住民目線と言って選挙に当選した人たちが、庶民に寄り添う動きをしたのか? ある地方自治の長は、住民の財産で備蓄したマスクや防護服を中国に送った輩がいるが、どこを見てまつりごとをしているのか? まったく理解できない。
 今回、庶民の正常な感覚やモラルの高さに、日本らしさを感じました。このような、地方議員や首長が意味不明なことをしながらも、弾劾することなく。おおらかに庶民は、日々の生活を淡々にこなし、一生懸命に前に進む姿に日本の姿があると思います。ただし、まつりごとをする人は「公」という価値観はグローバルという感覚で行政をするのではなく、「日本民族と子々孫々に命をつなぐ」という価値観を持たなくては駄目だと思っています。そして、庶民も言論を商売(学者・芸能人)にしている人たちも、強いメッセージを出して間違ったグローバル社会を持っている人たちを、日本民族の目線で意見を言っていかなくてはいけない。庶民は、公衆を「日本文化のモラル」の範囲で捉えて日本人として生活習慣を持っている。メディアや政治家が、おかしなことをしても庶民生活や日本人の精神の部分で、社会を正常に戻している。そろそろ、意味不明なイデオロギーで生きている人たちを否定して、日本文化のまつりごとをする人を長に選び、日本人の精神に基づいた人を委ねなくては駄目である。

 

「日本は、闇の世界を一番に抜け出せる」

―いま北米では何がおきているかー

 いま、日本のほとんどの人は、明日の生活に不安を抱いている人と、先が見えない将来に怯えている人が多いと思います。今回の景気は、世界同時不況になり恐慌になります。北米との対比をすることが、正しいとは思いませんが、日本の労働者よりここの労働者の方が、厳しい状況だと思っています。なぜなら、トルドー首相の発表から、大量の職を失ってしまった人が出て、いつ公衆衛生の健全化がされるかわからない状況になっているからです。終息宣言か営業許可が出ない限り、庶民は仕事に就くことができません。それが、1ヶ月先なのか2か月先なのか、誰も見通しが立っていません。毎日、ニュースでは緊急の生活保護をするとは言っていますが、どこまで保証されるのか? 北米でも多くの企業が、1~2か月で倒産するでしょう。(このコラムを書いている最中に、さらにカナダとアメリカの感染が拡散して、コントロール不能になってきています。アメリカは、非常事態宣言を発表しました。ニューヨークに続き、カルフォルニアでも外出禁止令が出されました。今度は、バンクーバーでも起きるのではないかと心配しています。)
 この状況を暗くとらえるのではなく、明るい兆しで空間デザインすると、実は、武漢肺炎でいち早く抜け出せるのは、日本だと思っています。はじめは、中国から発生したものですが、韓国・日本と感染者が広がり、猛威を振るいました。その波は、あっという間にヨーロッパに渡り、イタリアとスペインはコントロール不能な状況にまでになってしまいました。その波は、北米に流れてきました。いままでは、白人社会はアジアの黄色い人たちの問題として見ていました。CNN・BBCをはじめ、ここのニュース報道は一ヶ月前までは、日本でのクルーズ船の対応の報道ばかりをしていました。ところが、ヨーロッパに感染者が拡大し、北米にも入ったとたんに彼らの世論は一変しました。いままでは、外国にいる自国の人たちを本国に戻すことに力をいれ、外国人を入れない外際作戦で疾病管理をしていました。いまでは、国内での疾病対策に切り替え、自国の安全保障のレベルの緊急対応に追われています。急遽、カナダとアメリカの国境を封鎖したのは、それが理由です。この国境封鎖は、9.11の数日間だけで、このような事態が起きたのは北米史において前例がないことが起きています。日本人の感覚としては、理解できにくいと思いますが、ちょっと強引なたとえで言えば、日本国内で、大阪と東京の行き来が出来なくなったことに近い状態が、北米で起きています。アメリカとカナダは、別の国だとは言っても、ほとんど兄弟のような関係で国という概念はあるにせよ、経済や安全保障という立場では一心同体(造語になりますが、一身同体と言った方がいいかもしれません。)であります。住民が、自由に行き来するのは当たり前のこととして生活が成り立っています。その兄弟の関係が、渡航禁止をしたことは北米の中でどれだけ、庶民感情のストレスになるか? 考えても見てください、名古屋を境に西日本と東日本の行き来を禁止したら、庶民感情はどうなるか? それが、いま北米ではじまっています。
 その渡航禁止が、いつ解禁になるのかがわからない状態が続くとしたらどうなるのか。どれだけ、兄弟関係であるのか、スポーツだけを見てもよく解ります。NHL(ホッケー)やMLB(野球)にしても、すべてアメリカとカナダがリーグで組んであります。そこに、関連する放映権と既得権益を見たら、今回だけカナダを外してリーグを組むことはできません。経済の側面からみても、貿易封鎖をしたらパニックになるでしょう。それに、アメリカ側から見てもカナダの市場を失えば、消費が出来なくなり過剰在庫をかかえることになります。アメリカ経済にとっても、マイナスになっていきます。
 それに加え、ビジネスや観光でアメリカとカナダの自由の渡航をしていた人が1~2ヶ月止まったらどうなってしまうのか? 航空関係・ホテル関係、すべてにおいて止まってしまうことになります。国境を挟んだビジネスにしても、頓挫してしまうでしょう。
 カナダとアメリカの国境封鎖は、カナダ人とアメリカ人にとって、大きな精神的なプレッシャーになっていることは間違いありません。
 前回の通信にも書きましたが、アメリカはCDC(疾病予防管理センター)によって政治・経済の対策が中心になっていきます。NHLは、ゲームが出来ない状態になってしまいました。MLBの開催延期もしました。昨日(3月19日)に、カルフォルニア州は外出禁止令がでました。さらにアメリカの主要都市で感染拡張になる恐れのある場所は、外出禁止令が出ます。日本の学校の休校レベルの話ではありません。大人ですら、外出が許可されないのですから。この状況が続けば、社会のパニックになることは間違いないと推測します。社会の経済活動を止めても、公衆衛生の疾病対策に舵を切ったことは、当分国際間の人の移動をさせないことを意味します。これにより、東京オリンピックは2020年に出来ないことは、確定したと見て間違いないでしょう。
 統計解析から見ても、武漢肺炎の拡大と終息は、アジアが早く拡散し終息も早くなるデータが出ています。今は、ヨーロッパで拡散して、この3週間(現在3月20日から3週間後)でピークを迎えていくと思います。感染下降は、4月中旬から下旬にかけて徐々に減っていくと見ています。そして、北米はヨーロッパよりも拡散が遅いので、4月に入ってからすごい勢いで伸びていくと推測します。(前回も書きましたが、北米は医療費が高いので、普通の人は病院に入ることが出来きません。どのような治療と感染を終息させていくのか、見当がつきません。いままでは、帰国者は軍が対応をしていたので民間の医療機関が、どのような形で対応をしていくのか、アメリカの中でも模索をしていると思います。)その状況からみても4月中旬から5月にかけてピークになり、5月の下旬から感染者は下降していくと見ています。カナダは、若干アメリカよりも波が遅いので、アメリカの拡散より1~2週間遅いかたちで、放物線の波を描くと思います。その間に、すべての産業が停滞して多くの失業者がでることは、避けられないと思っています。疾病が終息しても、会社が倒産しているので仕事場がないので景気回復には向かわないでしょう。北米は、9月から少しずつ景気を戻していき、産業を興してくれる投資家を必要としていくでしょう。ある意味、自国民を守るプチブロック経済がはじまると見ています。中国でのサプライチェーンでの産業は、排斥していくと思います。その時に、日本は今回の騒動で何を教訓にするのかが問われています。
 
 いま、日本は東京オリンピックが出来ないことを悲観するのではなく、来年か再来年にオリンピックをするという前提で景気回復の準備をする時期だと思っています。実は、この武漢肺炎によって日本は注目される時期がきます。それは、公衆衛生が世界の中で群をぬいて、一番清潔で治安のいい場所であるということを世界が知る時期がすぐに来ます。
 今回、世界は日本社会を注目しはじめます。そのときに、ビジネスのコンテンツを作って、国内外に進出するプラットフォームを作り、日本人の労働者と仕事をパックにした仕事のコンテンツを輸出するチャンスだと思っています。民度(モラル)の高さ。生活と仕事において公衆衛生、安全なものを提供する仕事観、医療水準の高さ。すべてに、おいての日本の産業が海外に出ていく機会だと思っています。国内産業は、安心安全のやすらぎの場(リラクゼーションの国・自然との共存で心と肉体の健康に改善する場)として、健康・観光立国にすることができます。大企業依存の貿易コンテンツではなく、個人の能力を輸出する時代が来ます。北米には、外食産業や医療産業や理容・美容のコンテンツ産業の進出もチャンスだと思っています。北米は、この恐慌でレストラン・ヘアーサロン・スパ美容サロンが大量に倒産します。そのスペースを買い取り、日本人を現地に送り仕事をすることで、新しい外貨の獲得するコンテンツができます。日本の中で働く発想を捨てて、仕事(時間をお金に換える作業)を海外に持っていくことで、金銭的な不安を持つことや将来を怯える必要はありません。発想をちょっと変えるだけで、いくらでもチャンスは転がっています。そこに日本人は注目をして、他国で日本の仕事をすれば、日本はどこの国よりも早く経済的に復活をすることができます。
 平成に、持っていた中途半端なグローバル社会の価値観(「みんな仲良く」とか「日本人は地球人」という得体のしれない思考)は捨てるべきです。あくまでも、民族の生存競争が始まっているという観点から、仕事づくり街づくり(地方の過疎化の問題・海外の日系コミュニティーが無くなっている問題)を進めることが必要です。そのためには、国の骨組みを変える大きな機会だと思っています。敗戦後の、WGIPの洗脳の脱却。国家観と国益の価値観の奪還。学校教育の改革、産業構造の改善、憲法の改憲。日本人の内在している精神に寄り添う社会システムに作り変える時期がきたと見ています。その意味では、今回の武漢肺炎は日本の姿を変える大きな分岐点になると思っています。
 平成の日本人は、その心を拝金主義と株主資本主義に委ねたことによって、物質的な経済だけを見て日本人が大切にしてきた価値観を置き去りにしてきました。それによって、家族が崩壊し地域社会が機能しなくなり、国(民族観や文化)としての単位で国づくりをしてきませんでした。それにより、日本人自身が何を基準において生活をしているのかわからない脆弱な民族になり、空洞化した精神は個人の人間形成の未成熟さにつながっていきました。本来の日本人の生き方は、自然との一体で「和を以て貴しとなす」という心優しい、人知の中で生きる社会を築き上げてきたところにあります。令和になり振り返ることは、先人が大切にした子々孫々に英知を継ぐ生き方に戻るべきです。そのためには、仕事と伝統を見直す時期に来ていると思っています。毎回、書いていますが日本には誠実と勤勉という、素晴らしい財産がありこれは、世界に通用する文化だと思っています。白人社会や中国人社会には、その価値観はありません。彼らの発想は、勤労を軽視する思想があり、歴史を振り返れば奴隷社会や拝金主義から文明を作ってきました。今回の武漢肺炎は、中国の拝金主義から生み出された経済戦争と覇権主義の戦いでもあります。世界は翻弄され、中国マネーによって倫理を失った人たちが、あぶり出された機会でもありました。
 これから、世界はもっと経済が冷え込み恐慌に突入していきます。そのときに、恐れることのなく日本人は、本来の姿に戻り「勤労と精神の一体化」、「勤勉と精神の一体化」で「国づくり」「まつりごと」をするべきです。日本は、2600年以上の文化と伝統をつなげる知恵を持っています。そこに、人類の英知が眠っていると思っています。