日本文化の逆襲

―はさみ・美容師編―

 最近、日本の20代の人たちと、日本とここでの働き方について話すことがある。そのときに誰もが、バンクーバーの賃金が高いことに驚き、「日本ではなぜ、あんなに賃金が低いのか?」を口にする。私も数年前から、あれだけ民度と労働モラルが高い民族が、日本国内において労働単価がなぜ低いのか、よくわからなかった。ここでカナダ人と働いたときも、日本人の労働の質や正確さ速さは、他の人種には負けないと思っていました。いまでも、日本人の労働の質やモラルは、世界トップクラスの労働価値だと思っています。にもかかわらず、なぜこんなに労働対価が低くなっているのか? 国内で働いている労働対価は、先進国の水準から見ても低く、日常生活がやっと送れる収入しか得ていない。日本国全体が、収入の地盤沈下をしている。先日も書きましたが、中国の都市部よりか安い賃金になっている。(前回、料理人の話しで中国の都心部の方が、日本で働くよりか高給になっている。)この問題は、掘り下げて考える必要がある。
 「なぜ、日本の労働単価は安くなってしまったのか?」 その大きな原因は、成熟社会が日本のデフレ構造をつくり、国内だけで解決できないところまで来てしまった。庶民は、物価に対する価値基準がなくなり、安価なものだけに目を置き、クォリティー(質)やレイバーコスト/Labor Cost(人件費)まで考えない社会になってしまった。長年に渡りデフレが続いたことで、国民全体が正当な価格を提示しても「高い」という錯覚に、社会は変わってしまった。一つの例だが、私が子供のころは、牛乳1ℓ220円だったが、いまは1ℓ100円で売られている。原価コスト・人件費・輸送コストを入れて、半額になるまで安価にさせる技術革新があったとは思えない。どこかにしわ寄せがきていることは、冷静に見ればわかる。民族全体が、まともなロジックで考えない社会になってしまった。これは、恐ろしいことで自分たちが自分の首を絞めている。いくら国政が介入したところで、デフレ脱却はできない状態にまでになってしまった。この20年で、北米と日本の賃金は逆転してしまった。ある国会議員は、最低賃金を上げることを提唱しているが。これは暴論で、それをしたときには、韓国経済と同じ道を歩み景気はさらに悪化する。仮に、最低賃金を上げて賃金の底上げをしても、壮年層の賃金がスライドして上がることはない。そして、中小企業の製造業は、大きな打撃をうけて倒産する会社が続出するでしょう。あるいは、倒産しない会社においては、若年層だけ給料を上げて先輩社員の給料をあげなかったときには、日本式の会社秩序は壊れ、嫉み怨みの集団になり、会社としての体をなさなくなっていく。
 このデフレ問題は、さらに深刻な問題をかかえている。米中の貿易戦争がエスカレートすれば、日本経済を直撃し、より景気低迷になっていく。着眼する問題は、成熟社会になってしまったがゆえに、昭和の消費社会で成り立つ社会構造でなくなってしまったことである。いままでのような、景気対策では解決できない状況になっている。
 日本は、高度成長期、バブル期、平成期は消費社会が柱にあり、大都市・大企業中心に「製造と消費」のサイクルで国づくりをしてきた。その結果、モノが飽和し北米以上に、大量消費社会になってしまった。モノがだぶつくことで、作っても買わずモノに価値を置かない若年層が増えていった。その結果、個人の購買力が落ち、生産しても売れない時代にはいってしまった。企業は、モノが売れなければ賃金を上げることもできず、個人収入が上がらないジレンマになっていった。この状況を脱するには、大きな社会構造のイノベーション(明治維新や敗戦直後の日本の社会変動)が起きない限り、日本国内はさらにデフレになり若い人たちの生活は困窮していく。昭和の賃金体系(終身雇用や年功序列のシステムでなくなる)が壊れていく中で、年収200万円の人がさらに増えていく。
 この状況を脱却するには、限られた方法しかないと見ています。1つは、明治維新と同等の社会変革をしてしまう。既存の社会システム(教育・企業文化の終焉・国政<現行の官僚体制>・IT化)を、強力な権限でかつ短期間で変えてしまう。当然、既得権者と革新の対立が起こり、社会そのものが血なまぐさい環境になるでしょう。ただし、この方法はいまの平和ボケをしている日本人にできるかは疑問である。それに加え、国づくりの空間デザインができる強力なリーダー(田中角栄のようなミッションを持った人)が、いまの日本から出てくるかも疑問である。
 もう1つの方法は、海外を利用する方法である。既存の労働力(技術やモノやサービス)を、海外に展開してプラットホームを作る方法である。大きな社会イノベーションを国内でするのではなく、持っている技術を海外に展開する方法である。<イメージ的には、世界の主要都市に人・技術を移してしまいJapanese Townを作ってしまう。> 実は、日本のモノ社会はポテンシャルが高く、世界から高い評価を受けている。そこに価値があることを、日本人は注目しなくてはいけない。それは、大きな市場になっている。
 世界を見渡せば、モノが飽和していない地域や国がたくさんある。日本のモノ文化が浸透すれば、その地域や国にモノ・サービス・労働(人)が輸出でき ➡ 外貨を稼ぐことができ ➡ 日本で働くよりも収入が上がり生活に余裕が出来る。平成の日本経済は、国内需要を柱にした産業構造で回してきた。海外に展開するより国内市場を中心にしたモデルにし、海外リスクを取らない安全運転の経営をしてきた。その結果、1億2000万の国内市場をターゲットにしたビジネスモデルしか作ってこなかった。そして、世界で何が起きているのかまったくわからない状態になってしまった。平成後期には、日本経済が低迷し、モノが売れない社会構造をつくり、同業者が狭い中で牌の奪い合いをしてきた。その結果、価格競争になり収入が減ることで、賃金を上げることができず、若年層に低賃金の提示しかできない労使関係になってしまった。そして、壮年層は賃金が据え置きになり、会社にしがみつき、リストラの不安と共に生活を送る負の連鎖が、いまの日本社会を蔓延している。
 この負の連鎖とデフレスパイラルを脱却するにはどうするか? その答えは、平成の仕組みを変えて、日本のモノ作り文化を、海外に輸出することしかない。令和は、発想の転換をして過去にとらわれない(過去を反省して、未来につなぎ。過去の既得権に引き込まれないことである)国づくりをすることである。国境を挟む特殊性はあるが、日本でしていることをそのまま輸出すればいいことである。昭和や平成は、モノだけを輸出していたが、令和は日本文化(労働モラル・生活習慣・食文化)を輸出して、外貨をつくる時代に入ったと見ています。
 その発想に立つと、いくらでも新しい産業が組み立てられる。60~80年代のような、大企業の護送船団方式のスタイルでは、世界に立ち向かうことは出来ない。昭和の外貨を作るモデルは、重工業を中心に外貨を獲得してきた。重工業(鉄鋼や造船)や商社ではじまり、家電や車産業に移り、大企業主導の貿易モデルであった。大企業が先頭になり、中小零細の企業がそこに製品を納めることで、護送船団方式で国全体が利益を得ていた。しかし、今日の世界情勢は、そのシステムでは太刀打ちができない。組織が大きいと小回りが出来ず、無駄な作業や実務が足を引っ張り、実利が取れなくなってしまった。世界は、早い速度で流行り廃りがあり、かつてのような時間をかけて組織の予定調和を取ることができない。巨大組織が足並みをそろえて、同じ方向に向かうことが時間的に難しくなってしまった。
 これからは、スリム化したスタイルで、最小の精鋭で実利を取るモデルに換えていく必要がある。日本の製造業は、そもそも中小企業が中心なので、実はここに大きなチャンスが眠っている。そして、日本国内の1億2000万の市場をターゲットにするのではなく、67億という世界市場をターゲットにしたビジネスモデルに変えていくことである。このことに気が付いている日本人は、非常に少ない。世界では、日本の中小零細企業のモノ作りが、注目を集めている。私は、10年以上和包丁の販売に携わり、北米での市場をつぶさに見てきました。どのように、拡散していくのか。どのように、物流になっていくか。包丁の物流システムから、日本人の弱点と外国人の長所を見ながら、どこで実利をとっているのか。そして、日本人が損をしている実態を明確にすることで、外国人に渡っている実利を日本人が取り戻さなくてはいけない。それをすることによって、日本人の実利が増え、中小零細企業の賃金上昇にもつながり、日本国内のデフレスパイラルの脱却につながっていく。

 まずは、国や地域が成長するときの概論から話していきます。バンクーバーを20年間観察してわかったことは、町から都会に発達すると、必ず2つの産業が伸びていきます。モノが社会に行き渡り、物質的に豊かになると富裕層の出現によって人は「美容」と「食」にお金をかけます。そして、2つの道具が必ず伸びていきます。私たちが忘れてしまった、日本の60~80年代の消費社会に立ち返ると、いま世界の各地でその現象が起きている。意外かもしれないが、北米の生活水準は日本のモノ社会より劣っている。アメリカを連想するとニューヨークやロスなどの一部の大都市をイメージするが、それはごく一部であり北米の大半は、日本ほどのモノ社会になっていない。日本は、北米の消費社会を抜き成熟社会に移ってしまったので、日本社会の過去を振り返ることで、日本で斜陽とされている産業が北米で復活することができる。北米には、巨大な市場が眠っている。さらに、世界というマクロで見れば、アジア・中東などは急成長し、消費社会予備軍になっている地域や国はたくさんある。各地域での富裕層が出てきているので、日本の60~80年代と同じようなモノ社会が世界各地で起こりはじめている。

 モノ社会がはじまると、以外かもしれないが「包丁」が売れていく。経済が成長すると食文化が上がり、庶民は外食が増え、連動してレストランの数も増えていきます。高級レストランが増えていけば、料理人がいいモノを持ちたいという願望で「日本の包丁」に憧れを抱きます。いまの日本包丁のブームは、それが背景にあります。(対照的に日本国内では、日本人は包丁をほとんど買わない時代になってしまった。モノに対しての興味がなく、若い層の購買力がなくなってしまった。国内で売れているのは観光客で、内需の拡大といっても日本人の需要が伸びているわけではない。)
 いま北米を見て感じることは、日本の80~90年代のモノ社会が再来していることである。そこから見えてくる、もう1つの産業は「理容・美容」で、それらに付随する道具である。国が豊かになると、女性はファッションにお金をかける。ファッションというと、服や靴や化粧品やバックばかりが注目されるが、決して、それだけではない。目に見えないモノやサービスが伸びていく。バンクーバーの過去を見ると15年前は、高級ヘアーサロン店は数えるほどしかなかった。当然、ヘアスタイリストも何十分の一しかいなかった。それが、自分に合ったヘアスタイリストを見つけ、そこの常連客になることがステイタスになっていった。そして、ヘアスタイリストは自分にあった道具を使う時代に入った。近年は、爪のファッションをするネールアートによって、爪を加工するネールニッパーも消費する時代にもなった。15年前には、想像もしなかった産業が突如として出てきた。
 ここに大きな、市場が眠っている。国内で賃金のデフレに苦しんでいる美容・理容用の製造業やヘアスタイリストは、海外に視野を向けるべきである。ちょっと蛇足ながら、いま北米で起きている現象は、日本人のヘアスタイリストが人気になっています。日本人は、器用で繊細かつ労働モラルが高いので、日本人に髪を切って欲しい人が増えている。
 話しを道具の世界に戻します。北米は、なぜモノ社会になっていないか? その理由は、道具に対して価値を置かない社会慣習がある。それに、あまり匠の世界を理解していない。なので、ハサミやネールニッパーを拝見すると、想像を絶する質の悪い道具を使っている。中国産やアメリカ産のモノを使い質の良し悪しが理解できていない。ここに、日本製の道具(ハサミやネールニッパー)のポテンシャルがある。包丁ばかり注目されているが、次は日本の理容・美容が世界に出て行く時代に入ったと見ています。そして、日本のヘアスタイリストの輸出も考える時期に来ている。日本国内では、低賃金で労働環境が悪く、人生に希望が持てない20~30代は海外に出て行くべきである。令和は、モノとサービスをパッキングにしたプラットフォームを作り、新しい貿易スタイルにしていくべきである。

 Vancouverの人口状況 生活状況

 バンクーバーは、10年前から「世界で住みやすい町ランキング」で注目をあび、移住者が毎年増え続けている。2010年にバンクーバー・オリンピックをしたことで、世界に広く知れ渡り、世界中の人に注目されるようになった。その理由として、自然環境がいいのと平穏な生活をおくりたいという人がバンクーバーに興味を示した。(「安全」「医療完備」「インフラ」「マルチ文化・環境」「自然と商業地の融合」「教育」が整っている環境で暮らしたい願望。)この条件をみたしたところに、移住者がふえている理由がある。(アメリカは、常にテロとの戦いの危機があるため「安全性」がかけている。年配の富裕層などは、その危機管理からバンクーバーの不動産を買い、いつでも移住できるようにセカンドハウスを所有している。)
 8年前ぐらいからは、中国人を中心にした外国人が急激に増えて、メトロ・バンクーバー(バンクーバー市を含む15市からなる居住区)に毎年1.5万人近くが移民になり移住している。Richmondという市は、人口20.8万人に対して2/3までが、中国人であふれている。中国共産党の幹部やビジネスで利益を得た人たちが、急増して1つの市がチャイナタウン化している。ほとんどが、富裕層で「裸官マネー」を中心にした人である。旧市街地にあったチャイナタウンとは、まったく別の経済のため旧市街地のチャイナタウンは、どんどん疲弊していっている。また、昔から居る中国系の移民と2000年以降から入ってきた、中国移民は世代・所得の格差が違うため、別の生活空間・社会システムを作っている。
 バンクーバーの人口は、自然増減数(出産数―死亡数)で言えば横ばいで増えていない。それにも関わらず人口が増えているのは、移民が大量に入ってきているからである。グレーター・バンクーバーの人口分布図をみると、前年比15%前後、毎年のように増え続けている。カナダは、住民票が無いため正確な数値が出ていないが、家族移民・留学生を含めるとこの数値よりも上になる。300万から350万規模の経済マーケットがここに存在する。日本で言えば、大阪市(273.8万人)横浜市(374.8万人)の規模に匹敵する。
 バンクーバー経済の注目するところは、市街の経済循環で成り立っていないことである。常に外貨が入り、従来の経済循環とは別のところでキャッシュが動いているので、つねに富裕層が固定していることである。その背景もあり、Hair Salonやレストランはこの5年で数倍に増えた。

 美容・理容用のはさみの状況

 プロの使用する、ハサミは日本に比べると質がとても低い。市場に出回っている価格帯で、CD$30~CD$250の間のモノが販売されて、高価なものは販売していない。ここでの理容師のはさみの単価は、CD$100前後である。きれなくなったら、新しいものを購入して古いものは捨てるという循環でハサミを使用している。(メンテナンス・研ぐ職人がいないので、研ぎに出してもほとんどの場合、刃をおかしくしてしまい、切れ味がまったく違ってしまう。ハサミを研ぐサービスはあるが、クオリティが低く素人とさほど変わらない。あまり、メンテナンスに対しての保障と信用がない。)
 なぜ、日本のハサミが浸透しなかったのか? かつては、理容師の収入は高級でなかった。1部の高級Hair Salonだけが高収入だったが、ほとんどのHair Salonのカット代CD$20~CD$30のレベルであったため、高価なはさみを持てなかった。庶民も15年前までは、ファッションにお金を使う人はほとんどいなかったので、ヘアーカットにお金をかける意味が解らなかった。それが、ここ数年で大きく変わりセレブが増えたこととパティーや高級レストランが増えたことで、身だしなみを綺麗にすることにお金をかけるようになった。高級Hair Salonを利用する人たちは増え、理容師の方にもキャッシュが回るようになってきた。(カナダは、チップ制があるのでヘアスタイリストにチップが入る。ヘアーカット代の単価が高くなっているので、チップも比例して上がっている。30代の人で、チップで月10~20万円手にすることもある。)
 ただし、ヘアスタイリストの現状は道具に対し価値観の変化はまだ起きていない。いまだに安いものを使い、切れなくなったら、捨てるというサイクルが続いている。北米に限らず海外の人は、道具に対しての価値の比重はとても低く、道具にお金をかけることはしない。日本人には理解できない概念だが、道具信仰は日本人の特殊な性格なのかもしれない。いい道具をそろえて仕事に入るという発想は、ヨーロッパの一部の人たちは共通する認識だが、世界のほとんどの人は、その価値観を持っていない。包丁のときもそうでしたが、道具をToolとしてみて、良質の道具を使うことによって利便性や効率性・安全性などをまったく考えないところがある。日本人がなぜ、いい道具を使いいい仕事をするか、この根本の理屈が解っていない。(ある意味、文化的な大きな壁があると見ている。)

 北米での将来性

 北米で、日本の高級ハサミが普及しなかった理由は、大きく分けて2つの理由が挙げられる。

■ 道具に対して興味を示さない。付加価値を求めない。消耗品として考えている。
■ 研ぎのサービスがないため、高級品を手にしてもメンテナンスが出来ない。

 先にも話したが、海外の人たちの1つの特性として、道具に対して深い意味を求めない。根底に流れている価値観は、消耗品と捕らえ高い金額を払って購入する発想が無い。(この関係は、国の経済発展とリンクしていると見ている。) どの業種(料理人・大工・ヘアスタイリスト)にも言えることで、道具に付加価値を求めない。しかし、経済が発展すると仕事の質と速度が問われてくる。行きつく先は、いい道具を使わないと高級な仕事が回ってこないことに気づく。日本のメーカーや海外で販売している人の大半は、このロジックや外国人のアイデンティティを理解していない。
 まずは、メンタルの部分での改革が必要である。高級時計や鞄のように、高級品・ブランド品としての地位を確立すれば、持っているだけでステイタスになり、道具がモノでなくブランド品になっていく。ブランド品を身に付けることによって、自分たちの仕事の意識レベルが高まり、深い興味を示すようになる。ある意味での隙間産業がここにある。
 高級ハサミを1度プロの人たちが使用した場合、安いものには戻れなくなる。切れたときの感覚や持ったときの感覚は、短期間で理解できる。ハサミは、包丁よりも道具として良質・粗悪が肌で実感できるので、プロの人たちに広がるのも早い。(プロとして使用したときに、「切れない」という、ごまかしがきかない。なによりも使用している人の手に馴染み、使い勝手がいいか悪いかがすぐに出てくる。手の疲労度も軽減できるので、いいハサミを使うことは自分の健康管理にも役にたつ。この認識が広がれば、多くのユーザーが高級ハサミを使う意味を理解する。)
 まずは、意識を変える必要がある。使いやすさを前面に出して、肌で実感してもらい使い心地の良さを理解することで、文化の浸透がはじまっていく。その流れを1年続けていけば、必ずバンクーバーで日本の高級ハサミが根付く。まだ、日本のメーカーも本格的に販売していないので、ほとんどの人たちが日本の高級ハサミについてよくは知らない。

 カントリーリスク・海外展開

 日本のハサミ業界が北米に出てこない背景は、リスクを取ってまで海外進出を考えていない。それに、海外市場をまったく理解していない。委託販売で終わっている。

■ どれだけ調査費が必要か?
■ どこの街で、テストマーケットが出来るのか?
■ 直接投資でするのか、委託販売で展開するのか? (ほとんどのメーカーは、委託販売をしている)
 日本サイドは、上記の段階で躊躇している。これから先を見たときに、北米進出の先行投資は不可欠だと思う。カントリーリスクを考えるときに、いろんな状況を想定しながら企画をしていかなくてはいけない。日本のメーカーの根本の問題は、現地を調査する能力がない。一部の海外展開しているメーカーは、商社や現地のバイヤーに丸投げをして任せている。それをすることによってのプラスとマイナスがある。プラスは、現地調査をせずに調査コストがかからない。売れようが売れまいが、製造元は損にはならない。マイナスは、一部の白人や中国人の収益になり、長期的なメーカーの展望とはつながらないので、短期で終わっているケースが多い。日本のモノ作りの伝達にまで至っていないため、大きな広がりがなく、現地には根付かない。メーカーは、海外において長期的な展開を考え、モノだけを送る貿易はやめるべきである。たんなる物流は、昭和的であり、白人や中国人の小遣い稼ぎにしかなっていない。
 さらに最悪なパターンは、商社を使い薄利多売のビジネスをしている場合である。メーカーは、商社の下請けになりになり、さほど利益がでないビジネスモデルになっている。商社を介した場合、現地での下代の規制ができないため、日本の定価の6~7割で売られている場合がある。そして結果として、自社のブランド価値を落とすことになる。
 それに加えて、商社を介すると、下記のような物流になる。まず現地のサプライヤー(他人種)から商社に発注が入る。その発注を受けて、商社がメーカーに発注をする。メーカーは、商社には卸すがどこで販売し、誰が売っているのかわからない。この落下傘方式での販売は、下代のチェックもできなければ、行き先もわからず、海外でどう展開されているのかまったく知らない。

 

カントリーリスクの一番の問題
為替の問題 (円高の危険)
現地駐在員を置く (知識をもったプロがいない。転職率が高いのですぐに辞めてしまう。)
輸出関税+輸送代  (円高になれば乗数的にコストがかかる。)
PL法 製造者責任 賠償やクレームに対しての対応 (製造責任を問われる裁判になれば、億はかかる。損害賠償とクレームが、日本人とは違う。)
模造品への対応 (近年、中国製による模造品が多く出回っている。)

 ―海外の展開するにあたりー

 メーカーは、海外状況を理解してどのように戦略をするかである。

■ 日本サイドは、技術を輸出する。(モノとメンテナンス)
■ 現地在住者は、販促と法律を担当して、顧客管理をつくる。<守って・攻める体制>

 この分業システムを作ることで、日本人が100%実利を取るシステムができる。メーカーの欠点であり弱点は、海外の実態を知らないことである。言語のコンプレックスと外国人優越感情のために、実利を取る物流システムになっていない。現地の日本人とタッグを組むことで、この障害を乗り越えブランドと価格を守ることができる。そして、他人種に実利を盗られずに、日本人に還元するビジネスモデルになる。これからは、日本の製造業界の主流がこのかたちになっていく。ただ単に、モノを輸出するだけでなく、日本人の技術も売っていく。

 製造➡物流➡販売➡メンテナンス

 これを一貫にした、日本人だけのハサミ村を作っていく。このサイクルが確立すれば、他人種を介さなくても自らの手で、市場を作っていくことができる。彼らに委託している仕事を、日本人の手に戻すことで日本人に実利が回ってくる。分業にすることで、日本サイドは海外業務の労力とコストを半減することができる。海外人材育成のコストと現地の調査コストを考えたら、どれだけコストダウンができるか。海外の進出は、長期戦かつ防護をしながらのマーケット作りが必要になる。そして、常にカントリーリスクがつきものである。

 海外に展開するときに、2つのコンセプトが必要になる

■ 道具のブランド化 (ブランドとしての付加価値・価格に相当する価値・健康面での価値)
■ 研ぎを含めたメンテナンス (長期の単位で使用・壊れたときの不安を払拭)

 海外に進出するときに、一番の大切なことは日本人の特殊性をどう活かすかである。労働価値の高さと、他人種には真似できない技術「匠」を全面に出すことである。そこに高い付加価値がある。日本製という「道具神話」を植えつけ、その意識改革をすることで、使用者が勝手にブランド化して自分たちのストーリーを作っていく。利用者は、日本製を使うことで、健康上(腱鞘炎などの職業病)や利便性・仕事率が上がることを実感する。ヘアスタイリスト全体の10%~15%の利用者が出てきたときに、自然発生的にユーザーが増えていく。
 メンテナンスに関しては、圧倒的な技術を見せることで日本人の神話性を植えつけることができる。販売だけでは、このビジネスは成立しない。高級ハサミは、アフターケアーそのものに価値がある。他人種にはできない、圧倒的な技術と信用が、彼らを絶句させる。これは、包丁の世界で証明されているので、彼らにもすぐに理解する。高額なモノを購入しても、日本人の技術とモラルで不安を払拭することを約束すれば、彼らは絶対的に日本人を信用する。これは、中国人や北米人には出来ない日本人特有のポテンシャルである。

 空間デザインができない日本のメーカー

 5年前から、日本のメーカー何社かに海外進出を呼び掛け、内需から外需のシフトをすることを提案したのですが、どこも理解してくれるところはありませんでした。私が不思議に思ったのは、2020年以降国内販売だけで成立するのか? 去年、東京商工リサーチによると「過当競争により、美容室の倒産が過去10年で最多に迫る」という記事が出ました。これから、国内の理容・美容用ハサミは、需要が落ちる時代が来ます。人口減少と少子化によって、ヘアスタイリストが飽和し、成り手が減っていき他社との激戦となり、価格競争になっていくことは間違いない。
すでに、国内のヘアスタイリストの20代は離職し、転職が増えている。原因は、何年働いても給料が上がらない現実。先輩たちが、リタイヤしない限り若い人たちに仕事が回ってこない現実。下積みの仕事をしても、将来希望が持てなくなっている。ハサミが売れない状況が、じわじわとはじまっている。メーカーは、明確な方向性が無いなかでモノ作りだけに特化している。実は、この問題が日本の中小零細の企業の弱点になっています。複合的な空間デザインできない中で、未来予測をせずに「いいモノさえ作れば売れる」という過信が、メーカーの命取りになっている。日本には、いくつものメーカー(販売店・代理店)があり、その中で熾烈な競争をしながら販売をしています。小さな市場のなかで、牌の奪い合いをしているのが、いまの日本の製造業の大きな問題点でもあります。
 実際に、メーカーと話したときに、日本での販路とカナダの販路のシミュレーションをしてみました。

図にあるように、半径20kmの円の市場を比較したときに、どれくらいの違いがあるのか、具体的な数値を出してみた。国内は、このエリア(扇形の中)で他のメーカーとの競争をしていかなくてはいけない。しかも、日本製になればクオリティは、差ほど変わらない。結果的に、人口数と面積は同じでも、小さな市場になっている。メーカーは、そのエリアだけでは補えないので、販路を広域にして営業人材や支店を置いて販促をしている。その結果、最低生産量を維持するために、営業にコストをかけ不必要な出費を出している。これが、いまの日本の製造業の実態である。
 それに対して、バンクーバーは人口数と面積は同じでありながら、競争相手がいないことで、独占市場になっている。過剰な営業や訪問サービスをしなくても、ユーザーが持って来るので外回りの営業人材を置かなくて済む。不要な人材を抱えないので、労働単価を上げることができる。そして、本当の仕事の差別化が明確にできる。競争相手がなくなることで、どれだけ不要な仕事がなくなるか。カントリーリスクと貿易のリスクは出てくるものの、全体の収益で考えたらどれだけのプラスが得られるか。海外は、価格競争にもならなければ、牌の奪いあうこともない。横浜市と同じ市場が、独占状態が手に入るのである。
 冷静に考えたら誰でもわかるロジックである。その空間デザインが出来ないのが、いまの日本人の姿である。海外という特殊な、バイアスをかけることによって、シンプルな構造を見落としてしまっている。過去にとらわれないで、現実を見て新しいデザインをすることが、いまの日本人に求められている。
 なぜ他人種は、日本人が気づかない価値を発見することができるのか? その答えは明確で、彼らは自分たちに無いものを、日本文化に求めている。そして、彼らはすぐに商売につなげ、日本の文化をお金に換える嗅覚を持っている。こんなことを許している民族は、日本人ぐらいしかいない。中国人であれ、インド人であれ、ペルシャ人であれ、自分たちの文化を他人種に委ねて商売をしている民族はいない。(中国の古物商や漢方屋は、必ず中国人が商売をしている。中華料理屋は中国人しかしていない。インド人は、インド料理屋をしている。絨毯屋は、ペルシャ人が経営をしている。)自分たちの文化を、簡単には手放さない。各々の文化をビジネスにしているのは、その民族の既得権である。それは、他国で生きるための知恵を民族の中で受け継いでいる。そろそろ日本人が、気づかなくてはいけないのは、自分たちの文化が何たるかである。そして、世界で何が付加価値であるかである。

 北米全土の進出 ―北米は世界のアンテナショップになっている―

 バンクーバーでの基本のビジネスモデルが確立した場合、北米全土の進出も可能である。バンクーバーは、コンパクトシティー(住宅地・商業地・娯楽施設が凝縮した町)でもあり、北米の中でもファッションや食文化の水準は高い町なので、北米のビジネスモデルを作るのは適した町である。バンクーバーで成功モデルをつくれば、北米のどの町に出しても失敗することはない。アメリカの主要都市は、人口も多いが広域なので、営業や販売をするのには初期投資が倍は掛かる。広域であるがゆえに、認知されるまでに時間もかかる。
 その意味では、いくつものメリットがバンクーバーにはある。ここで、メンテナンス・顧客管理・販売の3つのコンセプトを1つのパッキングにして、プラットホームを作ればつぎへの展開ができる。まずは、バンクーバーでビジネスモデルを確立して、研ぎの人材と販売の人材を育てカナダの主要都市に、メンテナンスと販売の拠点を作る。そのモデルが確立することで、アメリカの主要都市に広げることができる。日本のハサミメーカーは、北米の巨大市場に目を向けていない。その大きな市場に、まだ中国人や白人は気づいていません。このことに気が付くのは、時間の問題です。彼らが気づけば、包丁業界と同じようなことになり、日本人は実利を取ることができずに、また他人種の投資の道具にされてしまいます。

人口総数を見ても、日本の3倍に近い市場があります。そして、人口は増えています。

カナダ人口 3800万人
アメリ人口 2億5000万人

 この市場を、日本人の手で取ることが必須の課題だと見ています。この市場をとることで、日本が抱えているデフレ脱却にもつながり、若い人たちの希望のある人生にもつながる。北米での市場は、世界に繋がります。東京で有名になっても、世界にはつながりません。世界のアンテナショップは、北米です。そして、北米の中でもノースウエストコーストは、特殊なエリアとして見られています。このノースウエストコースト(北西海岸地域、バンクーバー・シアトル・ポートランド)は、北米でユニークな地域とされ新しいビジネス、会社が生まれた場所です。(いつか、ノースウエストコーストの特殊性については、コラムで書こうと思います。今日は、さわりだけ。)そして、それらの会社は世界に飛び出していきました。有名なところでは、マイクロソフト・ボーイング・ナイキ・コストコ。近年は、バンクーバーからルルレモン(lululemon ヨガなどのスポーツウエア)・アークテリクス(Arc’teryx アウトドア・ウエア)・ハーシェル(Herschel 鞄)が世界に出て行きました。日本のモノ作りに近い文化が、ノースウエストコーストの土壌にはあります。ここから、他人種とのブランド化と販売方法を勉強し体系的にすることで、世界に出せるモデルを作ることができます。それは、ハサミだけでなく他の「匠」文化を発信することもできます。ここを上手く使わない手はありません。令和は、新しい時代の始まりだと思います。