日本文化の逆襲 (農業編Ⅰ)

コミュニティー菜園から農業シンクタンクへ

 海外に住んでいると一番苦しむのは食事である。最近は、ボーダレスになり日本食材も昔に比べると手軽に買える時代になったが、それでも日本野菜を入手することは難しく代用品で日本料理を作っている。10年前の話しだが、自分たちで日本野菜をここで育てて、日本と同じような食にしたいということから、友人たちと近くで菜園が出来る場所がないのか探していました。バンクーバーは、中心部から車で30分~40分走ると、広大な農地エリアになり、都会と自然がコンパクトになった街づくりになっているので、簡単に見つかると思っていました。しかし、実際はすぐに見つからず条件に合った場所との巡り合わせはなかなかありませんでした。半年近くたったときに、偶然にも知人の紹介で貸してくれるという人が見つかり、友人たちとその場所を見に行くことになりました。以前は、農地だったのですがオーナーの意向で体育館とテニスコートを作り、残ったスペースを芝生の状態にした場所でした。芝生の方は、サッカー場を一回り大きくしたスペースで、何も使用していない状態だったので、「もし、よろしければここを使ってください。」ということで、一部を菜園として借りることになりました。



 はじめは、ひとつめの写真でもわかるように特殊な機械を使い、絨毯をはがすように芝生をはがすところからはじまりました。芝をはがれた場所は、良質の土が顔を出し、それを耕しているのがふたつめの写真です。そして、幾つかの農耕具を揃え、それを置いておくための小屋を作り、誰でも自由な時間に行って使えるようなシステムにしました。簡単に耕せるための小型の耕作機も揃えて、気軽にプチ農業が出来る状態をつくりました。スペースは小さくても、農家と同じ作業が出来る状態にはなりました。当初は、友人たちと自家農園をする楽しみとコミュニティーを主体にしていました。それから数年経ち、当初のメンバーは高齢になり作業が大変だということで、ほとんどのメンバーは退会して、いまは一般の参加者を募ってコミュニティー・ガーデンとして活動をしています。最近は、若い人たち(学生やワーキングホリデーで来ている人)が菜園をしたいという希望者が出てきたので、若い人たちにも貸し出して菜園をしています。今現在もコミュニティー菜園としてやっていますが、「数年前から、かたちを変えて出来ないものか」と考えるようになりました。

 ■ 1つは、この場所を使って日本の農業のシンクタンクが出来ないか。
 ■ 2つ目は、近年の留学生の質の低下や留学そのものを考える教育のシステムの1つになることはできないものか。



 コミュニティー菜園としてやっている傍らで、いろいろなデータを取ってきました。いまは、小スペースで実験も含めてしているが、いくつもの課題が残っている。素人の実践なので、経験値が足りず農法や技術的な失敗をしても解決方法がわからずに続けている。そこに、専門知識と経験がある人が加われば、技術的な改善をすることによって天候被害の対策や害虫の問題を解決し、生産量を伸ばしより良い収穫量のデータが取ることが出来ると見ています。いまは、小さな耕地面積で仕事量と収穫量と土壌の関係を調べている。次に、このデータを数式に入れて、耕地面積を拡大したときの仕事量と収穫量の関係をデータ化し、北米で日本の農業ができるのか仮説を立てながら、次世代の農業を考える場にしたいと考えています。将来、日本の農業(現地生産)が進出したときに、ゼロからのスタートは莫大な資金と時間がかかってしまうが。ここで試験農場をすることで、小資本で青写真を作ることができ海外市場の実態調査をすることもできる。いまは、本業の傍らで菜園をしているので、そこまで踏み込んだデータを取ることはできていない。
 しかし、本業の関係でバンクーバーでの食文化の調査はしてきました。長年に渡り、バンクーバーの食文化の移り変わりのデータを取ってきました。外食産業の変化・日本食材の関係や庶民の日本食に対しての価値観。これからどのような日本食材が、需要があるのか調べてきました。このプロジェクトは、日本の農業技術を輸出して、バンクーバー市場をつなげることで、新しい日本人の働き方に出来ないものか? 現地で生産と販売を通して、次世代の日本の農業を考える場にし、いまの日本農業の問題を海外から提議したいと思っています。


 このバンクーバーという町は、北米の中では類をみないほど食文化のレベルは高い町になっています。アメリカの大都市は、食文化の意識が階級格差で明確にわかれている。異文化の食材を受け入れる層と受け入れない層がハッキリしているので、アメリカで日本食材を販売したときに、広く均一に販売していくのは難しい。ニューヨークやロスやカルフォルニアなどの大都市は、日本食ブーム (寿司やラーメン)のいいことばかり日本で報道しているが、それは一部の層だけの話しである。富裕層は、多国籍の料理を堪能することを知っているので、日本食材の需要もある。大都市でも中流層から下は、自国の食文化になっている。一例にはなるが、内陸の方に行けば、一般の庶民が食べているものは、アメリカンフードであり他国の食に触れることはない。いまだに、ファーストフード(バーガーとポテト)やピザと炭酸ジュースで食事を終わらせている人が多く、庶民の大半が牛肉とポテトとパンの食文化になっている。(北米の田舎に行くと、アメリカンフードとメキシカンのレストランしかなく、日本食(寿司)を食べる機会すらない。)
 それに比べると、バンクーバーの庶民の食文化のレベルは高く、7~8割の人が寿司を口にしている。いたる所に寿司屋があり、スーパーですら普通に寿司を売っている。アメリカやカナダの田舎の町をみても、そのような光景を目にしたことはない。レストランのメニュー(バンクーバーのカナディアンのレストラン)を見ても、普通に日本食材を使い、どのレストランに行ってもメニューに日本語で日本食材が出ている。(ローマ字の記入であるが、数年前までは、「Japanese Lemon」としてゆずを記入していたが、近年は「Yuzu」という言葉が英語化されている。)バンクーバーという街は、富裕層から庶民が普通に日本食に触れることができる場になっていて、寿司がバンクーバーの郷土フードになっている。ある小学校では、寿司がカナダ料理だと信じている子たちがいるほど、寿司というものが身近なものになっている。ある意味、この街のフードカルチャーを研究すると、ノースアメリカの日本食の未来を予想することができる。(今回は、深くは触れないが「食」という題材の時に、「ノースアメリカの日本食」と「日本食の未来」について詳しく触れたいと思います。)このバンクーバーの特殊性を活かす必要があると思っています。実は、この特殊性に気づいている日本人はほとんどいません。日本から来る商社マンやビジネスコンサルタントは、表面上のビジネスのそろばん勘定は出来ても、文化の浸透がどのような経緯で流れているのか理解していない。そこにフォーカスをして、見ていくと、この街の特殊性とノースアメリカの実態が見えてくる。それに、この街は日本の食文化を受け入れる土壌が出来ている。

 話しを農業に戻します。日本の農業を議論するときに、国内状況ばかりを議論をしていますが、海外から日本農政や農業の将来を考える必要があると思っています。海外市場を知ることで、日本の農業のかたちが見えてくる。日本の農業の技術は、世界トップレベルです。狭い敷地で、最大の収穫量を出すノウハウを持っているのは日本の農業技術です。品質においても、糖度や味の濃い農作物を作るノウハウも持っています。北米の農業は、大型農園で大量収穫を主とした農法でしているので、野菜や果物の味は大味で深みが浅いのが特徴である。ここに大きな対立軸を置くことで、高品質の味と濃い味の野菜を作ることで、北米に農業革命が始まるとおもっています。日本には、数多くの農学部がありレベルの高い研究をしています。それらの研究が、ほとんど実践で生かされないで他の職業に就いて、その技術と経験を捨てている人が多いと聞きます。若いときに得た知識や経験を、卒業しても次の人生につなげないことが、どれだけ無駄なことをしているのか。学業と就業を分断化するこが、国という単位で考えても民族の弱体につながっているように見える。
 そして、もう1つの問題は、国内をみたときに市場が小さく既存にある農家ですら生産しても採算が合わない実態がある。農協をはじめ、既存団体が若い世代の新規参入をできにくくしている。若い人たちが、農業に興味を持ってもなかなか生活と収入が一致できず、受け継げない現実もある。この悪循環を、海外から問いただすことができないものか?
 日本の農政は、「日本で収穫したものをどのように海外に輸出するか」 そのことばかりが議論になっているが、一番の大きな争点は「若い技術者や先端の技術をどのように生かしていくのか」この論点がぬけていることである。国内市場で、いくら高い技術で高品質なモノを作っても二束三文しかならない状態で、デフレを脱却すること出来ない。生産性を上げて海外に輸出することになれば、検疫の問題・パッキングの問題・配送時間の問題・為替・輸送コストの問題をクリアーにし、物流のシステムにのせなくてはいけない。この組み合わせをクリアーにすること事態、至難の業である。そもそも農産物は単価が安い。そこに、物流コストがかかってしまえば、生産者の実質実入りが少なくなる。円高にもなれば、いつでも赤字に転落してしまう。冷静に考えれば、誰でもわかる簡単なロジックを難しくし、日本人の手でデフレを更に作ろうとしている。日本農政のロジックは、ここを無視したところから成立していることである。そもそも大学や農協は、助成金や補助金などの税金を使い、品種改良と高度技術を開発してきた。この品種改良と高度技術が、国の資産である。それをどのように活用するのか空間デザインが出来ていない。海外から見ていて、すごく不思議に思うのは、プライオリティが解っていずに税金を垂れ流していることである。一番の価値があるものは「若い技術者と先端の技術」である。その価値を、どう高めて次世代につなげていくのか。これこそが大きな課題である。しかし、既存のシステムは古い体制を守り、次世代にバトンを渡していない。結果として、研究開発と品種改良はするが、採算が合わなければ技術はお蔵入りし、次世代の担い手を育成することなく終わってしまっている。これが、日本の農政(大学・農協・農林水産省)が改善せずにきた、大きな闇の世界である。
 外国人は、何が価値あるのか一番理解している。一部ではあるが、日本の畜産技術や農業技術が、外国人の手に渡り巨額の利益を上げている現実(オーストラリアの「WAGYU」や韓国のイチゴ品種盗難など)がある。日本の技術が、他国に取られて終わっている現実を見なくてはいけない。この実態を包括的に捉えて、国内で出来ないことを海外で実験し「若い技術者と先端の技術」を活かす場と世界の農業問題を考える場を作らなくてはいけないと考えています。

 いま、蓄積しているノウハウを海外で実験して、若い人たちが技術を理解し、その技術をどう未来に見出していくのか。この農業シンクタンクを立ち上げる大きな目的は、海外の現地を見て知ることである。日本で実験をしても、既存団体と物流のシステムが大きな弊害になり、なかなか前に進めない。それに加えて、地方の農政は年配の層と若い層で意見が対立し新しい取り組みをすることすら難しい。しかし、海外はゼロからのスタートなので、しがらみや対立がないので、既存の既得権とぶつかることもなくスムーズにことは進む。そして、よりフラットな立場で現場を見ることができる。海外で生産することのメリットは、現地の適正な価格で取引が出来ることである。貿易ではないので、為替の心配や輸送コストがかからない。現地を知ることで、利益が出るものと利益にならないモノの選出が現場で采配できる。バンクーバーという町は、カナダの西の玄関口になっているので多くのアジア移民が住んでいる。近年は、中国人が急増しアジア野菜の需要が伸びている。そして、日本国内ほど物流が複雑化していないので、収穫した野菜が仲卸を通さずに販売でき、生産者にダイレクトに実入りが入る。(仲卸システムがないので、基本的には農家が小売店やレストランと契約をする。もしくは、夏になるとファーマーズマーケットに出店して、自分たちの野菜を直売する。)
 これからの日本の農政は、異文化社会を舞台にして最前線のデータを取ることである。他人種の味覚や料理を知ることで、需要がある野菜と需要が低い野菜を知ることができる。海外で技術の実践をして、生産と市場の関係を知ることである。このシンクタンクは、日本国内では出来ない実験をして、学生だけでなく地方の農業に携わる若い人たちにも参加するシステムにする。そうすることによって、各自治体の農政や各大学の枠を超えた技術と情報の共有の場になり、日本の若い人が世界を視野にいれた日本農業を展開すれば、国益にもつながっていく。

 2つ目の提案は、海外で自立する教育機関ができないものか。日本から来る20代~30代の人たちの質が、あまりにも低い現状は、無駄に時間とお金を消費し、結果として、日本人を弱体化させていっている。既存にある留学エイジェントは、日本人をダメにするモデルの代表である。外国に来て、「なにを心で感じ」「どんなシンパシーを持つのか」。その心の波動によって、人間力を高めなくてはいけない。無気力と排他的思考は、多文化の人たちと対等に渡り合って生きていくことは出来ない。いまの日本人の人間力の低下は、これからの民族の生存競争に戦える力(戦争や暴力で戦う意味ではない。)を持っていない。敗戦後の日本は、中途半端な全体主義(希薄な人間関係)と責任を取らない自己主張(Only Oneや自由を謳歌する)を中心に教育をしてきた。これからの時代は、洞察力と人間力をどう鍛えていくのか? その能力が重要視される。それには、「深い人間関係をつくる能力」であり「行動と責任の一致」「枠(異年齢・職場関係)をこえて、信頼される人間になること」である。その土台があれば、自ずと「人種を越えて相手を説得する人間力」が備わってくる。
 私が提案する「教育システム」というのは、頭と体と精神を一体化する教育プログラムで、農作物を育てる作業をしながら、1年という長いタームで物事を見ていく力である。長期間、自分の労働力と結果を結び付けることで、大きな時間枠の中で、自分の行動(体)と考え(頭)を一つにしていく。農作業は、自分の行動が直接結果に結びつく作業である。行動と知識がどのようにリンクするのか学ぶ場にもなる。都会に住んでいると、1日1日の結果がどこに向って、何を構築しているのか解らずに、日々の生活に追われ自分を失ってしまう。しかし、農作業は必ず半年後には自分の成果が目の前にかたちになって現れる。天気や気温に左右されながらの作業は、動物的な感性と自然の大きな時間の流れを体感し、すごく原始的な生活である。自然界の流れは、3~6カ月という苗の成長のサイクルでしか結果がでない。いまのスマートホンの時間の流れとは、真逆の時間の流れで、「静」の時間の方が長い。その時間の流れを知ることで、違った体内時計の発見にもつながる。そして、海外に来るということは、孤独との戦いである。異文化の中で住むことは、想定外のことを日々経験しながら現実に向き合わなくてはいけない。他国の人たちの考えや発想を身近に感じながら、自分の生き方が問われる。
 平成は、自分の結果や成果を確認できない時代でもあった。「コスパ」という言葉に代表されるように、ITや合理化ばかりが中心になり、心底の生き方を問わない時代でもあった。農作業をすることによって、日本人が持っている「勤労・勤勉」という謙虚な労働価値をとりもどすことで、本来の姿に立ち返ることができる。農作業には、それを気付かせてくれる力を持っている。収穫の時期をむかえたときの、達成感と充実感は、人間という生き物としての喜びにも繋がる。このプログラムは、小さな社会の縮図を終始一貫自分の手ですることである。自分の行動と責任がリンクして、結果が明確に出る。いまの日本社会は、会社や他人に責任を転嫁して自己を見つけることが出来にくい社会になっている。自分の能力を知ることで、頭と体と精神を一体にした教育プログラムになると思っている。

<いままでの菜園のデータ>
 この8年間で、いろいろな実験をしてきました。大きく分けて2つのことから、菜園のデータをとってきました。

 ■ 農業の技術面
 ■ 農産物の市場

農業の技術面
バンクーバーは、日本と気候が違うので、どの作物が向いているのか、分別することが出来た。
夏は、日照時間が長いのでプラスの部分とマイナスの部分がある。(朝は、午前4時~午後10時まで明るいので、成長が早い。日照時間が長いのと日差しが強いので、表面の皮が硬くなる傾向がある。)
1株から、生産性の高い作物と低い作物
年間を通じての作物プランニング

<問題と課題>
肥料と土壌の関係。(素人なので、大雑把な分析しか出来ていない。専門家が入ればより飛躍的に伸びる。)
害虫や病気 (主流の病気 害虫)

農産物の市場
農作物をレストランや個人に販売
某レストランと共同作業 (1年間、共同作業をして収穫した野菜をメニューに入れていた。)
農産物の加工 (バジルペイスト、トマト・ソース、トマトピックルス、ズッキーニピックルス、キュウリ醤油漬け、野沢菜浅漬け、高菜漬けetc.)
高価格で売れるモノと収穫量の多いモノ
高価格で取引できる農産物 (レストラン・日系社会)

 いまは、コミュニティー菜園として運営をしているが、これを出資者とスタッフを募りキャッシュフローと企画を具体化して事業体にしたいと考えています。コンテンツとプラットフォームは出来ているので、この企画に協賛する人がでれば、すぐにでも始めることができます。
 日本サイド:窓口になる方 (参加者を募る作業。参加者管理。金銭管理。)
 カナダサイド:WEBデザイナー兼インスタグラマー
           (作業をしながら、生の声を発信する)
        農業の見識がある方 
        
 この企画をスタッフとして、興味ある方がいましたら連絡をください。小人数で企画運営をし、小資本と小回りが出来るビジネスモデルにしたいと思っています。
 
 参加者の呼びかけは、学生さんや農業に関わっている人や農業に興味がある人。カナダには、ワーキングホリデー(省略して、ワーホリ)という特殊なビザがあり、年間6500~15000人にそのビザを出している。その多くは、留学エイジェントを介して留学斡旋とワーホリの手続き代行をしてもらっている。語学学校やホームステイの費用込みで、一人30~50万円出費して来ている。実は、ここに目に見えない大きな市場になっている。毎年日本から、低く見積もっても年間20億円の金額が動いている計算になる。そのワーホリで渡加する数%でも、このコンテンツに参加する人が出れば、専従スタッフの収入になりキャッシュフローにもなる。
 
 このコンセプトは、巷にあるような学校斡旋の留学エイジェントではなく。体験と実践をするプログラムにして、データを蓄積して日本の農業を変えていく情報発信の基地にしていく場にしたいと思っています。それと日本の若い人たちが、世界のグローバル社会(日本で言っている平等な社会ではなく、民族の生存競争としての国際社会)の実態を知る場にしたいと思っています。この意見に興味がある方は、是非バンクーバーに足を運んで現場を見てほしいと思っています。そして、この企画に賛同する方がおられましたら連絡をいただけたらと思っています。