悪しき体制の崩壊

<昭和・平成の産物の終焉 企業編>

 先日、日本のニュースから疑うような記事を目にした。「経団連会長室にPCが導入」という記事に一瞬なにかの間違いだと思った。
 これだけ、ITが普及し日本もテクノロジー屈指の国である。その経済界のトップの部屋にパソコンを置かず紙ベースでのやりとりをしていた。これだけ、情報の多様化と伝達の迅速化が求められるときに、パソコンなくして日本経済界のトップが務まるのか? 誰もが疑問に思ったと思います。安易にテクノロジー化にすべきだとは思わない。しかし、これだけ世界が急速に動いている中で、情報取得の遅れや伝達の遅れで損失につながることも多分にある。その現状をわかりつつも、日本経済界のトップがいいまだに紙ベースでしていることに反対もせずに、誰もその体制を変えようとしないのか。世界情勢は、ものすごい速さで一刻一刻変わり、連動して日本経済にも影響している。迅速な対応が出来なければ、日本経済を間違った方向に導きかねない。国益を損ねることだって多分にある。これだけ、世界の経済界のトップがイノベーションしている中で、旧来の体質を変えることができない、本質はどこにあるのか。
 戦後復興期においては、経団連の仕事は大きかった。労働組合と経営者の仲介を中心に国内の労使関係をみて、企業間の同調と根回しが主な仕事だった。しかし、今日は大企業ですら先が見えない時代をむかえ、国際情勢の中で生き残りをかけたビジネスゲームが始まっている。経団連だけが旧態依然の体制で続ける意味が解らない。 

 いまから10年前の話しになるが、トヨタの大規模リコールの話しをしたい。簡単な概略を話すと、トヨタ自動車のブレーキに問題があり大量にリコールすることになった。
当時トヨタは、世界一の販売台数になり名実ともに、自動車業界でNo1のポジションになった。ハイブリッドエンジンを主力にし、自動車産業の大きな革命をもたらした。
 私自身も「プリウス」を乗っていたので、技術の高さと燃費には驚かされた。北米は、エコ意識の高まりやガソリンの高騰によって、ガソリン自動車からハイブリット車に買い替える人が増え、Big3(フォード・クライスラー・GM)に大きな打撃を与えた。それでなくても、数年前からアメ車に対してアメリカ国民が不信に想い、アメ車離れが起きている状況の中で起きた。この感覚は、日本人には理解できないと思うのですこし丁寧に話します。
 日本人は、日本車を普通に使用します。それは、なんのためらいもなく安心・安全が当然のこととして乗車します。しかし、アメ車は新車でも年に1~2度はどこか壊れます。マフラーが途中で落ちてしまったり、ラジエーターの液漏れが起きたりし、普通にどこか故障します。日常生活の中で、途中で止まってしまい通勤・帰宅できないことが普通に起こります。
 次の予定が入っているにも関わらず、それをキャンセルしなくてはいけなくなるわけです。場合によっては、通勤すら出来なくなります。アメリカは、車社会なのでバスや電車で代替できない場所が大半です。生活にも大きな支障が出ます。修理代もかさみ、生活費も圧迫します。かつては、車が壊れることが折り込み済の生活でした。日本車の出現によって、いままでのストレスが解消され、車にかかる費用が落ちたとなれば、アメリカ人が日本車に乗り換えることは必然のことです。日本車は、普通に乗っていれば5年は壊れないし、定期的にメンテナンスをすれば10年は普通に動きます。そして、長く所有していれば、壊れるところが予測できるのでメンテナンス費用の見積もりもできるので、安心・安全に乗ることが出来ます。日本では、当たり前のことですが、アメリカ人はアメ車に乗ることは、ストレスと浪費がセットの生活をすることでした。結果として、アメリカ国民はアメ車に対しての不信から日本車に乗り換え、1度乗ったらアメ車に戻る人はほとんどいない状況になりました。 
 Big3のメカニックで働いている従業員ですら、日本車に乗って通勤しています。彼らと話した時に、「なぜ、自分たちの会社の車を使わないのか?」と聞いた時がありました。彼らは、なんのためらいもなく、「日本車は、最高だよ。壊れないし中古の下取りもいいし。なんで、燃費が悪くてすぐに故障する車にのるんだい? 逆に聞きたいよ。」と冗談まじりで、そんな会話をしたときがありました。どれだけ、アメ車離れが起きているのか、アメリカの高速道路を走れば、ほとんどが日本車です。最近のハリウッドの映画を見ていれば、主人公が日本車で登場したりします。普通にトヨタ・ホンダ・日産・マツダが出てきます。
 日本では、国産車が普通に走っているので、外車の方が多いことが、なかなか想像が出来ないと思います。日本で普通だと思っていることが、世界では特殊なことなのです。
 米国3社が努力して、販売を伸ばそうとしても消費者離れをくい止めることが出来ずに、手の打ちようがありませんでした。先がないことを解っていたのは経営陣でした。自動車産業は、自国のなんとしても巻き返しを望んだのでしたが、まったくトヨタには歯が立たず。最終的に、連邦政府と手を組みトヨタ叩きを始めました。どんなかたちから、はじまったかというと。ニュースを使い、全国民の心を誘導するところからはじまりました。
 ある女性が、高速道路の走行中に「ブレーキがかからないので、何とかして欲しい」と連絡が警察の方に入り、最初は、映像なしの携帯電話でのやりとりからはじまりました。 それから、数台のパトカーに囲まれて走行する映像が出て、「ブレーキがかからない。」と悲鳴と叫びが、ニュースを通して全国に流れました。警察官が、懸命に指示している電話のやり取りを流し、その映像は、まるで映画のシーンそのものでした。プリウスが凶器のマシーンのように扱われ、何度も繰り返し映像が流れました。全米の各社が、朝から深夜までその映像を流しアメリカ人の中にプリウスのイメージをうえつけた。各地では、便乗ともいえる行為が起こりました。「急発進して、家の壁にあてた。」とか「ブレーキがかからずに、ガレージに突っ込んだ。」というニュースが全米で起こりました。
 しかし、そのようなことは日本国内では起こりませんでした。それに、カナダでも起こりませんでした。私も同じ機種を載っていましたが、それらの事実はありませんでした。しばらくして、車のメカニックたちと話しをしたときに、「あれはアメリカの陰謀だよ」とGMのメカニックも言うほどの始末でした。トヨタのハイブリットエンジンを分析しても、解析が出来ずに歯が立たないことを、彼らBig3のトップは解っていた。最後は、連邦政府と手を組んでNASAに依頼して、ハイブリットエンジンの解読を試みた。NASAと言えば、宇宙開発の機関である。莫大な国家予算を資金にし、アメリカ全土の優秀な人材の宝庫の政府機関である。その機関が、車のブラックボックスの中身を解読することが出来ずに、お手上げになった。トヨタは、ただの民間企業である。規模でいえば、雲泥の差であるトヨタが、アメリカの技術を凌いだという大きなニュースにもかかわらず、その事実は世に出ることはなかった。
 その後アメリカは国を挙げてトヨタたたきを敢行し、メディアを巧みにつかいアメリカ世論を作っていった。Big3は、司法と手を組みアンフェア―な取引に持っていった。結果的には、豊田章男社長がアメリカ国民の前で謝罪し、1200億円という莫大な金額を和解金として支払った。そして、もう1つ表に出ていない事実は「ハイブリットエンジン」のブラックボックスをタダで開示したということである。長年の研究開発や下請け企業の努力が、一瞬にして奪われるという事実を日本人のほとんどが知らない。これは、アメリカで起きたトヨタ不祥事と見たら、ほとんどの人たちには関係ないことである。しかし、国益というレベルで見たときに、この問題をトヨタだけの問題で終わらしていいことなのか? 

 そして、今度は2014年に商船三井の鉄鋼運搬船が、上海で中国政府によって差し押さえられた事件が起きた。事件の内容は、1930年代日中戦争中に日本の企業が、中国企業所有の船を巡り、経営者の親族が未払い賃料を要求した裁判。商船三井の前進の一社である大同海運が、その当時に中国企業から借りたとされ、商船三井が支払う義務があるとされた裁判を続けていた。2007年に、上海海事法院にて原告に29億円の損害賠償の判決が出た。商船三井側は、不服として控訴しているさなかで、船が差し押さえになってしまった。結果的には、商船三井側は40億円の供託金を収め、差し押さえが解除された。

 最近においては、韓国の最高裁が三菱重工に賠償命令が出た。(日本のメディアは「徴用工問題」と言っているが、あれは徴用工という言葉を使ってはいけない。日本のメディアが、ミスリードをして世論を作っている。)いまは、日本政府もはっきり意思表示をし、断固韓国政府と戦うことを表明した。これこそが外交である。

 この大きな流れは、日本人の姿勢にも問題があり、自ら招いた問題だと思っている。いままでは、1企業だけの問題にして日本全体の問題にしてこなかった。それによって、国対国の対応のロジックを作ってこなかった。国民の意識も低ければ、国会議員や経済界の中でも意識は低く、中途半端な国際化だけをしてきた。日本社会は、経済界や教育現場どこにいっても、グローバル社会という言葉が溢れ、若者を国際化教育をしているが、その真意をしっかりつかんでいない。国会議員からはじまり、アカデミックの教育者、メディアや経済界の人たちは、すべてドメスティック(国内)の言語空間だけで作ってきた国際化である。経団連を見ても、それは解る。これだけ日本企業が叩かれて、不当な利益供与をされているにも関わらず、なにも声明を発表しないことをとっても、この機関の意義や意味はどこにあるのか? 経団連は、日本企業の互助組織である。これだけ、不当な搾取をされているにも関わらず、「何もしない」「穏便に事が過ぎることを待つ」「相手国から言われたらその通りにする」この姿勢が、今回の韓国の最高裁判決にもつながっている。
 経団連と対照的なのは、米国ユダヤ系人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」である。この団体は、日本で言えば地方の刃物組合レベルの団体である。経団連とは比較にならないぐらいアメリカ国内では小さな団体です。その団体が、「防弾少年団」がナチスの格好をしていたことを糾弾し謝罪まで追い込んだ。些細なことでも自分たちの理念や信念が、侵されたときには戦い発言する。国家観や民族史観を柱にして、グローバル社会で自分たちの位置をはっきりさせることは、国際社会においては当然のことである。
 日本企業のトップの団体は、どこを向いて国家観や民族史観を持っているのか? なにを守ろうとしているのか。それが問われている。これだけ、多様な社会になり情報も膨大になり、紙ベースでの対応では難しい時代になっているにもかかわらず、何年にもわたり旧来の体制を変えられない経団連の実態が、これからの次世代にあった体制ができるのか? これこそが問題であるにも関わらず、「経団連会長室にPCが導入」これを記事にして、メディアは何を伝え、何を問いたいのか? ここにも疑問を持つ。
 そろそろ日本人が目覚めなくてはいけないのは、言葉に踊らされたグローバル化でなく世界の人たちと対等に立ち向かえる日本人であること。これこそが、国際化である。