「日本の技術が、世界を設計する。」

 前回、日本の給料のデフレについて書きましたが、なぜ日本国内でこんなにひどいことになっているのか?
この給料のデフレを脱却することは、出来ないものか。今日は、「仕事場と労働者のマッチング」について書こうと思います。この長い給料のデフレは、複合的な問題があるにせよ、国内需要を上げるだけで賃金があがるとは思えない。多少、賃金が伸びたとしても世界の賃金上昇の比率でいったら、とても対抗できるほど上昇はないと思える。まずは、世界水準にあわせるためにも、日本の労働環境の変化が必要だと思っています。その1つが、海外で技術を売って、外貨を稼ぐ方法だと見ています。いままで外貨を稼ぐ方法は、大企業が海外に物を輸出して外貨を作ってきました。商社や大企業による貿易です。これからは、違う形の外貨の作り方があると思っています。庶民が持っている技術を輸出できないものか、戦前は移民というかたちで勤労という慣習が出て行きました。前回は、20代の人のことを書きましたが、今回は40代半ばの現在進行形のことについて書きます。ワークビザを取得して、建築技術で外貨を稼ぐことが出来ないのかプロジェクトをはじめました。いまの段階は、ワークビザを取るにあたりお互いの条件の交渉中ですが。お互い合意したら、ワークビザの申請を提出する予定です。技術が、英語という壁が乗り越えられる実例を書きます。

 長年自分の中で温めていた企画で、今回は建築・大工仕事にフォーカスして始まりました。
 品川の旧友で、海外で仕事をしたいという願望とバンクーバー郊外でビルの管理会社を営んでいる知人が、人手が足りないということで、今回プロジェクトが始まりました。私の旧友(以降は後輩とする。)は、電気工を20年に渡りしてきました。ビルや住宅の電気配線の設置や商業用の電気配線も手掛け、あるときは、店の内装などの大工仕事もしてきました。その後輩に、「バンクーバー近郊で仕事をしてみないか?」 という話しから始まりました。

 カナダの知人は、「彼に技術があり。お互いの条件があえば、ワークビザで数年働いて欲しい。」というオファーも出し、お互いがテスト期間で10日間働いた後に、どうするか話し合って、今後のことを決めるという条件でした。文化の違いや仕事の仕方も違うので、それがどこまでお互いが歩み寄れるのか。それに加えて、英語でのコミュニケーションがどこまでできるのか。いくつか課題はありながらスタートしました。

 後輩は、20代に中米の方に放浪していたこともあり、雰囲気でのコミュニケーションは取れるぐらいの英語は身につけていました。(学校で身につける英会話でなく、独学で現地の人と生活をするために身につけたコミュニケーション能力。)それに、オフィスの方に日本人の女性が働いていたので、何か大きな問題があれ
ば、そこを通してコミュニケーションできる状態にしておきました。それから、日本から自分のところで使っている弟子1人を連れて来加しました。



 カナダの就労ビザのことについて説明します。
カナダの就労ビザは、大きく分けて4つあります。ただし、移民法は毎年変わるので、そのたびに条件や新しいパーミットが出てくる。

■ 通常の就労ビザ (一般のワークビザと言われるもの)
■ リビングケアギバー(自宅でベビーシッターや老人の介護をしてもらう介護士。2年間のビザがもらえる。)
■ オープンビザ (留学生が、雇用主を限定せずにオープンに選べるビザ。どこでも働けるが、学業に問題が出た場合はく奪される。
退学や成績が落ちたときには、ビザは無くなる。)
■ Po-opビザ (専門学校で、就学過程で就労経験もプログラムの中に入っているときに使うビザ。)
■ ホストグラディエイトビザ (長期にわたり、カナダで就学し卒業した人に就労の機会を与えるビザ。
Post-Graduation work Permit)

上の2つのビザは、昔からあるビザでいまも続いている。下の3つは、留学生を対象にしたビザで、学校在学中か卒業後に出されるビザです。これらのビザは、カナダで留学する人を支える要素が大きい。カナダで就労や移民を取るためのステップに留学する人たちもいる。
 留学のことも触れておきます。カナダの留学システムは、国をあげてビジネスとしてやっている。なので、学費はカナダ人の3倍の学費(例えば、1年間のカナダ人4000ドルの学費が、外国人になると12000ドルの費用になる。)がかかります。カナダに留学すると、住宅費・食費・学費等で莫大なお金が落ちるシステムになっています。公立の大学で1年過ごしたときには、1人30000ドル(300万円)落ちるシステムになっている。この街・地域収入の大きな財源になっている。
 学生もそれだけの資産が無いと留学が出来ないので、それなりの身分が保証された人しかこれない。

 ワークビザを取るにあたり、大きく分けて2つの官公庁が関係している。

1つは、Employment and Social Development Canada – ESDC(カナダ労働省)
2つ目は、Immigration, Refugees and Citizenship Canada – IRCC(カナダ移民省) 

 「通常の就労ビザ」と「ケアギバー」のビザに関しては、厳密な審査のうえで出されます。カナダ労働省で、その職種が人手不足かの調査をします。人手不足という許可されたときに、労働者本人の履歴や技術を書類で調べます。そして、雇用主の納税状況や外国人雇用したときの労働内容や賃金の額面提示が義務付けられています。会社として、雇用が出来る体力があるのかも見ます。雇用主は、雑誌などに求人広告を数カ月載せ、それでも適切な人材が見つからないことをレポートとして提出します。労働省で許可が出たら、移民省の審査が始まります。
 これらの行程を通して、ワークビザが発行されます。当然、はじかれることもあります。そして、日本とは徹底的に違うことは、個人が労働番号を持っていることである。カナダで働くには、誰もが労働ナンバー(ソーシャル・インシュランス・ナンバー/Social Insurance Number)を持つことです。カナダ人も高校生ぐらいになると、労働ナンバーを申請して自分の番号を手にしてからバイトなどをします。このカードが無いと、カナダでは働くことが出来ない。必ず雇用主は、この番号を確かめた上で雇わなくてはいけない。
 外国の人が働いてからは、3つのチェック機関から成り立っている。不法滞在に関しては移民局。不法労働に対しては、労働局。そして、納税をされているかのチェックは財務局が担当する。
 この労働ナンバーを持った時点で、外国人であろうがカナダの労働基準として働くことになる。よって、労働者を守ることにもつながる。雇用主が不当な賃金しか払われない場合、労働局から会社は罰せられる。
 不法滞在して労働していたときには、この労働ナンバーによって使用期限が明確になっているので。もし、雇用主がそれを知り雇用した場合には、国から多額な罰金が課せられる。それもあり、雇用主に不法労働者を雇用しづらくし、不当労働もできにくい仕組みになっている。外国人であろうが、カナダ人と同じ労働待遇で働くことが前提なので、雇用主もそれだけの覚悟が必要になる。労働ナンバーの発行によって、個人の納税履歴が明確になり、健康保険などの管理もしやすくなっている。この国は、移民の国から成り立っているので、長い年月をかけながら、外国の人とどのように共存し・仕事をしていくのか、システムが出来上がっている。不法労働に対して厳しい側面があるので、景気や状況が変わるたびに、移民法を変え移民受け入れや就業ビザの受け入れを減らしたり多くしたりする。




 就労ビザを取る行程

 まず、カナダで働きたいと思ったときは雇用主を見つける。そこから、雇用主が移民局に申請をする。このビザは、会社が保証人としてついているビザなので、その会社を辞めた時点で、その就労ビザは終わる。仮に、他の会社で働きたいと思っていても働くことが出来ない。新たに違う雇用主に、就労ビザを発行してもらう。


 リビングケアギバーを取る行程

 このビザは、住宅でベビーシッターや老人の介護をする特別なビザである。カナダは、住宅が大きいことから家政婦のような形で、介護士を雇って家に常駐してもらうことをする。このビザは、昔は誰でもでき資格は必要なかった。いまは資格が必要で、保育士または介護資格を持っている者。日本人の場合は、日本でその資格を持っていれば、自動的に書き換えが出来る。資格がない場合は、カナダで特別な介護プログラムを受講して資格を取れば、誰でもケアギバーになることが出来る。
 このビザも同じように、スポンサーになってくれる家主を探す。そこの家主と本人の条件が合えば、契約書を交わし家主が移民局にケアギバーのビザの申請を上げる。
 このビザの面白いところは、はじめは就労ビザだが2年間働くと自動的に移民ビザにかわる特殊なビザである。このビザを利用して移民になる人たちは多い。有名な国は、フィリピンである。一般の就労ビザで2年間働いても移民のビザは取れない。移民のビザを取るには、少しハードルが上がる。(今回は、就労ビザと移民ビザの違いは書きませんが、またの機会に書きます。そのときに、なぜ質の高くない介護士が日本にくるのかも含めて話します。)



 今回は、仕事面では非常に高評価をもらいました。カナダと日本の大工仕事の違いがあるものの、柔軟に対応して、期限までの仕事をまっとうしています。日本のように繊細な仕事がもとめられないので、大雑把で柔軟に対応出来るか、これがカナダ人と働くコツだということがわかりました。日本の建築業の人が、この写真を見たら、荒いと思うところが多々見えると思います。海外で働くということは、それを受け入れて妥協して働くということです。その柔軟な姿勢や切り替えが、海外で上手く生きていく方法です。いま日本社会の中で、軽視されているブルーカラーの仕事を考える時期に来ている。技術を売る仕事が、世界では高い評価を受けている。日本で5年間徹底的に大工仕事の勉強をして、技術を身につければ、カナダでは言葉がしゃべれなくても通用する。ただし、日本の大工システムにも問題がある。それは、分業制になっているので、多種の作業の習得しずらくなっている。今回の例で言えば、フローリングやカーペットをひく作業やドアの取り付け作業や解体作業など、すべての作業をします。日本だと、床貼りや戸の取り付けは建具屋であったり、水回りに関しては水道屋であったり、壁を塗るのはペンキ屋だったりと分業になっている。その垣根を取っ払った、技能を身につければ海外で通用します。1つの技術のプロフェッショナルになるのでなく、他業種が出来る職人が増えれば、海外の工務店展開ができます。これは、技術を身につければ、どこでも生きていけることにもなります。
 海外の人は、日本人に仕事をして欲しいという願望があります。日本の人は、気づいていない日本人ブランドがあります。日本国内で、デフレに巻き込まれて大工仕事で苦しんでいるのであれば、海外の富裕層を相手に仕事をすれば、その苦悩から脱することができます。今回の日当も、日本の相場の1.5~2倍の金額を手にしてます。安く見積もって、技術を安売りするのではなく技術を高めて付加価値を付けていく。日本人の本来の姿は、そこにあるような気がします。

 いまは、お互いの条件についての交渉をしているところです。お互いが合意できしだい、国に申請手続きをしようと思っています。

 また、この結果の報告はしたいと思います。