#69  われらが国語(日本語)に愛と感謝を ~その3 ヤヌス的双面性

本題の前に、京都大学大学院教授で内閣官房参与の藤井聡さんの発言から、「日本最強の提言書」についてのお話を一つ、お知らせいたします。
  https://38news.jp/economy/11939  

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この度、自由民主党の「日本の未来を考える会」が、今日のあまりにも酷いマクロ経済状況を憂い、官邸と自民党幹部に対して「消費増税凍結」「PB目標撤回」を求める提言書をとりまとめました、という事は以前、お話差し上げた通りですが・・・
  https://38news.jp/politics/11890  

この度、この提言をとりまとめた呼びかけ人の
 安藤裕・衆議院議員(代表)
 石川昭政・衆議院議員
 中村裕之・衆議院議員
のお三方が中心となった記者会見を開かれました。

その当日の様子は、下記動画でご覧頂けますし、
youtube:https://www.youtube.com/watch?v=7OLxF5jZOBw  
ニコ動画:http://www.nicovideo.jp/watch/sm33199294  

提言書は、下記よりご覧頂けます。
https://www.andouhiroshi.jp/wp/wp-content/uploads/2018/05/62e04b2beb720db169bf64ec9d395bef.pdf 

この提言の内容、お時間おありでしたら、是非、じっくりお読み頂ければと思いますが、その最大のポイントは、

 (1)財政再建のために
 (2)「消費増税凍結」と
 (3)「プライマリーバランス黒字化目標撤回」を求める

というもの。
おおよその国内の学者達、エコノミスト達、政治家達は皆、「財政再建のために、消費増税とプライマリーバランス黒字化目標を!」と、安藤先生達とは「全く逆」の主張をヒステリックに叫び続けている訳ですが、そんな主張は、完全に間違いであり、デマであり、ウソなのだということを、安藤先生達は声高らかに宣言しておられるわけです。

  途中省略

・・・・ということで、要するにこの「提言」は、イメージや思い込み、空気や雰囲気や「忖度」とは程遠い、冷静な理性的考察に基づいてまとめられたものなのです!

それもそのはず、そもそもその「とりまとめ」の動機は、純粋に「ニッポンの未来を慮る」という一点にあるのです。
実際、この提言の冒頭には、次のような言葉が綴られています。

「日本の未来を考える勉強会」は、昨年 4 月以来、失われた 20 年を招いた経済政策について、先入観を持たずに、真に必要な経済政策を提言すべく議論を重ねてきた。昨年にも提言を取りまとめたが、本年の骨太の方針を策定するにあたり、これからの日本に必要な経済政策を、若手議員の立場で、日本の将来のために真剣に提言するものである。
この「真剣なる提言」を安倍総理や与党幹部の皆様方が真摯に受け止めて頂けることを、勉強会でお話差し上げた講師の立場からも、そして、一国民としましても、強く祈念申し上げたいと思います。

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三橋貴明さんの『「新」経世済民新聞』は、大変勉強になります。
  https://38news.jp/  
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小浜逸郎さんの記事も、ぜひお読みください。

  【小浜逸郎】誰が実権を握り、日本を亡国に導いているか 2018年5月3日
   https://38news.jp/politics/11893  

  【小浜逸郎】高度大衆社会における統治の理想 2018年5月17日
   https://38news.jp/politics/11942   

本題に入ります。

漢字廃止論が本格的に起きたのは、江戸中期から幕末の頃でした。
もともとは賀茂真淵や本居宣長など国学者たちに端を発するようです。

賀茂真淵が著書『国意考』で、漢字の文字数の多さを批判し、仮名文字の文字数の少なさを評価しました。その弟子である本居宣長は、著書『玉勝間』で、漢文の不自由さを批判しています。
幕末期には、前島密(前島来輔・開成所翻訳筆記方)が将軍徳川慶喜に漢字廃止之議を献じました。「郵便制度の父」といわれる前島密が主張したものですが、「漢字のような複雑極まりない文字を覚えているから教育が普及しない」ということを訴えていたそうです。明治政府に仕えるようになっても、たびたび訴えていたようです。
今の私から見たら、ずいぶんいきなりで過激なお話に思います。

日本語放棄論の代表的な提唱者と指摘される人物には、初代文部大臣であった森有礼(もり ありのり)がいます。
一般的な通説によると「遅れた日本語では、進んだ西洋文明を取り入れて国を進歩発展させることは難しいから、英語を国語にするべきである」と主張していたといわれています。

実際には、実利主義に基づく考えから、「通商語」としての英語の導入を求めて日本人のための簡易英語論を提示していたようです。漢文に基づいた教育ではなく、日本語による教育方法の確立を求めて、そのため日本語のローマ字化提案もしています。これは厳密にいうと日本語廃止論とは微妙に異なりますが、現行の日本語からはかけ離れる形になることを思うと、事実上は日本語廃止論同然といえるのではないでしょうか。

前回、実名を挙げさせていただきました文豪志賀直哉も、憲政の父といわれる尾崎行雄も、森有礼の論説に賛同するなど、影響を受けているようです。

森有礼の議論相手であったアメリカ人言語学者のホイットニーは森の簡易英語論を退けましたが、そのホイットニーも日本語による教育が必須であるとして日本語のローマ字化を主張していました。ホイットニーは英語を学問語にするように提案しています。

ホイットニーは、漢文/日本語の二層言語状態に代えて英語/日本語の関係を主張していました。
しかしこれは中世のラテン語やイギリス語が植民地で占めた位置に相応しています。
この二人は「日本語は自立した言語ではなかった」と考えていたようで、中国語が日本語に有害な影響をもたらしているという認識は共通点でした。

森有礼は日本語と中国語が折衷された日本の言語(the language of Japan)の廃止を主張していました。
この「日本の言語」廃止論が「日本語」廃止論と誤読されたようですが、むしろ、一部で指摘されているように「国語国字問題」の核心を見据えていたのかもしれません。
森有礼が「日本の言語」の最大の問題と考えたのは、書き言葉と話し言葉の隔たりでした。

日本において、官吏は漢文が読み書きできることが求められ、記録にあたって漢文の活用を常識としていた時代が長く続いたことを思うと、森有礼の意見を頭ごなしに全否定する気にはなりませんが、結果としてきちんと漢字が残され、音訓が両立し、漢字かなまじり文を活用できていることは幸いなことで、先人たちの知恵と行動に深い感謝の意をささげたいと思います。

ここで、いくつかに区切って、鈴木先生のプリントから、学んでいきましょう。

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 私はかつて日本が、どう見ても様々な点で欧米先進諸国に遅れていたときの、日本人による日本語批判や漢字廃止論などは、今から見ても一概に非難することのできない、止むを得ないことと思っている。何しろ日本は確かに近代化の遅れた小国であったのだから、日本のこのような遅れの原因(の一つ)として、西洋語とすべてがあまりに違う日本語が、遅れの犯人(の一員)として疑われることは仕方がなかったと思っている。
 しかし、戦後の日本の驚異的発展の最中に発表された、文化人類学者 梅棹忠夫(ローマ字学会会長)の『漢字の訓読み廃止論』や、数年前に出版された言語学者 田中克彦氏の『漢字が日本を滅ぼす』などは疑いもなく、完全に西欧の言語学に毒された見方で、全く西欧語とは性質の異なる日本語を依然として見ている典型だと思う、歪んだ鏡、曇った眼鏡で見れば、物事すべて正しくは見えないものである。

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鈴木先生のプリントには、「日本は確かに近代化の遅れた小国であった」とあります。
私は、「近代化の遅れた」国であったことは、江戸から明治にいたる森有礼のいた頃の機械産業などで、然り、と思いますが、日本が小国であったとは考えていません。
日本は海洋大国で在り続けた国だと思っています。

白村江の戦い[天智二(六六三)年八月 新羅が日本領の任那を侵略し、唐が日本の友好国だった百済を侵略するのに荷担した]で敗れ、日本領であった朝鮮半島南部に住んでいた任那(みまな)日本府の日本人だけでなく、百済の民をも大量に受け入れるなど、大国でなければ為し得ないことでしたから、そのころからずっと小国になったことはなかったのだと思います。
余談になりますが、百済人とは扶余族の王族で、現在の朝鮮人とは違います。というより、白村江の戦いで百済滅亡後、数万人規模の百済人が日本へ亡命、当時の百済の持っていた文化や知識も皆携えて日本に移住してしまいました。

明治になって、近代化を急ぐあまり「西欧のすべてが善」であり、「日本はすべての点で遅れている」と思い込んだ人々が、あらゆる意味で日本を過小評価し、維新のお題目であった「攘夷」を一転、西洋に見習うあまり、断髪したり、服装や食事スタイルなどを積極的に取り入れ、西洋文化を崇拝するかのごとき状況になっていったのだと思われます。

鈴木先生の書かれているように、一般的に広く「日本はアジアの東にある島国で資源を持たない小国が、近代化と戦後の高度成長により先進国となった」という認識をされている方々が多いと思いますが、地政学を正しく学んでいくと、江戸期の繁栄、海外との交易など、様々な点で文科省の教科書による刷り込みを脱していくことができるはずです。

日本語に用いられている漢字の持つ「ヤヌス的双面性」のお話は、いくつかのご著書に詳しく書かれていますが、以下はその解説的な内容ともいえます。

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 それでは一体日本語のどこが西欧の諸言語と大きく異なっているのだろうか。日本語が遅れた日本の学問や知的分野を、なぜ急速に先進国のレベルにまで高める事ができたのだろうか。それには日本語に用いられている漢字の持つヤヌス的双面性( Janus duality ) の働きが大きくかかわっているからだというのが私の主張である。このヤヌスとは古代ローマの数多い神々の中に、頭の前と後ろにそれぞれ別の顔を持っている、家の戸口や城門に立って、内外を同時に見守る変わった神のことで、この語は近代西欧語には例えば英語で一月をいう January などに現れている。一月は去年と今年の間にあって、新旧前後の年を同時に見ているためである。
 私がなぜ日本漢字がこのヤヌス的二面性を持っていると言うのかというと、易しく言えば日本で用いられている漢字の大多数には音(オン)と訓(くん)という二通りの全く違った読み方(顔)があるという、日本人ならばだれでも知っている平凡な事実を面白く言ったまでである。
 私たち日本人の頭の中にある何百何千という、あらゆる事物物事に関する概念の殆どが、実際に言語化されるときの読み方(発音)に、オンという形の外国語由来のものと、それにほぼ意味の対応する母語(大和言葉)のくん(訓)の二通りがあって、しかもこの両者が表記されるときは、どちらも同じ漢字で書かれる(音訓相通)という日本語独特の仕組みを、私は日本漢字の持つヤヌス的双面性と呼んだわけである。たとえば水という漢字は、スイという読み方、つまり音読みと、みずという訓読みの二つを持ち、スイという音読みは外来語としての古代中国語の水を受け継ぎ、みずという訓読みは本来の日本語、つまり特別の教養がなくてもだれにでもわかる大和言葉で、水という外来の言語要素を説明しているという仕組みになっているのだ。
 実はこの仕組みこそが明治初年から福沢諭吉をはじめとする何人もの学者たちが日本語の中に、その殆どが古典ギリシャ語とラテン語の組み合わせという難解な造語要素からなる西欧近代語の学術用語を、原語の場合よりも遥かに分かり易く使いやすい言葉として取り入れることを可能にした鍵があると私は考えている。

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鈴木先生の日本語に用いられている漢字のお話には、いくつかの本にも、例として「猿人」や「葉緑素」、「草食性」、「無影灯」など、各分野の専門用語が出てきます。
「エンジン」と聞いて一瞬何のことかがわからなくても、漢字で見れば、(さる、ひと)として推測できますし、「ヨウリョクソ」という学術用語も、(は、みどり、もと)という字を見れば中学生でも意味が推測ができる、という日本語の特殊性です。
英語や他の言語では、なかなかそうはいきません。

音、訓があって、なおかつ漢字かなカタカナ交じりの日本語の組み立て方が、高度に繊細で、使い手に「推し量る」という力量を無意識のうちに要求してくるという、それが、人と人とのコミュニケーションのなかにも、「慮る」「推察する」という和の心に繋がっていくような、そういった世界の広がりが感じられます。
私は、先生の解説を拝読しているうちに、日本語の恐ろしいまでの論理性というか、理路整然とした仕組みの裏にある育む力、天の深謀遠慮のようなものに鳥肌が立ちました。

なんとすごい言語なんだろうと、あらためて驚きましたし、日本語を母語として生きられたことに対し、ありがたいことだと感謝の念が湧き上がります。

引用を続けます。

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 このようなわけで、明治の開国以来日本の知識人が、それまでの長い歴史を持つ漢学(かんがく)の素養や一般の言語生活の中で身に着けていた沢山の漢字を、場合によって音と訓とで使い分けてきたという言語習慣が、思いがけないことに西欧の難解なギリシャ語やラテン語からなる学問用語を、日本語に写して理解する知的作業を大いに助けたと言えるのだ。
 本来の大和言葉は感性的情緒的な方面の、豊かに発達した詩歌といった言語活動にはこよなく便利であったが、しかし理性的非情緒的な思考活動の手段としての面はあまり発達していなかった。この固有語である大和言葉の弱点を、漢字が補強しその理解を訓読みが助けたといえよう。言ってみれば現代日本語は、どろどろのコンクリートに鉄骨の芯を入れて固めた、地震にも雨風にも強い近代高層建築物のようなものとなっている。
 しかも数多い世界の言語の中で、言語による伝達活動を人間においては余り発達していない感覚だけに閉じ込めず、音声とは比較にならない広い働きを持つ、漢字という視覚映像をも同時に活用しているため、日本語は音声のみに頼るラジオではなく、さらに進んだ画像をも併用する、通信手段としては遥かに高級なテレビに譬える事のできる伝達方式となっているのである。

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大和言葉と漢字の表意の組み合わせは、日本語の素晴らしさを再認識させてくれます。
日本語はすばらしい、天晴(あっぱれ)です。

「大和言葉」を学ぶには、どうしたらよいでしょうかというご質問をいただくことがあります。
私も、大和言葉をまとめられた本などをいくつか図書館で見てみましたが、それらの語彙は私の中にどうやって収められてきたのかな、と振り返ってみても、生活の中で周囲の大人たちの言葉から学んだことがもっとも多かったのだとあらためて知りました。

最近、源氏音読などの学習を通して思うのは、古典の原文や漢文の読み下しを学ぶと、そのなかに「大和言葉」がたくさん散りばめられていることを再確認できることです。そして同時に、中学高校の頃、古典漢文が大好きになったことから、その時期に獲得している語彙も多かったに違いないと推察しています。

日本ではいま、英語を幼少時期から学ぼうという方針が文科省によって推進され、学習カリキュラムへの組み込みが打ち出されていますが、母語すらまともにできないものたちが、どのように「日本的感性」を培っていけるのか、次第にクローバリストの手に落ちるものたちを養成していくだけなのではないか、と危惧いたします。

昔の唱歌などには、美しい日本語がたくさんありました。日常あまり使われない文語も、唱歌を通して学んだり、四季折々の日本の原風景も唱歌を通して知り、愛でることも少なくありませんでした。
今の時期なら「夏は来ぬ」にみる「卯の花の匂う垣根に、ほととぎす早も来啼きて・・・」などで頭に浮かぶ光景は、美しい里山に緑の芽吹く頃の風景です。
文語の美しい唱歌は、「冬の星座」や「早春賦」などもそうですが、さりげなく古典文法も織り込まれていて、失って欲しくないもののひとつですが、いまや「音楽」を通しても、美しい日本は失われつつあるように感じます。
雅楽を習っていても、「催馬楽」という音楽を、音楽教師が読めず、一部では「さいばらく」などと読んでいるらしいと聞きました。
これも、平安期の宮中の話が出てくる源氏物語などにはたくさん出てくるもので、原文で読んだことのある方には「さいばら」と読むことがすぐにわかるのです。

文化というものは、単体でなく繋がりあっていますから、音楽も日常生活も建築様式も、みな言葉を通して継承されていきます。日本語を大事にすることをなくして、日本文化の正しい継承はできないのではないか、と私は思っています。

大和言葉を習得するには、やはり、結果的には、古典に親しむのが一番の近道になるのではないかと思います。
特に、万葉集、古今集、新古今集などに触れ、味わうことなどもお時間があれば、ですが、なかなか慌しい現世にいて、私もまだ積んであるだけで読めていません。

三島由紀夫さんも、国民の教養として古典を読むことを推奨しておられたと思います。
古典文学への誘い(いざない)として、ご一読をお薦めします。

  『古典文学読本』
  三島由紀夫著 中公文庫 七百円+税

鈴木先生の講演会が、六月三日に開かれます。
講演会の主催は 慶應義塾⼤学タタミゼ プロジェクトで、テーマは「日本語と世界平和」です。
今回はほかに、カナダから金谷武洋さんをお招きなさっての講演会です。
慶應義塾⼤学⽂学部井上教授も交えて、鼎談も行われます。

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⽇時: 二〇一八年六⽉三⽇(⽇) 午後二時~五時
場所: 慶應義塾⼤学三⽥キャンパス北館ホール
   (https://www.keio.ac.jp/ja/maps/mita.html)  
⼊場無料・事前申込不要 ※どなたでもご参加いただけます。
お問い合わせ先 : 20180603@fora.jp  
主催 : 慶應義塾⼤学タタミゼ プロジェクト
共催 : 慶應⾔語教育研究フォーラム 
協⼒ : TAO LAB http://taolab.com 
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楽しみな講演会です。 ぜひ、お越しください。

平成三十年五月二十五日

阿部 幸子

協力 ツチダクミコ