~薬害の恐ろしさ~

No.31

中学に入り度々起こる腹痛に耐えられず、地元の産婦人科に通い始めました。
月に一度の受診は15歳の私には何とも言えないものでした。
生理不順や腹痛は薬の副作用と言われていました。でも特効薬もないまま注射や薬を投与しながらの経過観察で、やがてホルモンのバランスが崩れて体調不良の日々が続きました。

6歳からの薬の服用と退院してからの毎週の注射と通院で 私自身の身体や精神は薬に蝕まれていました。

17歳の冬 左の卵巣嚢腫の摘出手術をしました。腫瘍はゴルフボールくらいの大きさの球体が3つもあったそうです。
『どおりで腹痛がヒドイわけだなぁ~』と手術のあとの話を聞いたときに妙に納得したのを覚えています。

私の身体は病気になり、6歳から薬や注射などの医学的治療に耐えてきました。でも現在の身体を保てているのは やはりじぶんじしんの気力だけだったと思います。

医学的治療は痛みや辛さが大半ですが、そのわりには楽な気持ちになりませんし、病状は変わりません。
我慢することが多く、どれだけ頑張っても病気は治りませんでした。そしてわたしは色々なことを諦めてきました。

わたしは何のために生まれてきたのだろう?
わたしは何を求めて生きていけばいいのだろう?
わたしは何を成し遂げたらいいのだろう?

幼少期から いつもじぶんに問いかけてきました。そして今でも問いかけています。

精神学協会で、知識を学びながら、人間世界で照らし合わせながら、じぶんの内なる存在と会話をするとき いつも『じぶんの人生が 今日のために用意されていたのだ!』と聴こえてきます。

ある方向からみると辛くて悲しい出来事でも、別方向からみると理にかない筋道が出来上がっていることに気づきました。

人間的な感情に任せて生きるより 精神的に倫理に沿って生きたほうが愉しいです。

わたしは わたしの私利私欲で生きる人生を諦め 世のため人のために無償で働くことを決めました。

ひとりでも多くのかたが、精神学協会の倫理に沿って生きられたら どんなに幸せかを知ってもらうために わたしなりの表現方法をフル活用して働きます。

今日ある命は 当たり前ではありません。
今日も生きていることに、生かされていることに、心から笑えたことに、笑顔でいられたことに感謝、感謝なのです。