~最後の砦~

No.29

父親の緊急入院から数日、私の身体の体調の良さに気づきました。

父親の出来事があり、身が引き締まる思いだからでしょうか?

父親の入院で、実家の場所で働くことの意義を軽く考えていた私は深く反省しました。

家族や関わる人達の繋がりは、当たり前じゃなかったことを改めて確信しました。

『年取ったなぁ』父親と別居している私は、病室の彼の寝顔を見て 呟いてしまいました。

小学校の頃は、私の病気を心配し、毎週、病院に通い続けてくれたのは父親でした。
病気の症状を主治医から聞くのも、父親の役目でした。

高校生の頃、私たちは、娘に対して、なにも言わない父親のことを、母親に『お父さんは、私達になにも関心がないんじゃない?』と軽く言ったことがありました。

そのことについて 数日後 父親に呼ばれました。

『なにも言わないのは、お前たちを認めているからなんだぞ。 俺も一人前に父親になったから、もし子供に何かあれば、相談にも乗るし、何でもしてやる、、まぁやれることと、やれないことはあるが、なるべくしてやりたいと思ってるんだ。 父親って言うのは子供にしたら、最後の砦だからな、、判ったか?』と言われたことを覚えています。

私は泣きそうになりました。
なぜなら、父親の寛大さに気づかず、安易で愚かな発言をしてしまったこと恥ずかしくなり、また深く反省しました。

私は両親を尊敬しています。
そして最高のお手本だと思っています。

今日は、父親の検査でしたが、妹とふたりで付き添いました。
わたしは精神学に習い、それに沿って生きてきました。まだまだ足りないところばかりですが意識して生きています!だから、自由な時間と経済を与えられるのだと思います。

光の経済を繋げて やり続けることに意義があります。

改めて、毎日、両親の世話をしてくれている妹に感謝なのです。

わたしは、45年間の闘病生活で、今もなお余命宣告をされ続けています。
1日、1日を大切にして生きています。

今日ある命は当たり前ではないと思います。
改めて、今日も何事もなく過ごせたことに感謝なのです。

ありがとうございました。