~友人の死~

No.41

姉が『お嫁に行きたい』と宣言しに東京に来てから 実家が心配になり一年も経たないうちに地元に帰りました。

まず田舎に戻ると必要なものは運転免許証を取得することでした。実家は、急な坂道を上るため、祖母の口癖は『この坂道を上り下り出来れば、運転免許はいらない!』でした。(笑)

母親は、長野県の車の教習所に通ったと言っていました。 女性ドライバーでは、長野県では2番目に免許を取得したそうです。

いつの日も母親は偉大で凄いなぁ~と感心します。
また父も同様、良きお手本で尊敬できる両親です。

車の免許を取った途端、わたしの夜遊びが始まりました!
昼間は家業の仕事を手伝っていたので、遊ぶのは夜だけしかなかったのです。ほとんど毎日、朝帰りでした。母親が起きて待っているため 母親の目覚める前に帰ったことを覚えています(笑)

母親は心配ばかりしていましたが、若いわたしは、そんなことはお構いなしで、あの頃、わたしを快く受け入れてくれた、家に寄せてくれた知人、友人に感謝だったのです。

都会から戻り、田舎が嫌で嫌で仕方なかったわたしの気持ちを180度変えてくれたのは地元にいた友人達でした。あの頃、楽しませてくれた、一緒に笑い合った、語り合った仲間に感謝でした。

あれから30年が経ちます。 あの当時 、よく一緒に遊んでいた仲間のひとりが 先日、病気で亡くなりました。
悲報は急でした。彼女は、小学校からインシュリンを打っていました。心筋梗塞になり、数十年前から透析をしていました。

2月に入院したと本人から連絡がありましたが、お見舞いにも行かず、そのまま会えない人になってしまいました。

彼女が他界して お通夜も葬儀も参列出来ませんでした。

わたしは ちょうど 肺移植の面談に 仙台市の病院に受診が決まっていました。
次の日は 山形県鶴岡市在住の親友と会うために前々から予定が入っていました。

お互いに病気をしていたので、『無理しないで、身体に気を付けようね!』が口癖の私達でした。

いつも笑顔で 明るい彼女でした。
ただ、じぶんの身体を大切にしていなかったような気がしました。

わたしは わたしの身体を大切にしています。
わたしは わたしの気持ちを大事にしています。

だから 奇跡的で必然的な出来事ばかり巻き起こるのだと思います!

今日ある命は 当たり前ではありません。
今日ある出来事は 全てじぶんに必要だったから起きたことです。

わたしは わたしらしく じぶんの意思で動きたいと思います。

今日も恵まれた環境に感謝します。
今日も与えられた環境に感謝します。
今日も生かされた環境に感謝なのです。

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