~副作用の成れの果ての感謝~

No.15

中学生時代は、病院通いが続きました。

毎週金曜日は、内科にかかり、注射を打ちました。
二週間に一度、眼科に通い、逆さ睫毛を抜き、涙腺に生成水を通しました。
月に一度、産婦人科に通いました。

小学一年生の発病からの治療が続き、薬害に伴う副作用で、身体のバランスが悪くなり、あちらこちらの部位が悲鳴をあげているように感じました。

治療の時は、決まって、肉体に痛みが走りました。

その痛みに耐えながら、いつも私の中にあるのは、何とも言えない違和感でした。

治療を続けていても善くならず、あるのは副作用で起きる身体の痛み、痺れ、嘔吐やめまいでした。

飲み薬を何度変えても、副作用はなくならず、主治医泣かせの患者としてレッテルを貼られるくらいでした(笑)

徐々に身体の節々が壊れていくのに気づきました。そして、私は、一か八かのかけに出て、薬を飲まなくなりました。

のみ薬は棄てることができましたが、病院に通っていたのは、傍にいた監視の人の目があったからです。

監視長は、母親の役目で医者の言うことばかり気にしていて、私の気持ちを聴いてくれませんでした。

聴いてくれなかったというより、あの当時は闘病生活も10年以上でしたし、眼や肺だけでなく、卵巣まで、病に侵されていたため 彼女の立場ならいたたまれない気持ちだったのだろうと思います。

でも、やはり、いちばん大変で、苦しいのは私自身でしたし(笑)病院に行くだけでストレスでしたので(待ち時間が長く、検査や治療の繰り返しのため)監視の目がなくなる場所への夢は大きくなりました。

今、思うと病体になったのは、何かの指令だったような気がします。

自ら病魔を受け入れ、実家を離れて、家族と離れて、ひとりで修行の旅に出た!そんな感じに思えるのです。

ひとりで、経験してきなさい!というような厳しい指令のような感じでした。

今の私が、存在しているのは幼少期からの闘病生活があったからだと思います。

こんなに元気でいられるのは、過去の人間界での経験値から来るものだと思っています。

そう思うと筋道が通り、府に落ち、納得いくことばかりです。

わたしの人生は、嘘みたいな本当の話ばかりでしたから、まさに、刺激的で、衝撃的で、感動的で、奇跡が巻き起こっている状態なのです。

わたしの身体は正直です。意識も正直でストレートなので、いつも直感が働き、その通りに行動するとスムーズに事が流れて思った通りの結果を頂きます。

最近は、思った以上な結果になりますから、ありがたいやら、嬉しいやら、幸せな気持ちになります。

意識が変わると身体が変わります。

変わると言うのは 変化ではなく 交換するようにかわるのではないでしょうか?

私は、毎日 生まれ換わっています。

身体の細胞も入れ替わるように、意識も入れ換えています。

メリハリ、バランス、タイミングを調整しながら 今日も感謝の気持ちでいっぱいになります。

今日の朝日が見れたことに、今日も眼が見えることに、今日も指が動き、ブログが更新できることに、感謝、感謝なのです。

ありがとうございます。