~今年は何が違う~

No.28

昨年の11月から、何田匡史さんを講師に向かえてセミナーを開催していました。

先月、2月24日(日)のセミナー後から色々な現実が現れました。

それはまさに奇跡、奇跡が繰り返され、人間事では計り知れない事ばかりです!

何田匡史さんのセミナーは大好評で次回はいつ頃だと問い合わせが殺到しています。
やはり何田匡史さんは素晴らしいです!
今後は、2ヶ月に1度のペースで地元でのセミナーを開く予定です。

この場をお借りしまして積哲夫先生にも感謝いたします。ありがとうございます。

今年明けから、じぶんの身体が丈夫になっている気がします。人間界では肺移植を勧められていますが、あまり気にしていません。
18歳の頃、関東地区で働いていた時も39度の熱があっても仕事をしていました。
ただ、いつも1年半のサイクルで体調不良に陥り、実家の湯治場へ帰ってきていたものでした。

わたしの身体は正直です。気合いや根性がないため、すぐ体調不良になり倒れてしまいます。
それは難病のせいだけでなく、じぶんのことを大事にしてきたからだと思います。

18歳で、東京都へ就職して、身体を壊し、3年半ぶりに実家に帰ってきたわたしは、1年間の休養を与えられました。田舎では運転免許がないと不自由なので免許を取らせて貰いました。

その年の夏に免許を取得した途端、祖父が病に倒れました。祖父は肺癌を患っていたのですが、本人はずっと我慢してたようでした。
入院が決まった時は既に手がつけられず痛みを抑える治療しか出来ませんでした。

なんとっ!免許を得たわたしに与えられたのは実は!祖父の介護だったのです。

祖父の看病に行く病院の道のりは初心者のわたしには、かなり遠く感じました。
車での所要時間は片道1時間の距離でしたが、国道を運転するときの手に汗握る瞬間を今でも忘れません。
毎日、緊張感と恐怖感を繰り返しながら祖父の待つ病院に必死の覚悟で通いました。

天は楽をさせてくれないなぁ~と想いながら毎日、病院に通ったことを今でも思い出します。あの当時の青い空と海、そして白い雲を忘れません。

毎日、過酷な状況を繰り返したお陰で運転技術は上達したのは言うまでもありません(笑)

それまで祖父は病院知らずで薬を飲んだことがありませんでした。
そのせいか身体が引き付けを起こしたり、頭が幻覚を見たり、それでも薬を投与され仕舞いにはベッドで暴れたりと、大変なことになり個室に移ることになりました。
その時、改めて薬害の怖さを体感しました。

わたしも難病を患っていましたので山ほど薬を処方されていましたが わたしの身体は薬が合わないため 副作用が酷かったので、看病を理由にその時は全然飲みませんでした。

祖父が寝たきりになり、ほとんど意識が無くなる頃には、尿道から管に繋がれていました。
点滴を打ち、酸素をつけて、痰が絡むと大変なので、吸引器を使い処理していました。
看護婦さんに教えて貰いながらの看病は、とてもよい経験になりました。
排便はオムツでした。毎日、祖父のオムツを換えるたびに『点滴だけなのにウンチはちゃんと出るんだなぁ』と身体の不思議を観察し感心しながら介護していました。

『夜爪を切ると親の死に目に会わない』と聞いたことがありますが、母と叔母は祖父が息を引き取る日に付き添い、ふたりだけで看取りました。

危篤状態になったとき、姉はすぐ駆けつけましたが、妹が仕事で来れないと母親からの電話を切った時、再度、勤め先に電話をかけ『今夜、じいちゃんが死んだら後悔するぞ!つべこべ言わず早く病院に来い!!』と怒鳴ったことを覚えています。

妹が駆けつけた時は既に意識がありませんでしたが、わたしは『じいちゃん、Mが来たよ~じいちゃん、目を開けてよ~』と大きな声で叫びました。『おぉ~Mか~』と意識が戻った瞬間、祖父と妹のてを繋がせて『じいちゃん判る?Mが来たからね~』と、もっと大きな声で言いました。祖父は大きくうなづき また意識がなくなりました。

その夜、祖父は、母親と叔母が見守るなか永眠しました。

わたしは、祖父母に礼儀礼節を教えて貰いました。その教えを忘れず、いつも常に意識して行動しています。

わたしはなんのために生まれて 何を成し遂げて死んでいくのか?幼少の頃から、いつも考えていました。

わたしの話し相手は宇宙でした。なぜなら、わたしの話がまわりの人には通じなかったからです。

『宇宙のかみさま わたし間違ってますか?』
『宇宙のかみさま わたし変ですか?』
『わたしが間違っていなかったら現実にして教えてください』
『その代わり何でも一生懸命受け取れるように頑張りますから!』

幼少期から わたしは じぶんのうちなる想いを人ではなく天に向かって叫んでいました。
じぶんのなかの孤独感と闘いながら生きてきました。

今、こうして生かされて幸せです。
今、こうして発信する場所を与えられて幸せです。

今までのわたしの人生が これからの使命に繋がる準備期間だったのだと感じます。

今日ある命は当たり前ではありません。
今日ある出来事は当たり前ではないのです。

『今年から何かが違う』

そのメッセージを探るために、また日々働きます!

ありがとうございました。