No.18

中学3年生になる頃には体力もつき、毎朝の庭先の掃き掃除や家の廊下の拭き掃除をしても息切れが軽くなりました。
退院してきたころとは違い、気持ちも身体も強くなっていったのだと思いました。

ただ、毎朝、いつもわたしを悩ませていたのは眩しいくらいの陽射しでした。

6歳からの眼の病気で、眩しさと逆さ睫毛のせいで泪目になり、体調の具合で目やにと充血で、毎朝の眼のコンディションは最悪でした。
私の実家は天然の水を引いていましたので、毎朝、鉱泉水などで、顔を洗うとサッパリとして 目がパッチリ開くような気がしたものです。

人として生きていれば色々、考えが沸いてきます。
喜怒哀楽の感情は、とても厄介で面倒なものです。
でも、その感情を冷静に受けとめ客観視できたら、物事がスムーズに行くのではないか?と常に考えています。

私の病体は、自然界のなかでは厳しく、朝の陽射しや自然の風にあたると テキメン 体調を崩してしまいます。
だからこそ 鍛えられますし、また堕落なわたしを知らしめてくれます。
物事には二極ありますから 一方方向だけをみて嘆くより もう一方をみて解釈できたら、こんなに素晴らしいことはありません。

私は、病気という理由で、自転車通学はしませんでした。
家から学校までの道のりは険しく、集落の仲間と合流するまで2㎞あまりでしたが、歩くことが困難なため、麓にある叔母の家まで車で送ってもらっていました。
叔母の家の最寄りの停留所からバスに乗り、中学校まで通っていました。

姉と妹は自転車通学を余儀なくされました。部活動が終わり夕暮れ時に帰ってくるのですが、途中の農作業小屋に自転車を停めて、そこから1㎞ほど徒歩で帰ってきていました。
実家は、急な坂道を登る山間にありましたから、自転車を途中で乗り捨てなくてはいけない環境でした。

私は、車とバス通学で、姉と妹は、自転車通学でしたが、どちらもメリット、デメリットがありました。

私は、バス時刻に間に合うように時間を気にしていましたし、乗り遅れると 一時間以上、次のバスが来ません。
そうすると、叔母の家まで、一時間かけてトボトボと歩いて帰ることもありました。
雨降りや風の日は、肺疾患には厳しく、すぐ呼吸困難になりました。自然現象は、私にとって辛くて恐ろしい存在でした。

呼吸が苦しくなると、全身が痺れ麻痺してきます。酸素が足りなくなるせいでしょうか、頭がぼやけてきたものです。
でもそういう時は、『私は、まだ死ねない。やりたいことを形にするまで、、、私は、生きるんだ!』と強くじぶんに言い聞かせていました。

病体になったじぶんの身体を把握しながら、無理しないで過ごすことが、未来の夢や希望を成し遂げるために必要なことです。

今日も息をして 朝の陽射しの眩しさを目の当たりにしながら じぶんがこの世に生かされていることに感謝しています。
自然界に癒され 支えられている環境に感謝しています。
じぶんのペースで生きられる環境に感謝、感謝なのです。

ありがとうございました。