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88アナザーストーリー 〜四國歩き遍路 その二〜

「アブナイ!」「大樹サンガアブナイ!!」

突然、いきなり、唐突に言われたんだ。それは1995年2月の終わり、3月になろうかという時だった…当時、Zさんから「大樹」という名前をいただいていた。Z+A夫妻のもと、サットサンガが始まってから半年余り。年が明け1月の前半には天子平に行ったと思う。その後、17日は神戸の震災が…神の戸が開き、いいもわるいも何もかもが放たれたように感じた。震災後は天子平に行ったのか?記録はない。天小平に伺ってなかったように記憶しているが…。それは呼ばれていない〜ということだ。

身の回りにはサットサンガに関係している三人の仲間がいたよ。一人は当時の彼女、その後、ワークの相棒になる人だ。その前年の1994年、初晩春、一緒に住み始めた。それは天子平に行き始めるちょっと前だ。最初は訝しがっていたけど、秋口から一緒に参加することに。説得したわけではないよ、同居も参加もそのタイミングでそういう計らいだったんだとおもう。そしてもう二人はカップル。鍼灸を学びにこの町に引っ越し、お店のお客さんだった青年。そしてその彼の彼女だ。その彼女は縁あってお店でバイトをしてもらっていた。前年、8月にはじめて天子平行ったときはこのカップルと三人で行ったんだ。

移り住んでいた小さな小さな流しがある四畳半二間に訪ねてきたそのカップルから伝言が…それはZさんからのものだった。

「アブナイ!」「大樹サンガアブナイ!!」 「すぐに四國に、お遍路に行くように!!!」

こっちにしてみれば “ エッ〜なにそれ?なんなんだよ。いきなり、アブナイ!ってわけわかんないっ。どういうこと??四國は関係ないでしょ、ヒーラーじゃないし。” と想った。 “ 店もあるし、物心ともにやりくりいろいろあるのに…いま、すぐに!とは???無茶な!!”

トイレは共有、風呂はなし。駅裏の急な坂の途中、小学校の時にいつもその前を通っていたオンボロぼろぼろアパート。二階建てだが、下宿のような作りで玄関は一つ。家賃は7000〜8000円だった。全部で8つほど部屋があったと記憶してるが、自分たち以外は一人暮らしのお年寄りばかり。まさか、30半ばでここに住むとは考えてもいなかったんだ。

当時、家族とは最悪。そこを出たくて1994年、なるたけ慎ましくなりたく、いきなり借りた部屋。そして気になっていた彼女を誘ってみた、一緒に暮らさないかと。付き合っていたわけではなかったけど、ね。あとで知ったことだが、父と母が出会い、夫婦になってはじめて住んだアパートがここだったそうだ、偶然にも。この年は結果、本格的な始まりの年だったよ。彼女自身も。たぶん、いや、きっと。

理由(わけ)解らない状況に追い込まれ、アドバイスというよりは脅かされてるかのような〜。でも霊的な体験、リアルにし始めていたから。またその体験から人として霊媒としてZさん信頼していたから。具体的な理由がわからないからこそ、なにか大きな意味があるかもとその伝言を受け入れつつ、想定外の面倒くささととともに得も知れぬ恐怖感も意識に上ってきてグルグルに。スピリチュアル霊的なことは物理的な頭ではわからないからね。このあたり、カルトの縛りはじめの洗脳と一見おなじ。でも似て非なるもの、有り難いアドバイスだったと今でも感謝とともに信じてます。

結果、そのアドバイスを受け入れ、お店は手伝ってくれていた亡くなった末妹とカップルの三人が責任を持ってくれることに。Zさん経由四國行きの定番は頭をツルツルにまるめること。人生二度めの剃髪。3月3日の雛まつりに晴海からフェリーに乗って四國に渡ることに。船で〜港から。この旅はそんな気分だったんだ。そして半年前から完全な植物性のゴハンとなり、なおかつ、外食も一切したくない生活だったので彼女から玄米のおにぎりを三日分、三日後に着く場所を伝え、そこに宅急便で送ってもらうことにしたんだ。格好は全身白装束は好みではないため、お遍路の笠と杖を持ち、アウトドアーのスタイル。リックのなかには少々の着替えとともにコッフェルとコンパクトバーナー、最低限の調味料一式、簡単な調理用として。自炊ですべて賄うことにしたよ。

ネットもなく、携帯もまだなく、自宅には電話もなかった1995年の3月。バタバタと最速準備して3月3日の雛まつりに四國に渡ることになったんだ。船中一泊。4日に徳島=阿波國到着、翌日5日からスタートという計画。

旅立ちを明日に控えた2日にお店に電話があった…勘当同然の家からだった。母の弟が豊橋から母を頼りにこの町に移り住み、叔父さんはこの町で当時電気屋を営んでいた。その叔父さんの右腕ともいえる方が亡くなった、と。会社に来ないので不審におもい、家を訪ねたらこたつの中で死んでいたとのことだった。突然の出来事。今晩、通夜がおこなわれるからという知らせだったんだ。

家族には近況を伝えられるような状況ではなかったので、もちろん四国に渡ることは話していなかった…なんでこのタイミングなんだよ。さらに二度目、頭を剃ってもいたのでまたまた怪しいわけわからないことしていると誤解という心配をあたえてしまうかと想いながらお線香をあげに久々に身内のもとに。有り難いことに場と時が味方してくれ、四國行きは揉める題材とはならなかった。

そして…5日朝4時過ぎ。外は生憎の雨だった。遍路初日から雨とは、トホホだなぁとおもいながら歩き始めた。なんだか、胸騒ぎとともに実家に電話をしなければ、と浮かんだ。公衆電話を探し、早朝ではあったけど電話したんだ。

母はおもったより早く出て、電話したこと、驚いたようだった。そして、伝えられたこと。 叔父さんが昨晩自殺したと…

…つづく