~いじめ~

No.4

わたしが 親元を離れて闘病生活をしていた5年間は 壮絶な戦いが 何回も繰り広げられました。

見えない世界からの声で魘され 睡眠不足になり、見える世界では 病に侵された子供たちに、リンチを受けるようになりました。

その繰り広げられた壮絶な事柄があったからこそ、今のわたしが作られたのだと思います。

見えない世界に侵されるのは まだ我慢できますが 見える世界の出来事は 辛く 悲しくなりました。

時々、我慢の限界を越えそうになり、じぶんを見失いそうになると 決まって自然界の力を借りて 我に反ったものです。

ときには、大空に向かい叫びました。
ときには、大泣きな声で泣きました。

『わたしは 絶対に 負けない!! こんなことで挫けるもんか!!』

繰り返し、繰り返し、じぶんのうちなるエネルギーを発揮して わたしに聴こえるように言葉に出しました。

決まって 涙が溢れてきては流れ落ち、そのあとから、また涙が流れ出してきましたが、その涙を拭きもしないで ただ 気が済むまで 形振り構わず泣いていました。

そのお陰からか 感受性が豊かになりました。
小さいことも面白く 些細なことが楽しく どうでもいいと見過ごすことが とてもありがたく、嬉しい気持ちになりました。

感謝や満足が出てきて わたしはわたし自身を癒すことが出来るようになりました。

今でも 印象に残る記憶は 病院での闘病生活に、疲れはてた同室の女の子からのいじめでした。

いじめと一言では表せないくらい 陰険で 悪質な状況は 人間がなにかの力に操られているかのような気がしてなりませんでした。

その、なんともおぞましい言動は 日増しに激しくなりました。
あげくの果てに 毎朝、登校前に頬を叩かれる羽目にハマってしまいました。

看護婦さんに良くしてもらったとき
友達と楽しく遊んだとき
食事をするとき共同で使用するお醤油を使ったとき
闇に侵された彼女が気に入らないことをしたとき

そんな理不尽なルールに添って頬を叩かれる回数を増やされました。

毎日、腕を押さえられ 見張りをされ 動けない状態で 頬を思い切り叩かれました。

最初は抵抗していたわたしは そのうち叩かれるままになりました。
それは、諦めの極致より、逆転のチャンスを狙っていた気持ちが上間っていたと思います。

毎日、叩かれる行為は 明らかに間違っていると確信していたわたしは 時期を待ち 心の準備をしながら ある朝、反撃に出ました。

『右の頬だけではなく 左も叩いたらいいでしょ!!』 病棟に響き渡るくらいの大声を上げました。

彼女は ビックリとドッキリが 一緒きたような驚きの顔で いつもより 強くわたしの頬を叩きつけました。

ついに 口の中が切れて 唇から血が流れました。

次の日の朝 頬が腫れていたのを気づいてくれたのは看護婦さんではなく 上級生の先輩でした。

その人は 病棟で起こる問題点を解決する自治会の会長をしていました。

その自治会長は、わたしと同じ名前で いつも 気にかけてくれた 優しく正義感溢れる人でした。

ナースステーションから 一番離れた場所にある病室で、わたしの頬を叩いていた闇がかりな彼女の審判会が、急遽、開かれました。

わたしをいじめた闇がかりな彼女と、その手下の子達は 床に正座をされられていました。
わたしと自治会長は、ベッドの上に座っていました。
ギャラリーはたくさんいたような気がします。

わたしは 変な緊張感とドキドキが止まらず、じぶんの部屋に帰りたい衝動を抑え ただその状況を見ていました。

同じように知らしめてやる!!と自治会長が号令をかけました。
逃げないように 数人で押さえつけられた
その時、わたしのなかの何が叫びました。

『ダメだよ! 同じことで仕返ししたら 同じレベルだよ。きみだけは そんな人にならないで、、、』

闇がかった彼女と その取り巻きの人たちは泣いていました。
許してください と謝っていました。
その姿を見て 涙が溢れてきました。

真実が表沙汰になった安堵と切なくつらく悲しかった気持ちが入り交じり ただ泣けてきました。

『もうすんだことだから いいです。もし ここで 叩いてもなにも解決しないから。二度と わたしみたいな人が出ないようにしてほしいです。 』

その言葉を言うだけで精一杯でした。
同時に 涙が流れて 流れて しばらく止まらなかったのです。

回りの人は慰めてくれましたが、悲しいとか、苦しいとか、辛いとか、そんな気持ちは どこかにいってしまいました。

今、思うと、、、頬を叩かれたわたしは きっと叩かれるだけの闇が わたしの中にあった気がします。

その日を境に わたしは また 生まれ変わりました。
低次元の人に囚われず 高次元を目指していこうと じぶんと固く約束しました。

もっと気のいい人になろう
もっと器量のある人になろう
もっと もっと 人を喜ばせる人になろうと
決意した日でもありました。

発病してから 入院生活をはじめて 2年目の冬の頃でした。

病気と戦う子供達の闇は深く、重く、強いと確認しました。

身体の痛みより 心の痛みが 人の気を蝕むことを目の当たりにしました。

その後も 病との闘いは まだ まだ 続くのでした。