新・神知と人知6

残されている時間が少ないので、日本における八幡神界のあり方について記述せよ、とのご指示がありました。

九州の宇佐神宮や京都の石清水八幡宮に代表される八幡神界は、特殊な物語と役割を負っていました。

「最終知識」に書かれているように、八幡神は古代エジプトにつながり、旧約聖書のモーゼ、ダビデ、ソロモンの物語に関わった神でした。

一方、八幡宮の伝承では、八幡神は人皇の第十五代応神天皇の顕現です。応神天皇は新約聖書のイエス=キリストの物語を引き継いだ存在でした。さらに八幡神界には、神仏混淆時代の仏教や修験道の結界やエネルギーの場が重なっていました。キリストから応神天皇へ続いていたこの物語の時空は、二千十七年十一月に物語が完成し、役割を成就して閉じました。おかれていた神話と開示されたエネルギーが統合されることで、完成は実現しました。

旧約のモーゼやソロモンの時代と、新約のキリスト以降の時代をつないでいたということだけでも、八幡神界がいくつもの物語や結界のエネルギーが複雑な層になっている場だと想像できます。

のちにヤハウェとなった神は、モーゼが出会った頃は火山の神や山の神という意味の「エル・シャダイ」という名でした。さらにさかのぼるとノアの曽祖父ともいわれるエノクの出会った神は、また別の神のように書かれています。神の書記、義の書記と呼ばれるエノクが受けた啓示と黙示は、旧約聖書外典「エノク書」としてエチオピアに伝え残されました。

六月三日に

“ かみ ” というもの そのものを よみとくこと が必要だった

という、みことばがあったように、二千十八年五月以降古い旧約の情報が開示されています。聖書としてまとめられている物語とは、同じではありません。また、応神天皇に引き継がれていた新約の時空が先に幕を閉じてから、旧約の情報の開示がはじまりました。これは、救世主に代表される、人知にある新約の知識では解けない何かがあることを示しています。

———————————————————

「最終知識」第一章の日本のしくみ[二]や、古事記と日本書紀の神話に書かれるように、八幡神界は高天原の神界や神々と対になっていて、呼応して動くように地上におかれた神話エネルギーの場となっています。地上におかれているということは、人間の近くにあるということです。

「地の理」の更新が非常に速いスピードで進んでいるように見えますが、そうではなく人間の認識が遅れていると考えなければ、間に合わない事態にすでに直面しています。六月十八日の大阪地震の前後に、地の古い神々であるオオナムチ、スクナヒコナ、カグツチ、ヒルコの神も表にあらわれました。すでに新しい結界に参加されています。

今回受信者は「くり返しはない」と、<みおや>さまにつながる神々から告げられています。おそらく、天と地と人の結びつきやかかわり方を新たにしなければならない時に、<みおや>と名のられた神々はあらわれます。「最終知識」の終章にあたる二千五年、兵庫県南部で大地震が起きた一九九五年、幕末から明治初期の約百五十年前、さらにノアの方舟の時代もそのようです。

間もなく『いまある聖書の物語を作ったのがなにものであるか』が、開示されます。神々が、新しい国のために、『聖書のフィルターをはずして日本という国を見る』ことをお求めになっているのはそのためです。