悪魔祓い、神霊士の体験 Vol (1)

神霊士として、初の悪魔祓いの体験をご報告させていただきます。
その前に、「精神学・最終知識」がこの地球上で、唯一の神の存在を説き、人間精神の成長において、人知では計り知れない知識を私たちに開示されていること。
その知識そのものが光であり、行動を起こすことによって、最終知識に示されている通り、「全ての約束は果たされる」こととリンクしながら、目の前の問題そのものが一つの物語として頭の中で紐解かれ、自分自身で答えを発見していく。
それを実感しながら、その都度感動とともに最終知識に書かれていることの意味を信じきれるという意志が重なり、更に高見へと導かれていく自分自身がはっきりと自覚ができ、ゆるぎない信仰という意味もやっと自分のものとなるのだと実感いたしました。
積先生を師と仰ぎ、私自身も弟子として神霊士として、自信と誇りをもって光への導きのお役目を全うさせていただくことを決意いたしました。
「最終知識」とリンクしている実感を抱く中で、一字一字の中に師の苦悩と愛が伝わってきた時には、涙が抑えられなくて泣きだすことも何度かありました。
今までにも繰り返し読んでいたはずの場所なのに、文字だけを追っていたに過ぎなかったことを思い知らされた感覚です。
積先生は、「悪魔祓いができて宗教の時代が終わるのだ」と何度もおっしゃっていました。
「イエス様の時代から、悪魔祓いができていなかったことが、二千年後にイエス様が待ち望んでくださったことがやっと行うことができたということに自信を持ちなさい。辛い過去(今生だけでなく、過去生においても)を乗り越え、やっと自分のやりたかった事、待ち望んでいたことがこれからできるのです。たましいそのものに於いても、とっても幸せなことですよ。」と讃えてくださいました。
私にとって身に余る光栄な出来事です。積先生以外の人間ができたということは、精神学が示す<実学であり、再現性である>ということが実証されるということを考えると、私自身が、心底からの信仰という事実を成しえたことは、自分にとってとてつもなく大きな喜びであります。

 前置きはこれくらいにいたしまして、事の発端は、昨年の平成28年8月21日、高1の孫が近畿大学のオープンキャンパスへ、参加するのを来年でもいいかなと、前日までは決心がついていなくて、真夜中に「やっぱり明日行くから、車で送ってほしい」というメールが届いたのです。
早朝、車で送ることになり、終わるまでの時間つぶしに、Yさん宅に電話をし、はじめてお宅に押し掛け訪問したのが、悪魔祓いの始まりになるとは思いもよりませんでした。
何年振りかで、久しぶりに楽しい時間になることを期待しての出会いのつもりでした。
しかし、部屋に通して頂きましたが、身体中がチクチクと針で刺されるような痛みと、重い空気はなんだろう? と思いつつ話していくうちに、私自身も大変な空気に包まれてしまったことに気が付きました。
奥様が、2年位前から体調不良で過呼吸や、頭がパニックになりフラストレーションを起こし気が狂いそうになる。
病院で検査を受けるが、一向に良くならず、今に至っているのだとの事。
いつか人を殺めるのではないかという不安に駆られ、家事も手につかず、買い物にも行けない状態が続く中、パニックの症状が激しい時は、外に出て歩き廻りながら気を紛らせ、誰にも理解してもらえない苦しさと闘っていたのだと言います。
その様な状態になるきっかけがあったはずです。
よくよく話を聞いてみると、やはり大きな原因がありました。
「精神学協会に対して会費が高いから始まり不平不満が募り、夫婦で話しすれば更にその思いが倍増され、会員を辞めることを積先生に伝えた。考えてみればその頃から体調が崩れ始めた。二人で文句ばっかり言っていたわ。そこへ自分に対する不平不満、私は悪くないという闇の意識感情が露骨に出ていたといいつつも、露骨な感情を表面に出しつつ、私の目の前でフラストレーションが始まりました。
私はオイル・聖水・聖塩など何も持たず無防備のまま、体当たり状態でした。
「神霊士として働いてください」と師(積先生)より許しを頂いたばかり。わたしとすればいきなり、実践の場に押し出されてしまったのです。
手がしびれる、硬直してきて指が動かない、頭が痛い、口がきけなくなってきた、目が開けられない、だんだん体温が下がってくるという状態。
「ウオーッ」と地の底からという表現しかできないような、低いうなり声を何度も出す。
本人の苦しい表情を見ているのがたまらなく辛い。
このようなエクソシスト状態が約2時間近くかけて何とか落ち着くが、完全にもとに戻ったわけではない、やっと目が開き話せるようになったが、本人は、まだ頭が痛く辛そうだが、普通の闇の処理では無理だと理解したので「明日、積先生のところへ行かせていただこう」と約束をして帰宅。

 翌日(8月22日)奥様を積先生に引き合わせ、昨日の報告と現在の状態を把握していただきました。
奥様は、頭痛を伴いながらの体調不良を押して、積先生の前に出て開口一番に、「わたしは会費の一万円にこだわり、夫婦で不平不満を言い、精神学を否定し、積さんをも悪者にして、精神学協会を信じられない存在として陰口を言っていたことをお許しください。こんなわたしですけど、もう一度会員にしていただけますか?一万円に代えられないほど神霊士さんにしていただいた箏、わたしを救ってもらえるのは、精神学協会しかない。どうかわたしを助けてください。」と言って深々と頭を下げていました。
積先生がおっしゃいました。「精神学協会のこと、わたしのことを悪く言うというのは、その時すでに何者かに左右されていたのです。私への挑戦です。二人で話すたびに、その闇のエネルギーが深くなったのでしょう。」というお話をされました。
奥様は一足先に退席され、そのあとでの積先生からのお話は、「悪魔付きです。多分半島の闇でしょう。あと少し出会いが遅ければ取り返しのつかないような事態になっていたかも知れない。これからまだまだ大変だけれど必ず良くなります。」心配したものの、積先生の最後の言葉に勇気づけられ、神霊士としての本分がこれから問われるのだと覚悟を決めました。不思議なことに、まったく不安感がありませんでした。
その時から、2月25日までの最終段階まで、それは、壮絶なという表現をしたくなるほどの修羅場が何度かありました。
積先生より、心療内科で診察を受け、一時的にも薬で安定させるのも一つの方法というアドバイスもいただきましたが、本人は「私には、半島由来の悪魔が棲みついているという原因がわかっているのだから、私は積先生と神霊士の二人を信じます」と言って病院にもいかず、悪魔祓いに打ち克つためにも頑張る決心をしてくださいました。
しかし、それは全身耐えがたい痛みや、のどから血の出るほどのうめき声、そしてエネルギー放出の時がとってもつらそうで全身から振り絞るような声で汗びっしょりとなってもすっきりしない状態が続く。そのような状態と闘い乍ら、自らの意識を変えなければならないと、「意識に光 身体に光」を祈りつつお札をしっかりと握りしめ、意識改革の必要性を充分わかりながらも、長年の気持ちを清算し、自分の気持ちをここまで追い込んだ過去の事情を許すことの行為は、なかなか大変だったと思います。
期間にして6か月、神霊士の施術は6回、そのうち電話での遠隔施術数回で、悪魔の祓いは終わりましたが、あとは本人が受けた心の傷を、如何に癒すかです。
まだ少し傷は残っていますが、これからは精神学協会の会員として、浄化上昇と精神学の知識を増やし、学びの道を究めていくことだとして、あとはご夫婦に委ねることにいたしました。

 2016年8月に「神霊士として働いてください」とのお許しをいただき、その直後に起きた課題でもありました。またこのたびの神霊士としての学びは、Yさんご夫婦の存在があって学べたものです。奥様とは20年来の長いお付き合いですが、いつも「高田さんを助けるのが私の役目」と、事あるごとに言ってくださっていたのが、今思えばすべての人とのご縁には、必ず意味があると改めて「縁」というものの大切さを再認識しているところです。
今回ほど、「最終知識」と積先生の、存在の大きさを知ったことはありませんでした。
本当にありがとうございました。一言では伝えきれないほど感謝の気持ちで一杯です。
この学びによって私の過去に起こった数々の神秘体験の意味も、最終知識を読み進めていくうちに何度かうなずけるところがあって、90%は理解できたと思っています。すべてが使命を全うするために精神界からの指導であったと受け止めることができました。そして悪魔祓いが終わった時点で、宗教と共に卒業させるものであることをも認識いたしました。
このご報告を書いている最中に、Yさんのご主人よりメールが届きました。
3月10日15時51分
妻は、かなり落ち着いています。神霊士のお二人に感謝いたします。
声在り、  「やまのかみ と ひらおか に まいれ」
明日、妻と枚岡神社に参ります。
という内容でした。