自分と向き合うためのメモとして

誰得にもならないので、スルー推奨します。

 

 

知人のFB投稿を見て、突然涙がボロボロとあふれ出た。

それは、反抗期で自分の元を離れ息子さんが、徐々に大人へと成長している過程を感じ取り、ようやく光明が見えてきた。子供という存在が自分をこんなにも幸せにしてくれるものだったのか、という内容。

それを読んでいると、突き動かされるように突然涙が溢れて止まず、声を上げて泣いてしまった。

普段ならば少し泣いたら治まるはずなのに、今日は一度泣いても二度泣いても、治まったと思うとまたこみ上げてくる。

そこでようやく、自分が何にこんなに悲しさを覚えるのか、涙が溢れて声を上げてしまうのか、その大元は何なのかに意識を向けるようになった。

今までにも突然涙が出るような事はあったが、すぐに治まっていた事から「この感情は自分のものではない」と考え、わざわざそこに意識をフォーカスしたことはなかった。

でも、今日は妙に治まらない。

これはひょっとしてなにか隠そうと押し込めていたものの蓋が、開きつつあるのかもしれないと思った。

だから、今日は頭に思い浮かぶことを考えながら、紐解きながら書いていく。

これがすべての紐解きではないかもしれないけど、後々見返して反省できればいいと思う。

 

キーワードは子供。

 

私は子供は苦手、子供は扱いづらい、子供は煩い、子供はわからない。だから育てられるかもわからないし面倒くさい。親になんてなれない。そういつからそう考えていた。

逃げ癖だ。

わからないもの、面倒なものから逃げたい。多分、それが身に沁みついている。

あとは過去の出来事。過去のパートナーが皆、子供を望んでいない人ばかりだったことに気が付いた。

私自身も、身体の機能上から子供が「望めない」と思い込んで、子供のことを考えないようにしていた。

 

でも、本音はどうだろう。

 

初めて子供を望む人がいた。

それを聞いたときに、素直に「この人の子供が産みたい」と思えた。自分の心が子供を望んでいることに気が付いた。

「渇望」していると言っていいほど、自分の家族を望んでいた。

自分の本心が【何を望んでいるのか】に初めて耳を傾けた瞬間だったかもしれない。

あ、私は子供が欲しいんだ。家族が欲しいんだ。

そう意識化された時、自分の身体にも変化が起こった。

長年の悩みの種であった婦人科系の病気が、突然快方に向かい始めた。それも医学的にはあり得ないような変化の仕方で。

 

 

それがわかったら、今度は自分との対峙が始まる。

一つは何故こんなにも自分の家族が欲しいと思ったのか。

それは生物としての自然なものと、子供のころの家族としての幸せな楽しい記憶と、それと真逆の家族としての悲しい苦しい記憶。

苦しみ、悲しみ、寂しさ、恨みつらみを塗り消して、与えられる愛を感じたかったし愛を与えたかった。

結果それは愛ではないと気づいた。

私の欲と、私の中にいる「コントロールをしたいもの」も、その中には含まれていた。

 

もう一つは、こちらの方がもっと重要で…なぜ自分はこんなにも自分の声から目を逸らしたのか。

答えは「逃げ」だ。

自分の声を聴くには、きちんと自分と対峙して、やるべきことをやらなくてはいけない。

それをしないで生きてきた。

楽して、できることだけやって、やりたくないことからは逃げて、向き合わずに生きてきた。

 

本当の自分は、そうだったんだと気が付いた。

だからすべてがうまくいくわけがない。

自分のことしか見れていないのに、自分のことから目を背けている。

自分を見ないために外にばかり目を向けていたから、人のことは良く見えるし荒さがしも得意。

だからいくらでも人に偉そうに言えるのに、自分のことは何一つわかっていない。

同じことをずっと繰り返している。

自分のフィルターで外を見ている。心にがっつりフィルターと眼鏡をかけて、心貧しきものになれていない。

だから、愛を見ずに愛を感じずに生きてきた。これは一つ目の何故にも繋がる。

欲しい欲しいとあるはずの、既に与えられているはずの愛を、もっともっとと強欲に求めていた。

見ていないんだもの、向き合っていないんだもの。

だって、逃げているから。すべてから。

そんな自分を、自分が一番知っている。

一番弱くて、醜いところを、本当はずっと見ていた。

だから見たくなかった、知りたくなかった、向き合いたくなかった。

上っ面にいくら塗り重ねても、結局一番下の部分が整っていなければすべてはちぐはぐになって綻びが出る。

強欲と、コントロールしたい何者かが、そっくり登場してしまった。

 

だから、与えられたチャンスを、自らの手で壊してしまった。

いや、もしかしたらこれが最後の学びのチャンスとして与えられた場だったのかもしれない。

 

もう逃げたくない。

はたらくためにも、幸せになるためにも。