小泉亡国内閣

2005年9月11日、小泉首相は選挙で圧勝した。4年前に小泉内閣が誕生したときに、私に「小泉亡国内閣」という声があった。これで、日本は完全に終ることになる。
ほとんど、ブラックユーモアの話だが、頭がそれほどよくない分、ところどころで本音を出すブッシュ息子大統領は、小泉首相を「サージェント・コイズミ」と呼んだという。軍曹である。
日本のプライム・ミニスターは、アメリカの大統領にとって、サージェントでしかない。
一般的にいわれる「ポチ」よりも、ましかというと、これは違う。「ポチ」の話は、イギリスのブレア首相が、ブッシュの飼犬かと批判されたところに話の出所があり、ブッシュの言葉ではない。サージェントは、ブッシュがそういったとされるのだ。
ブッシュのアメリカは、唯一の超大国、新しい帝国であることを自認する。歴史的に見ると、かなり異質な国家観がそこにある。
よく単独行動主義といわれるが、この世界で、アメリカのみがルールの執行者として行動する能力と力を現実に持っていることから、この発想は生まれる。しかし、パックスロマーナのローマ帝国とは、本質的に違い、アメリカの他国への優位は、その軍事面と経済力に限られていることを、フランスやドイツ、その他の諸国の指導者たちは認識している。この認識の違いを日本のメディアは取り上げることなく、ここまできてしまった。
日本という国は、私がすでに書いたように、アメリカの属州である。小泉勝利を世界から見れば、この国は、アメリカのつくったルールのなかで生存し続けることを選択したということになるのだろう。
今回の総選挙の争点は郵政の民営化ということに小泉が決めて、それは支持された。郵政の民営化を、日本の国内問題のように、伝え続けているメディア同様、他の政党もこれが日米経済問題だということを結局、取り上げないまま選挙は終わった。
その結果として、次のようなシナリオが、これからの日本に用意されている。この通りになったとしたら、日本は完全に終ることになるだろう。私をつかさどる存在が、「小泉亡国内閣」と伝えてきた理由はそれである。
このシナリオは簡単である。
イラク戦争によって、財政赤字が拡大し、さらに石油価格の上昇という新しい難問をかかえたアメリカがある。アメリカの経済メディアが、日本の参議院で郵政民営化法案が否決されたときに、その資金がアメリカの流入するのが、先おくりされたとして、失望を記事にしたように、アメリカにとって、郵政の約340兆円という資金は、どうしても欲しい資金なのだ。
この、現在、郵政にあり、歴史的に財政投融資という形で、各種の公団など、いまでは独立行政法人と呼ばれる不透明な部門に流れた資金の一部は、確実に不良債権化しているといわれる。そのためトータルで約340兆円が残っているかどうかは別にして、これが、日本を支えている個人の金融資産約1400兆円の中核にある。すでに、日本の国と地方の借金(国債、地方債)は2004年度末で約740兆円、2005年末には、約774兆円にまで拡大するといわれている。この借金は、対GDP比150%を超える。このペースで借金が続けられるのは、ほとんど、ゼロ金利の状態で日本の銀行と郵貯が国債を買い続けているからだ。すべて国内における借金である。だから、国際的にデフォルトには陥らない。しかし、もし、長期金利が上昇し、国債の暴落が起きれば、日本政府は倒産状態、もちろん、銀行は全滅という状態になる。
郵貯と簡保の資金は、ニューヨークの金融プロに結局は、ゆだねられるようになる。日本には、これだけ巨大な資金を運用するノウハウも人材もないからだ。そして、それはこれまでもよくあったように、日本売り、日本買いのマネーゲームの原資になる。
日本経済の安全を保障していた最後のカードも、こうしてアメリカにゆだねられた。そして、日本の資金がつきた時に、アメリカの経済も、多分行きづまるだろう。日本のように気前のいい経済パートナーは、どこにもいない。中国はすでに外貨の一部をユーロにシフトしている。日本では、できない。
日米同時クラッシュが、このシナリオの終りである。それは世界にとって悪夢だが、どう考えても、ドルの帝国の終りが近づいているのだ。

<終りに>
経済とは数字です。数字で見ていれば、次はどうなるか予測できるものです。アメリカはペーパーマネーのドルを刷りすぎました。日本はドルを買いすぎました。国民に借金をしすぎました。実体経済とかけ離れた数字のペーパーマネーが、世界でオーバーフローしています。そこに生じた投機資金の破壊力には、ひとつの国の経済では、もはや対抗することができません。
<精神学>を学べば、創造力が高まります。会員のどなたかがケインズを超える新しい経済学を生みだすことを期待しましょう。
世界には、たとえば第3世界を救済するためのトービン・タックスなどの新しい経済を考えたモデルが出てきています。その先に、世界経済の新しいルールやモデルが、きっと生まれるでしょう。

<追記>
2001年9月12日に、私は「属州の幸福の終り」という文章を次のような言葉でしめくくっている。2001年9月11日の事件と、2005年9月11日の出来事をつなぐ糸として一読されたい。

  9月11日のワールドトレードセンターとペンタゴンへのテロは、これまでアメリカを幸運にしてきた結界の消失を明らかにしている。このことは、いまの市場主義、ドルによるグローバリズムという動きにも変化を生じさせる。
  精神学的にいうと、敗戦後、マッカーサーと天皇の写真が公表され、天皇を象徴という、まことにモラトリアムなものにした現在の憲法が与えられ、この国は外交も防衛も、考える必要のないアメリカの属州となった。王はいるが、その上にローマ皇帝がいるという、かつてのローマ帝国の属州と同じである。強大な力のもとで、思考を停止させ、しかも何の影響力もない羊の群れは、自分たちの羊飼の政や官の上に、別な主人がいることに気づいても、それでよしとしてきた。
それが終る。
  私は、この属州の幸福を否定するものではない。しかし、環境が変わった。日本の経済優先主義は、自分たちがつくり出した幻想につまずいて、クラッシュした。9月11日の事件で、次は、政治的無能力が、さらに大きなクラッシュを生じさせる危険が一気に増大した。
  ひとりひとりが目覚めないと、この危機は回避できないところまできている。