#12 いま、憲法について考えてみる その1

~ そもそも憲法って何のため? ・・・ 改憲の必要。~

五月三日は憲法記念日です。

昭和二十二年五月三日に日本国憲法が施行されましたが、昭和二十三年の祝日法(国民の祝日に関する法律)で、「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」ことを趣旨として制定された祝日です。

  参考資料  日本国憲法
  http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html 
  http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j01.html 

この機会に、日本の憲法の成り立ちを振り返り、「憲法」のあってほしい姿について考え、探ってみたいと思います。

  参考資料  日本国憲法の誕生
  http://www.ndl.go.jp/constitution/index.html  

戦後作られた憲法への論議は、喧伝されて久しく、賛否両論の中心となる九条を含めて評価もまちまちです。
改正しようという動きにも波があり、いまだに発効後一度も修正されたことがありません。

大手メディアの多くは、「憲法を改正するとしても、少なくとも九条は守らねばならない」という論調の記事を、あたかも守らなければ戦争になるかのような方向性で、多く取り上げています。

私も、数年前までは「九条を平和遺産に」という活動をしている人たちに対し、「それもいいかも!」と思っていました。
今は大きく違いますが、少なくともニューヨークで大規模テロの起きた九.一一のあった頃には、「ほかの部分を改正したとしても、九条には触らないでおくのがいいに違いない」という考えでした。

勉強不足はもちろんあります。しかし今振り返ると、ごく普通に育ち、素直に学校教育を受けて、なんとか衣食住も足りた人たちには当然の結末にも思えます。
つまり世の中に対する悪意や恨みも特に持つことなく、安全のうちに平和な日常を過ごしていると、日本人もGHQの軍人も、中国も、韓国や北朝鮮の人々も同じ人間なのだから、話せばわかるし、どの国の人もみなよその国を襲撃するより、平和に暮らすのが良いに決まっていると善意に解釈して捉えるのです。それは日本では普通のことで、特に変わった人ということではありません。
それが、「平和ボケ」だと指摘される事の成り行きです。

過去の歴史を調べていくと、世界はほんとうに、想像を絶するほど邪悪でいちいち驚きます。
その邪悪な世界に囲まれていることをきちんと認識すれば、軍備がゼロでいいとは言えるわけがありません。

有事を想定せず、軍備ゼロがいい人は、自宅を留守にするときに鍵をかけずに遠出するのと同じです。
一昔前の日本では、ちょっと買い物に行く間、鍵をかけないのは通常にあることでした。
今は、そういう慣習も地域限定で、ほとんどなくなっていると思います。

こんな時代に至り、あらためて「憲法」について、周辺事情も含め知りたいと思いました。

そもそも「憲法」の存在目的とは、何なのか。
そしてなぜ、こんなにも「憲法改正」を危険視したり、現行憲法をそのままにしたい人たちが多いのか。
かつての自分もそうしたソフト洗脳のような状況にありましたが、この機会に全体像を知ろうと思います。

もともと世界的に、「憲法」は国家権力の暴走を防止し、国民の生存権、自然権を守るための基本ルールという位置づけになっていると思いますが、特に憲法としては規定のない英国のような国もあります。
「憲法学」などというジャンルが、学問として成り立っているのは日本だけ、というお話も耳にしています。

現行憲法の成立を調べていくと、近代史・現代史にどうしても触れることになります。
なぜならば、いまの「日本国憲法」は、アメリカ製だからです。
二〇一六年には当時の米国副大統領であったバイデン氏による発言もありました。
http://www.sankei.com/world/news/160816/wor1608160022-n1.html  

どうしてそういうことになったのか、といえば、戦争で負けたからということになりますが、こうした意味でも、正しく歴史を知ることは大変重要です。
なぜ敗戦に至る戦争をしなければならなかったのか、敗戦後の混乱期に何がおきて、どうして今に至っているのか、歴史をきちんと知らないと、視点がおかしくなります。
そして、調べていくほど、いかに自分が正しい歴史を教えられていなかったか、を知ることにもなります。
私の世代よりは改善されている部分もあるかと思いますが、おそらく現在の学校教育においても、正しく歴史を伝えられてはいないでしょう。

憲法を改正したくない方々の、改正したくない理由は何故なのか、GHQによる政策(WGIP)ももちろんありますが、戦後七十年を過ぎても自主規制をかけているこの国の体制にも問題があります。
これも、学校教育を含めて改善していかないといけませんが、いまは個々の私たちが知りたいと思えば、少しの努力でかなりたくさんのことを知ることができます。
自分たちの生きる祖国の、基礎となる部分ですから、努力を惜しまず、学んでいく姿勢をもちたいものですね。

また、現在施行されている「日本国憲法」よりは、「大日本国憲法」のほうが良いから戻そう、というご意見をお持ちの方々もいらっしゃいます。
しかし、「大日本国憲法」に手抜かりがあったから、最後まで戦争してはならないとおっしゃっていた天皇陛下の言いつけも守らずに開戦した戦争の結果を、すべて天皇陛下おひとりに押し付けるような事態になったと思うと、そこに戻ってはいけないのだとわかります。

そもそも、日本に憲法が必要なのかどうか、から考えたいところですが、国の基本姿勢をあらわす大元の法律という立場のものであるならば、解釈によってどのようにでも受け止められるルールというのは、どんなものなのでしょうか。

国民全員が守り、なおかつ守られる基本ルールが憲法であるには、幼い子供にもわかり、誰でもが共通認識として守れる内容がいいと私は思います。
シンプルなことも、守り続けるのは努力の要ることですが、これまでもそうだったように、権威と権力を分けて、奴隷のような支配も被支配もなく、自由にともに力を尽くしあえる社会作りをしようと確認できるものなら、もっと短くていいと思います。

法律が増える、複雑化するということは、人々の民度が下がっている傾向、社会状況をあらわしているのでしょう。

今日は、いま読んでいる本をご紹介いたします。

  『日本人に「憲法」は要らない』 
  西村幸祐著  KK ベストセラーズ ベスト新書  八百円+税 

平成二十九年四月二十一日
阿部 幸子
協力 ツチダクミコ