人がいない

先日、近所の人とスーパーで会って、立ち話をした。
「大型電器チェーン店と地元の家電チェーン店との値段を比べて、買おうと思ったが、店内に店員がいないから、聞こうと思っても聞けないのよ~」
そうなのだ。大型チェーン店には、恐ろしく店員がいない。地元のチェーン店は店員がいっぱいいる。結局、地元の方が安心する。
私のパート先でも実はこんなことが起きている。
転勤で人が出ていき、補充が来ない。
その転勤も辞令が来て、(主任クラスは)三日で次の勤務地に引っ越さないといけない。
ある人は、正月の三ヶ日で知らぬ間に転勤になっていたそうだ。

「以前は、辞めて行く人が多かったけど、最近の就職難でなかなか人が辞めないのだそうだ。このまま十年もすると、人件費で赤字になる」
そこで会社は、正社員一人を雇うよりも五人のパートを雇う方針になりつつある。
今ですら、人がいないのにもっと減らそうとしている。…不親切になる。
正直、パートは、売り上げ目標の達成よりも、お客さんから笑顔で「ありがとう」と言われた方がうれしい。 
パートには、正社員並みのちゃんとした教育システムがない。年齢もあって、一度教わって覚えきれるものでもない。
しかも、オールラウンドにこなさなければならない。人がいないから、お客さんに知らないことをよく聞かれる。私は、あやふやな答えになる。
広い売り場で、老夫婦に聞かれようものなら、できるだけ歩かせないように最短距離でその商品のあるところに連れて行きたいと思う。しかし、詳しくもないから時間もかかる。
やるべきことがたくさんあって、上司に、できていないところを指摘されると、反省しきりだが、仕事がトロイのを差し引いても、とうていできない仕事の量をパートが担っている。当然、四時間のパートでは、やり残してしまう。あと一時間欲しい。
そのやり残しをあれこれ突かれるものだから、自分の能力のなさ、コンプレックスにさいまなれてしまう。
しかも会社からは、売り上げが減った分、去年よりも残業時間をこの店全体で1000時間減らすようにとお達しがあった。
それをそのまま、受け入れているみんなは、洗脳されているのではないかとさえ思えた。
「お客様のために」と言われて、「会社の利潤追求のために」こき使われているのではないかと。
それほど、日本全体が不景気なのだろうか。
よくよく考えると、ベテランの七時間のパートさんがやっていた仕事をシステム化で減らしたとはいえ、四時間の新人にやらせようとしているのだから無理があるし、やれていない。もちろん、そのヤリ手のパートさんにかなり手伝って貰っている。これがまた、相手の時間を奪うことでもあり、心苦しいのだ。

ある日、荷物を運ぶ台車の大きいのは使わないようにとのお達しもあった。
撤収して、色々なコストの無駄をなくそうとしているのだ。
その台車が一つもない時があって、運べない。またまた仕事がやりにくくなるな~と思いつつ腰をかがめると、腰に何らかのエネルギーが流れ込んで来た。音はなかったが、ぎっくり腰のようになった。
明日はとうていこの作業は無理だと思って、そのまま上下にだけ腰を動かし、作業を続けた。以前、老人ホームで掃除機を使っていたら、腰が痛くなり、整体へ行ったら「軽いぎっくり腰のようなもの」と言われた。同じ症状なので今回もそうだろう。
SBMのオイルを塗って寝たら、次の日には、通常の仕事ができる程に回復した。
結局、整体には行かずに今は、完治している。
やはり、よくないエネルギーを呼び込んでしまったのだ。

会社から、PBブランドの改善提案を吸い上げる指令が出ていて、毎週提出しなければならない。
「純国産の地場産業物を売って日本を元気にする」
仕事のできないパートの分際で、私なりに考えた提案は、却下された。
「うちは、安く仕入れて安く売っている店だから輸入物の方針なのだ」
その安さの恩恵に授かっているのも確かなのだが、このままでは日本のお金が流出し続けると感じる。
日本の受ける艱難辛苦ってこのことだったのかと思う今日この頃だ。
 

コメントを残す