光と共に生きる喜び

 過去に体験したことを書き記しておこうと思い、ペンを持ったのがきっかけで、次々と思いのままに書いたノートが数十冊。自分の心の記録として、今それをブログに残す勇気が、やっと湧いてきました。素直な心で、馬鹿と思われようと、わたしは信じる。不思議な夢、不思議な出来事も何か意味あることとして、信じる。<夢もまた魂の輝き心の糧となる>心の中にいつも暖めていた思い。何でも良い方向に考えよう。悪の中にも善を観ようとする心。その思いが今の幸せな自分を育んだと素直に信じられる。「光と共に生きる喜び」「光と共に生きる人生」喜怒哀楽の全てが自分を輝かせるための学びであることを知り、人の出会いや全ての出来事等の遭遇も、何かを得るものと思えばその縁も有り難く見える。主な出来事 *平成元年八月・突然のメッセージ「脳を変えよ・人の心が変わる・瞑想」*平成二年二月・単行本「空海の大予言」を読み終わり枕元に置いた瞬間表紙に書かれている空海の生々しい顔にビクッとする。直後40度の高熱を出すが3時間でスーッと下がる。後、とっても清々しい気分になる。*平成二年三月・夢の中、真っ青な空と白い玉砂利。沢山の神々が、グループをなして散策している。それぞれグループごとに私の前まで挨拶に来てくれる。横で誰かが「何々の国の何々の神」と言って、全ての神々を紹介してくださる。様々な衣装に身を包んだ神々たち。何故私だけが一段高いところに居たのだろう。*平成二年九月三日・出石の稲荷神社に参拝した時のこと。       
     (光の写真が入る)                
   義父は足が悪いのでここで待つと言うから、私も一緒に付き合うから神さまに断りをしてここから手を合わすから、と言って両手をあわせたとたんに、義父の「カシャ」というシャッターを切る音。その直後に「許す」という言葉が入る。びっくりして何を許してくれたのだろうか?あれやこれやと思いをめぐらすが分からない。数日後この写真であった。その後で又言葉が届く。「これ天より送られし、力なり。天地を結ぶ、光なり。天を信じ、己を信じ、火となれ、水となれ、土となれ。」その後も『許す』の言葉が、頭から離れない。*平成三年六月・台風崩れの嵐の中、「こんな嵐に山に登るなんて、神経が分からん。選りにもよって、こんな天気に行かなくてもよい」と主人にさとされるから、我慢しているが、どうしても我慢できない。「やっぱり行ってくる」といって、主人の反対を押し切って出かけることに。母が危ないから、一緒に行くといってついてきてくれたが、確かに危険な状態だった。雨は前が見えないくらいドシャ降り、何が飛んでくるか知れないくらいの風。それでも高野山の山上めがけて車を走らせる。山上では、手前の一の橋から参道を奥の院に向う。参道は小川のように水が流れている。着衣は水が滴り落ち、全身ビショぬれ状態。奥の院に着く頃には雨が上り、私と母以外に誰も参詣者が居ない。弘法大師御廟の地下室に降りる。手を合わせていると後ろに行者さん。なにやらお経を唱えているようにも聞こえる。少し振り返ると、足に白の脚絆にわらぞうりをはいて、手には数珠と長い錫杖をついて。とっさに空海さんと思ったが顔を見る勇気がなかった。しばらく時間が経過し、気配を感じなくなったので、母の待つ階段の上に戻る。私は十分くらいの時間だと思ったが、実際には一時間近くもいたそうである。行者さんが居てと話すが、「地下には誰も入らないし、出ても来ないよ」とのこと。ここしか出入り口がないから、何とも不思議であった。その後大塔に向う。時間はとっくに五時を過ぎている。入れないのを覚悟して前に着くと、二十センチ程扉が開いている。入ろうかどうしようか迷っていると、向こうからお坊さん。「あんた等ほんま仏縁のある人らや。いつもならもう閉まっているよ。今日も五時に閉めに来たのに、鍵持ってくるのを忘れた。かつてこんなこと無かったのに不思議なことや。こんな嵐に来て御利益あるよ」といいながら、扉を開けて電気までつけてくださる。本当に有り難いことです。帰りがけ白布がかかった横にはみ出した、空海さんの掛け軸。気になり買い求める。「今日は時間が遅いので、又今度お参りのときに持参してくれたら、御霊を入れますよ」とのこと。帰り道、途中の花坂休憩所の売り場で、金龍のお姿を買い求める。(これが又、次の不思議へ繋がることも知らずに・・・・・・・)*平成三年七月・その夜何気なく空海さんの掛け軸を、机の上に広げて眠る。バシッという凄い音と同時に、私は光の中に!!*平成三年八月・瞑想を楽しむ仲間も増え始めて頃、せめて名前くらい付けようということで、皆で考え始めるがなかなか思い描くイメージの名前が見つからない。あんまり考えても良くないから、必要ならそのうち見つかるぐらいの気持ちで、二ヶ月ほど過ぎていたと思います。ある朝、娘が集めていた栞を何気なく手にもって出かける。瞑想仲間とお喋りしている時、ふとその栞を取り出してみると、きれいなコスモスの写真、その裏に、花言葉(美しい行い)ギリシャ語で(宇宙・調和)とかかれている。それを見て即座に仲間が、「求めていたイメージにピッタリやね」という。いつも何かがあると答えを求めに登る山にその時も、そのつもりで登り、瞑想した後ラジオのスイッチを入れる。流れてきたのは正に、山口百恵さんのコスモスの曲。偶然が無いことを知る。以来グループ名を、愛着をもって「こすもす」と呼んでいる。*平成三年十月・眠り込んで久しい夜明け前。ゴオーッと地響きと同時に大空いっぱいに、金色の龍の姿。視界に全身が収まらないほど、とてつもなく大きい。ウロコ一枚一枚に、苔でも生えているほど古い。下から上に昇っているが、大きすぎて全身が見えない。頭から半分ほど見えた頃に、空を見ると大きな龍の顔が私のほうを見下ろしている。しばらく目と目が見つめ合う。そのうちに私の眉間のところが、パカッとひらく。そこをめがけて、その大きな龍の顔が接近する。長い顔の口から、顔全体が入ると胴体も、大きなウロコが目の前を通過する。尻尾の最後まで入ったと思った瞬間、パタンと眉間が閉じる。そのショックにキャーッと悲鳴を上げて目を覚ます。あまりにも衝撃的でしばらく放心状態でした。夢とは思えない生々しさ。眉間のところに指を当てる。丸く開いたと思われるところが、ベルベットのような生地を触っている感触で、その部分だけシビレたような感じが数日間続く。自分の体であってそうでないような、本来の感覚に戻るまでしばらく日数を要した。自分以外の意識体が入る。全く信じられないような体験でした。(*注:その龍もまた、積さんとの出会いによって変化したことを後に記したいと思います。)