無機質に響く

 山に登ると、さわやかな風に洗われるような爽快感を感じる。

 バッハの精選された音の羅列にも、同じ感覚を抱く。

細胞のひとつ、ひとつのDNAが本来の波動に共鳴し、再び息吹くような感覚である。
これが身体の意識で、私の意識(脳)が感知し、言語化したのが上の表現になる。

 以前、座禅に興味をもち、足しげく通ってしまったが、心の平常は、求めれば求めるほど遠きものになってくる。
 白隠さんが示したように、呼吸という行為に集中することで、煩悩が軽減していく。複式呼吸で、背骨の上下連動を導き、緊張の箍がはずれる。その結果、意識、無意識は別にして、篭ったエネルギーが情報化され、改善していくということなのかもしれない。

 上昇という行為は脳に上げる訓練でもあるし、プログラムがエネルギーを情報化し、無害、無機に変換させる訓練となるようだ。身体がよくなる、悩みがなくなるという次元ではなく、自分が一歩足を出し、そこで得た感覚を、自分オリジナルに表現できる。 自分を生きる。これが、人として生きる事なのだろう。

 環境問題も、人間自身も、有機的なこんがらがった構造を如何に分解し、還元していくか、根本課題はすべて一緒だ。

 バクテリアのようにこつこつ、分解しなくては!! 
 

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