忘却の彼方に

信州の深い林の中の手づくりの教会は、大きな家具のような設えだった。
しっくいの白壁と太い柱、十字架や、イコンや、楽器職人のイラストのついた茶色いロウソクもあった。
急な階段を昇った二階には、天井桟敷のようになっていて、私はそこから観ていた。
チェロのソロ演奏は、生まれて初めて聴いたので、生の楽器の音に色んな音色と幅があるのに驚かされた。
積さんが愛しむようにチェロをかかえて、聖別された後は、確かに音色が変わった。うっとりするような、艶っぽく変化した。
Mayさんは、本当にプレッシャーの中でよく頑張られたと思う。
いい演奏会をありがとうございました。 
             
                 ☆☆☆

そしてSBMの内容は、ある点で自分の思い違いに気がつけてよかった。私の中では、急激に進歩できて満足だった。
とくにtanemakiさんには、知り合ってまだ日も浅いのに、ご自宅に二泊もさせて頂き、お世話になりました。音楽会に行けたのもtanemakiさんのお陰です。ありがとうございました。

その後の飲み会では、久しぶりに超~楽しかった。
しかし、その合間に気になっていた義母のことを動画に撮っていたのを思い出した。
私は、義母の歩く様子を携帯で録画して複数の会員さんや、積さんに観て頂いた。
はっきり言って、私たちではお手上げだったからだ。
まず、Hriponさんは、これを診て「この人は、歩こうとしていない」と言った。「歩けないことがこの人のアイディンティティーなんだ」とも。
「えっ~~~」
義母は一生懸命足を動かしている。夕方になると、すり足で本当に一ミリ単位でしか進んでいなけれども。例えば、三メートル進むのに五分かかる。私には、一生懸命歩いても、老いて機能が衰えてそれができなくなったとしか思えなかった。
積さんは、「SBMで治るよ」とおっしゃられた。
私にチャンスを与えてくれた。足は触らせてくれても、背中まで見せてくれるかは、やってみるしかないが。
介護認定のために二つの病院に行っても、歩く姿は見てくれない。歩行訓練しかないと思うのだが、一回行っただけで、腰が痛いとかでもう行きたがらない。
「施設に行きたくないんだよ」
それも教えてくれた。私は、「自分から行きたい」と言うので行きたいのと思っていた。
しかし、B型のイノシシ年で、共同生活ができるのか?疑問に思ったこともある。やっぱり家で好きに暮らしたいのだ。本心は。
もう一つ深いところで、言わないのにうちらの家族の葛藤が分かってしまって、ある秘策を教えて頂いた。
「言いなりになっちゃだめだよ。施設にはいりたいの?家にいたいの?を毎日繰り返し聞かせると、性格がコロッと変わるよ」
義母は、自分でやると言い張らないで、できないことは、素直に人に頼んでくれたらいいのにと思っていた。
Mayさんや、Motosasaさんからも深いところで指摘して頂いた。
「これだけ、体が動かないのだから、面倒を看て欲しい」
と言うのが、義母の本心だと言うことが、やっとわかった。それが痛々しい。Hariponさんの言った意味と繋がった。
それが、大正生まれの人間だから、人様に迷惑をかけることを潔しとしない。だから、自分で何とかしようともがいている。
「生きたいの」
motosasaさんが涙ぐんだ。
私もつられて、「今まで一生懸命働いてきてるの」と涙ぐんだ。お母さんが二歳半で死んで、幼いうちから奉公に出されて、旦那は若いうちに病死して、二人の子供を必死で働いて育てて、働きっぱなしだ。
しかし、その義母の天下でもある。言い出したら聞かないから、転んでも助け起こそうとすると怒り出す。家族は振り回されている。
「コミュニケーション不足からきている」
Mayさんの指摘は、・・・確かにその通りだった。
耳が遠いの、こちらの物は受け取らないが、あちらの物は押し付ける。何回言っても話しが通じない。意志の疎通を諦めていた部分があった。だから、何でも「ウン ウン」と済ませていた。
私は、義母はずっと働いて来たから、養老院(施設)へ住んで、休みたいのだと思っていた。
体が動かないのは、人の世話になることを最後に学習するのではないかと想像した。
「あの時代の人は、家族のために働いていて、人の世話にならずに、コロッと死にたいのよ」
「そうなのよ」
それは義母の本望でしょうけど。それでは、家族の意味がない。持ちつ持たれつが理想的だと思う。せめて、痛みのないように。それだけじゃなくって、母親思いの旦那にも遠慮する、かたくなな心まで解けて幸せな家族になればいいよね。私はそこまで、SBMをやりたいと思っていた。

昨夜、そのことを旦那に告げた。
「本心はね、施設に行きたくないんだって・・・」
「歩こうとしていないんだって」
それには、信じられないから、激しく反応していた。
「施設に行きたいか。ここに居たいのか」を毎日言うと変わるんだって。
「そういうことは、自分にはできない」
「私が言うよ~」
さりげなく、踏み出す勇気がいる。拒絶が恐い。
それと旦那がいつもクスンクスン鼻を鳴らしているので、私が「それを治したら協会を信じる」そうだ。 
こっちにはもう、二回やった。

勇気を出して、少しずつ、夕食後の義母の部屋を覗いて、タイミングをみた。
午前中は、それなりに体を動かしているが、夕方になると動かなくなる。
足は、確かにむくんでいた。左目のまぶたも少し重そうにタレているのが、少しひいた。
「腎臓かな~」
と思った。
「明日の朝は、病院へ行こう」
と旦那が言っている。
「目は、むくんでいないから、病院へ行かなくていいね」
「うん」
オイルをつけてマッサージをしながら、足の裏から少しずつ範囲を伸ばす。思い切って首や、背中も塗って、最後に手の平を塗った。
「きれいな皮膚ね~」
きれいな手ね~と言うつもりが、つい表面を見てしまった。
「あんた、顔がまん丸だね」
カウンターパンチをくらった。
「手は細いのにね~」
「うん、手は昔から細かったのよ、顔は昔から丸いのよ」
義母の手は、折れそうなぐらい細い。
宮古島から取り寄せた、アロエベラジュースを勧めたが、どうしても飲んでくれない。
「病院へ行きたくないんだったら、これ飲んで」
と何回勧めてもダメだった。
「じゃあ、明日もマッサージしてあげるからね」
義母は丁寧な礼を言った。

「やっぱり、養老院へ行く?を毎日言わないと、義母主体の体制が変わらないかな~」
と旦那に報告した。
明日の病院はとりあえずとりやめ、旦那の口からその言葉を待つことになった。

この前、通所の歩行リハビリのための契約書を書く時に「後期高齢者医療被保険証」と「介護保険被保険者証」を預けっぱなしになっていて、電話で「返して欲しい」と言うと、とっくに返ってきたらしいのだが、どこにも見当たらない。
返してくれる時、「健康保険証が入っています」と言ってくれたらいいのにと思いつつ、私も契約書を見たような気もするが、じゃあ現物はどうしてないのだろう?謎のままだ。
あの時、封筒を受け取ったのかどうかも、もう覚えていない。でも、そんな大事なものならこちらで保管している・・・はずだと思う。
三週間も前のことで、三人ともが、忘却の彼方へだ。
旦那は、そんな封筒を義母の部屋で見たらしいのだが、行方不明だ。
「小さい封筒なら、捨てた。でも大きいのは知らない」
義母が言う。
「そんなのあてには、なんないぞ~。こっちに持ってくるべきだった」

市役所に電話すると再発行は即日可能なのだそうだ。
「じゃあ、私が取りに行く」
ちなみに、通所リハビリの歩行訓練のお風呂&昼食の請求が来た。振込み料金を入れて二千円ぐらいになる。
それも兼ねて出かけた。
朝は、義母が寝ているので小さなホワイトボードに、「出かけてきます。十時ごろ帰ります」
と書いて、私らの部屋の入り口に置いておいた。
図書館に寄って、遅くなったのだが、お礼を言われた。
「メモ、ありがとうね」
これには、私も旦那もびっくりした。
なかなか通じなくなってからが、言葉の一つ一つが大切になってくるのを知った。

また夕食後、オイルマッサージをしに行ったら、足だけして断られた。
為すべきことが、今のところわからない。
できるだけ、笑顔で話しかけるしかないか。
人の世話になりたくないのであれば、見守るしかないか・・・それと祈り。
それを義母が希求しているのなら・・・。
私は「愛」を学んでいる。

最近私は、道ばたの雑草がかわいいと思っている。

究極の美!

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