忘却の彼方に

義母が、五日間のショートスティをやっと承諾してくれた。
義母は、家の中でよく転んだ。短くなる杖を買って来ても使わない。とうとうお酒の紙パックの3ℓ用のを杖がわりに使い出して、転ばなくなった。しかし、歩みは遅々として進まない。
こんな状態で一人家に居るのは、危険だ。それに自分で買い物に行けないから買い物リストを渡して旦那が買うのでは、食欲も出なくなる。旦那が余計に買うと「破産しちまうよ」と言って、決して食べようとしない。
テレビの番組で低栄養が原因で、目まいがしたり、歩けなくなるというのを知って、今さらながら栄養不足が気になった。私の料理では食べないのだ。
以前、オムライスを二回作ってあげたら、我慢して食べてくれたのだろう、それ以来二度と食べなくなった。
義母の質素な食事に私の作ったカボチャを一切れ持って行ったら、震える手でカボチャのお皿を返しに来る。丁寧なお礼は言うが、人の好意は受け取ろうとしない。
ショートスティに「行かない」と言い張り、こんなに頑固なのは、私の鏡だろうか?と思い出し、私の不徳を詫びて、昨夜は祈った。そして、旦那に秘策を言った。
「どうか、頼むから行って下さいと、お願いするのよ」
旦那は、昨夜その通りやって、承諾を取り付けた。
「養老院へ行きたいって、行ってるでしょ?今回、うまくやっていけるか、お試しや」
義母は、「今年に入ってから、急に足が動かなくなった」と言い出した。
確かに、去年までは、シルバーカーに掴まって、スーパーの中で自由に買い物を自分の足で歩いて買っていた。
私も、2010年からは、いろいろ気の変化もあっただろうから、義母は、敏感なんだなと思っていた。
「足が動かなくなるというのはねぇ、もうこの家を出た方がいいと思うの」
施設の人には、そんなこともしゃべっていたのを聞いた。
長年、働いて来たから、家族に負担をかけず楽隠居したいのだと私は受け取った。
「どっちの足が動かないの?」
何気に部屋に入っていって、SBMのオイルで足をマッサージしてみた。両方らしい。
気も弱くなっているから、されるがままになっている。私は内心驚いていた。以前だったら、絶対人に自分の体を触らせない。そんなのを拒否する人だからだ。
旦那にそれを言うと「奇跡だ!」と驚いていた。

私としては、ゴールデンウィークの山梨界隈の小旅行を仕切り直しの新婚旅行のつもりに思っていた。長い間、惨めに思っていたことがあって誤解が解けた。
だから、前々日、ケアマネージャーさんに相談したにもかかわらず、何だか行けるような気がしていた。ちなみに5日間の三食付でお風呂二回、洗濯もしてくれて、費用は二万円ほどだ。
朝の九時ごろ、旦那がお母さんを起こし、準備をして貰った。十時十五分ごろ迎えに来てくれる。
「行かない」
そう言い出したが、既成事実として、夜中の二時までかかって自分で荷造りをした風呂敷と下着入りのスーパーの袋が並んでいる。
「ほら、自分で準備したじゃない」
私は、風呂敷を指さした。それには黙って行く気になってくれた。
実は、行かないと言い出すかも知れないと、施設の人にも言ってあった。
トイレへ行くと言い出した。往復で十五分ぐらいかかった。自分の部屋にもどってまだパジャマ姿である。

介護施設の職員が向かえにやって来た。
私は、右手でOKのサインを出すと、お迎えの女性も安心していた。
今日は、運転手がいないからマネージャーらしき笑顔の女性自らだったから、まだ助かった。ただの男性の運転手では機転もきかないだろう。
八十代の義母は頑固だから、そうすんなりとは、行かないのだ。
「どっちの耳が聞こえますか?」
「両方、聞こえにくいです」
私は、指示されたとおりの持って行くものの説明をした。シルバーカー(ショッピングカート兼、両手で持つから杖がわり)の中には、靴が入れてある。念のため小学生がはくようなゴムバンドつきの上履きもいれた。私のだ。
杖もシルバーカーにしばりつけた。使わないだろうが、用意だけはして置く。下着には、フルネームをマジックインキで私が書いた。施設で洗濯をしてくれるというので、必ずやることだ。
「そんなもん、あっちでやってもらったらいいじゃないか」
とは、旦那がこともなげに言う。
「大勢の人を扱うのよ」
向こうでは、靴下が片一方見つからないだけで大さわぎをするのを知っている。
お風呂も二回入れてもらえるのは、助かる。追い炊きができないし、時間帯が違うから、家では自分で入るからシャワーになる。
そのマジックで書く作業を、下着の上下の三枚ずつ義母が向こうを向いている隙に手早くやった。ついでによそ行きの服の裏側にも書いた。
「起こすのが遅い」と言って義母が旦那に文句を言った。昨夜は二時まで準備をしていたので、ぐっすり寝ている母親を起こせなかったのだ。
係りの人は、パジャマがもう一組ないとチェックしていて、下着の中から探しだして「これです」と見せた。
義母は、旦那の飲む日本酒の3ℓの紙パックを杖がわりについて使っている。それは、ケアマネージャーからの報告で知ったみたいで、「これも二本持って行きましょうか?」と聞いてきた。
「慣れている方法で歩くのがいい」
ゴミ箱に二本分ヘしゃげたのが捨ててある。私は、何で義母が自分で潰して捨ててしまうのか分からなかった。
「誰が捨てたの?」
旦那も私に聞いた。たとえボロでもせっかくの杖がわりをあちこちに配備していた方がいいに決まっている。
「お母さんだよ。私はそんなことをしないよ」
「わたしゃそんなことしないよ~」
義母は、人の性にして半分忘れている。
空の日本酒パックは、一本しかないから、残りを急きょ水用のペットボトルに詰め替えた。山の水を汲んできてペットボトルに入れているから、間違わないようにマジックで「酒」と書いて、別のところへ移動した。
手提げ袋に二本入れて、「これで」と差し出した。
義母は、というとまだパジャマのままだ。
時間がないから、このままコートを着させて旦那におんぶさせれば早いと誰もが考えた。
「十一時に、もう一人のところへお迎えに行かなければならないので~」
時計の針は、もう二十分を差している。まだ、間に合う。
「じゃあ、このまま行きましょうか?」
しかし、義母はそんなぶ様な格好で外へ出ることを潔しとしない。そうだろう、分かっていた。
「じゃあ、大急ぎで着がえましょう。お手伝いしていいですか~?」
「みんなの迷惑だから、急いで」
旦那も大声で叫ぶ。両耳が遠いから、三度ぐらい繰返すのだ。
しかし、義母は無視してゆっくりと着替えようとしている。
みんなが見ているので機嫌が悪い。
「悪いけど、着がえるから出て」
義母が繰返した。
「出よ、出よ。あとはプロに任せて」
私は旦那をうながして。隣の部屋で待機した。
「時間がないから、お手伝いしてもいいですか~?」
が何度も聞こえる。そうとうあせっている。
「着替えられないから、あっちへ行って」
しかし、プロもとうとう追い出された。
私たちは、三人立ってじりじりしながら待った。
時間もどんどん過ぎて、十一時にもう一軒迎えに寄るのが、危なくなってきた。
とうとう意を決して、プロが襖を開けると、まだパジャマのズボンを脱いだところだった。もう入り込んで行くしかなかった。
義母は追い出しにかかるけど、こっちも譲らない。
「はい、椅子」と持って来ても、頼らない。
椅子に座ればいいのに、中腰でズボン下をはこうとしている。だからよけい時間がかかる。
とうとうみんなが入りこんで、私はお腹をかかえてカーペットの上に座らせた。
「はいはい、はい」
人形さんのように、ズボンをはかせてどんどん着がえさせた。靴下も履かせた。自分でやらせると時間がかかりすぎる。
「みんなの迷惑になっているから、早くやろうよ」
旦那が、耳元で叫んでいる。どこまでもマイペースに見える。
「本当にもう、わがままで」
私もつい声を出す。
「いや、もしかしたら」
プロが言う。
私は、ハッとして「・・・こちらの偏見かも知れないですけど」と付け加えた。
言いかけたことを聞いてみると、「施設へ行ったら、違うかも知れない」と謎めいたことを言った。
それを聞いて、旦那が「うちの母は、まわりに迷惑をかけないように気を使う人ですから」と言った。

しかし、そのプロが弱気になった。時計の針が十一時五分前ぐらいを差していたと思う。
「じゃあ、先にあっちのお客さんを迎えに行って・・・」
しかし、もしここで義母のその気を中断させると今度はもっと時間を要する。
「いや、このまま」
私の決断だ。
「おんぶしないと間に合わない」
しかし、旦那の背中に乗せておんぶの状態にしようとすると嫌がる。
シルバーカーを車に積んだのをまた、出して来て、玄関までをそれで歩いて移動してもらった。
玄関で、シルバーカーを先に出し、旦那の背中が待っていた。
「危ない」
嫌がる義母を旦那がおんぶしたまま立ち上がり、私は後ろから押さえた。
三人がかりで、大さわぎになって、車まで運んだ。
「私の履物は?」
荷物の手提げ袋を二つと、シルバーカーの中に入れていた。それを出して、外ばきのサンダルを足にはかせた。
車のドアをバタンと閉め、介護施設の車は、走り出した。十一時になっていた。
それをずっと見ていた、立ち話の近所のおばちゃんに、「しばらく家を留守にしますけど、よろしくお願いします」と挨拶をした。

旦那が「出かける前に、覗いてみようよ」と言った。
私は、「帰る」と言い出すのではないかと、気乗りしないけど、行ってみた。
施設につくと、先ほどの女性とバッタリと会った。
「まるで、別人ですよ」
施設の中を数歩、歩き出したら、覚悟ができたようなのだ。
私は信じられなくて、「別人を見てみよう」と言って 、おじぎをした。
五階に行ってみると、長テーブルのところの椅子に座った義母がいた。
穏やかな上品な笑みを浮かべて、まるで人格者だった。
義母は、やっぱり私の鏡だったのかと反省した。

そんなこんなで、三日目ぐらいに一度電話を入れ、様子を聞いてみた。
夜中の二時に起きてトイレに行くのに係りの人が他の人も見なければならないので、時間がかかり過ぎると言った。車椅子を嫌がるのだ。
私もメモに「できるだけ、本人に歩かせてください」と書いておいた。
結局、職員さんは、見守る姿勢をできるだけとってくれて、最後は義母も少しだけ車椅子に乗ってくれたようだった。

私たちも旅行から帰って来て、義母を向かえに行った。
お酒のパックは、所詮紙だから壊れやすい。それを施設の人が手作りで丈夫な同じぐらいの円柱の杖を作ってくれた。ピンク色でかっこいい。それには大変ありがたかった。
みなさんにお礼を言って施設を出た。心なしか、ずっと施設に居なければならない人が、家族に向かえに来てもらえる人をうらやましそうに見ているように感じた。

食事は全部食べていたようで、施設の中では、私の出した上履きを使っていた。
「これ誰の?」
「私の~」
義母は、人のものを借りたりしない人だから、恐縮している。
「ありがとうね~」
「いえいえ」

「とにかく、何事もなくてよかった~」
二人とも同感だった。
「施設はどうだった?」
旦那が聞いてみた。
「ま~ね~」
あまり、好きというほどでもなかったようだ。

私たちは、寛いで旦那に「コーヒーでも入れようか?」と言って、いつものようにペーパーフィルターで二人分を入れた。
そのコーヒーを一口飲んで、旦那が妙な顔をした。
私も飲んでみた。
「ん?」
「ああ、これお酒でコーヒーを入れてしまった」
山の水のつもりで、お酒と書いたペットボトルを使ったのだ。すっかり忘却の彼方だ。
ああ、もったいないけど、そのコーヒーとヤカンの中の日本酒も捨てた。

そして、私が引き続き、二泊三日の留守にしていた間に、旦那が山の水をポリタンクに汲んで来て、ペットボトルに入れ替えていた。
一つだけ、白濁したペットボトルがあった。
「酒」と書いてある。山の水と少しの酒の混合がどうやら発酵したようだ。
後日、ケアマネージャーに部屋の中に福祉用具の二本のバーをリースで入れてもらって少し話しをした。
二本の平行棒のようなバーは、一番低くしてもお婆ちゃんには高すぎた。腰が折れているように曲がっているから身長が一メートル二十三センチほどにしかならない。体重三十キロ。
「バーを伝え歩きしながら、やっぱり杖代わりのパックを使っている~」
ケアマネージャーさんがつぶやいた。
バーを両方使えばいいのにと私も組み立ての係りの人らと見ていた。
「拒絶が激しかったようで~。係りの人も気の毒だったでしょうね~」
ショートスティのメモの報告をした。ヘルパーは、どうすることもできないで、ただ見守るだけ。
私は、「承諾をしてくれたことと。入る時は、にこやかだったんです」とケアマネージャーに報告してあった。
「二日目がひどかったらしい」とケアマネージャーが答えた。
それを聞いて、私は目をふせた。
「地が出た」

「あれだけ磨きぬかれた個性は、もう、アッパレだよね」
やっとそう思えるようになったとtanemakiさんに打ち明けた。
「ペカペカさんと同じだね~」
「やっぱり?」
                                    <つづく>

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