本は友だち

思えば、去年の二月くらいから、ドツボにはまっていました。「これから闇を見る」とあらかじめ教えられていました。

東京の集会あたりから、明るい兆しがあり、SMBの第二回目に参加させていただいて、やっと穴から這い出た実感があります。
大阪の第一回のSBMの後、私は「自分の人生を呪ったからこうなった」というヒントを与えていただき、「年内で抜け出る」と言葉をいただきました。
「はい、がんばります」
飲み会で拍手です。
十二月に積さんに電話で質問して、少しヒントを教えていただいたのですが、私は母からの言葉に打ちのめされていたのです。それは、悪魔からの影響によるそうです。言葉には、いいも悪いも力があります。
そして、「自分は悪くない」からなかなか抜けず、やっと抜けたらそのうち、元々自分で自分を責めてしまう習性があり、絵描きを志して、中途半端に終わったことを、また責めていました。
情熱が失せたのは(ではなく)、プログラムが変わったということを、積さんに確認して…(挫折だと)長い年月、自分をまた責めていて…そのことに気がつかなかった自分を責めて、またいつものパターンをやっている時に、こんなぐるぐるはもう終わりにしたいと思いました。
いつまでもこだわるのは「絵の勉強に使った分、回収したい」という欲でもありました。

会員のTさんにもしゃべったことがあるのですが、砂風呂会に行く電車の中で、私の横に男性の方が文庫本を珍しく読んでいました。ふと目を前に向けると、一番右側に座っている中年の随筆家風の男性は、作務衣かなんかを着てらして、包装紙の裏になにやら熱心に思いついた文章をたくさん書き込んでいました。一人分空席で、その横は普通の若い女性だったように思います。びっくりしたように左右をきょろきょろ見回していました。(両側で文章を書いているからだと思います〉その左側の女性は、会社で発表するレポートのようなものに修正の文章を書き込んでいました。そしてその左側は若い二十代の男性が、コクヨの緑色の縁の原稿用紙に、芝居の脚本のようなものを丁寧な字でシャープペンで書き込んでいました。公募にでも出すのでしょうか。
私はこれを、四人中三人のこんな確率ありえないよなぁと眺めていました。「これは、私に文章やれ」ってことでしょうね。

協会のかたがたはもちろんですが、私の立ち直りの助人に、文学作品も含まれていました。
イシグロカズオさんの「日の名残り」は、執事が主人公でしたが、高貴だけど古い考えかたの主人に仕えていて、その主人が間違っていたのだと知らされる。これは、なんだか古い神から離れよということかと思いました。
川上美映子さんの「ヘブン」主人公は男子学生なんだけど、肉体的な特徴がいじめの対象になっていて、「仲間」と友だちになった女子生徒に、途中からついていけなくなるように仕掛けがあって、それを読者に気づきなさいという意図があるように思いました。川上美映子さんのテレビのインタビューで面白かったのは、口から出たつばは、口の中にある時は、きれいなんだけど、口から出たら汚いとされる。どこからどこまでがきれいでどこからが汚いのか、戸惑っていたそうです。川上さんはそれぐらい感受性の強い子どもで、「ああ、価値は入っている器で決まるんや」と気がついたそうです。
私も「傲慢」と「卑下」のどこからどこまでがそうなのか、線引きが分からなくなっていました。「自我」と「考えぬ羊」も。悩んでいる時は、自分で決められなくなっていて、そんな時に「人につき従うのは危険」だとも、しみじみ思いました。
そんな時、釈迦の「中道」という言葉が、分かり易くて、この地球に釈迦の言葉を残してくれてありがとう状態でした。
児童書の「ハーブガーデン」も主人公の少女が人に気に入られるために人のいいなりになっている自分に気づきます。少女の大人に対する「小さな反乱」は、自立でもあり、改革でもあえい、私の頭のなかの混沌としたイメージが言葉として表現されていて「ああ、これや」と共鳴できました。児童文学は、本質を描けていいなと一人感動していました。
それから、ある海外の女流作家の児童文学の翻訳でも昔の人の文章は日本語が正しかったが、改訂した訳がおかしいとネットで主張される方がいて、日本語の翻訳をやり直し出版し直したそうで、本が売れないとこんな事態になるのでしょう。
斉藤次郎著「子どもの心探検隊」は、子どもとの会話のやりとりで、ちゃんとした人間の一員として見ることを教えてくれた気がしました。大人になった今でも、どうしていいか分からないことがたくさんあるのに、母に完璧さを求めるなんてね…。そしてこんな場合は、子ども時代の自分の味方になってくれている本でもありました。
斉藤さんの本の中では、

もっとつらいのが攻撃を自分自身に向ける場合です。血が出るほど唇をかんだり、髪の毛を抜いたりするのは危険信号と思ってください。おかあさんを中心とした世界に自分が受け入れてもらえないという淋しさが、そういう自分へ敵意を向ける行動を引き起こすことがあるのです。  ―斉藤次郎著「子どもの心探検隊」より

私は幼い時は文学少女で、あちらの世界を堪能しましたから助かりました。それに島田雅彦さんの本によると、現実の世界が受け容れ難い時に、せっせと「ある世界」を構築するのは、作家の要素だと知りました。
人生よ、鍛え上げてくれてありがとうね。私はもう大丈夫です。

それにしても、子どもの「遊び」がこんなに重要だったとは!

1 thought on “本は友だち

  1. pekapeka 投稿作成者

    はて、私の文体が空中分解しておりまして、積み木のように入れ替えたり、組み立ててるところです。
    みゆきさんの子ども時代を連想させる歌なら、
    「五才の頃を」が好きです。

        思い出してごらん   五才の頃を
        涙流していた     五才の頃を
        嘆くわけといえば   ただの一つも
        思い出せなくとも   涙の味を

    安心して泣けるのがいいですね~。

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