クリスマス プレゼント

前の会社に電話をかけて、「年末年始働けますので、もしよかったら使って下さい」と社長にお頼みした。
朝方、「またそこで働いている」そんな夢を見たからだ。しかし、またいじめられるという心の中で抵抗があり、電話をかけるまでかなりの葛藤があった。
「せっかくの夢のお告げを、そんな我だから、担えないんだ」とか、「考えない羊」とかいろいろ悩んだ。「ひどい目に遭うのは、そうなるのを選択した自分がいたからで、それを選択しなければいい」と何かのメモを思い出した。(私なりの恐怖の克服法が、それに向かうことで、それが消えていたということも過去にあった)地震騒ぎでキャンセルもあり、今のところお呼びがない。

それより先に、ネットで調べて、電話してある会社の面接を受けた。
「少し、経験があります」と、車も乗れないし、やる気はあるが、あまり役に立たなさそうな私を見て、トップの方が試しにと一日仕事をくださった。
それで、訪問ヘルパーに行って来たら、すごくいい方だった。過去、偉い地位にいらっしゃった方で、常に感謝を忘れない。穏やかでねぎらいの言葉をたくさんいただいた。
帰り道、鍵と戸締りをして、○コムのCMじゃないけど、「あれ、IH調理器の操作盤を引っ込めたっけ?」と気になりつつも駅まで向かった。電車の時刻まであと45分はあるので、引き返した。
途中、犬の散歩の人に出会い、犬が向かいの散歩の犬と吠えあっていた時、足に絡みつかれた。
私は、犬に反応しない。というか、興味がないので何事もなかったように通り過ぎた。
これを騒ぎ立てると「闇に反応することと同じなのね」と一人で納得した。

木々の枝から台湾リスが姿を見せた。立派なお宅がいっぱいあって、別荘だから無人だったりする。美しいが、淋しい町内だ。
「もしも、専業農家で食べれる世の中になったら、一人暮らしのお年寄りも少なくなるんじゃないだろうか?」って思った。
一度トップの方と車で行って、私を紹介された時に、住所をメモっておいた。不安なのでネットで地図をプリントアウトして、尚も人に聞きつつ行った。
今度は記憶だけで、目印の会社のマークを通り過ぎて、歩いて行くと、さっきまであったお宅が忽然と消えたように感じた。
これを小説風に書くと、ファンタジーになるのだけれど、行きつ戻りつ、行きつ戻り、私の心の中では、「私の頭の中でいろいろ考えたことで、また、間違えたんだろうか?」と思い返していた。
しょうがないから来た道からもう一度来てみようと思ったら、目的のお宅があった。今度は覚えた。
鍵を開けてキッチンに行くと、ちゃんとしてあった。余計に歩いて時間がなくなったので、真っ直ぐ駅に向かうことにした。
「これは、私が今度来る時は、道に迷ってあせらないように、復習させてくれたのね」そう考え直した。そしたら、「正解」とでもいうように、体の中が温かくなって、「愛」をしみじみ感じた。

帰りの電車の中で、一人の子供が三人の子供に執拗に、軽くだけど頬を叩いている場面に出くわした。
一人は、頬をガードして、対処している。二人は「どうしてそんなことをするの」と言う目を向けたが、それより漫画に熱中している。結局、子供たちは、何ごともなかったように仲がいい。見ているこっちが深く心を動かされて「まだ居る」ことに気づかされた。こういう場面を何度も見せられて、自分が反応しないようになるまでチェックをしていただいている。もしくは、芋づる式に掘り起こすきっかけを与えていただいている。テニスで言えば、弱点をクリアするための強化トレーニングコーチね。

私は、「フーテンの寅さん」が苦手だった。テレビで山田洋次監督のインタビューがあり、一回だけのテレビドラマが終わった時に、「どうして寅さんを死なすの?」と、みんながすごく抗議と手紙が来たのだとか。
日本人は、「寅さん」を愛しているのを知ったそうだ。
どこにでも一族に一人ぐらい落ちこぼれがいるもので、みんながその存在を認めている。それが日本人の優しさらしい。

せっかく、健康な体をいただいているのに、「悔い改め中」とは言え、自分のことをけなしてばかり、責めてばかりいたことは、自分に対して申しわけないことをしていた。

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