『光の精神に成る。』23

『光の精神に成る。』23
≪至福の喜びに到れり=(命の書、最終知識、精神学、おふだ)10≫

【目覚め成長する物性と聖別の鉱泉水】

1、
積先生に鉱泉水を聖別されている時にお教え頂いたことは、
「鉱泉水が自ら光に目覚め、働く意思を宣言している。」
ということでした。
しかも味や効能が一気に性能アップします。
物性のエネルギーが数段階上にあがっています。
これは現在の科学では理解できない現象です。
積先生は
「この聖別の鉱泉水の示す意志と働きは素晴らしいもので、昔の人は水の働きを神や仏の御業と崇めていたの。ただ目覚めた水の働きは神や仏と比べ物にならないくらい、遥かに崇高なものだよ。」
と教えて頂きました。

2、
私は自分で聖別の水やオイルを作る時、聖別の祈りをしますが、それは天が祈りに叶えて、水やオイルや塩の物性を変化させると思っていました。
でもそれは違って、確かに資格のあるものが祈り、契約として天が物性に働きかけるのですが、水やオイルや塩の側でもその準備が仕組まれていたということです。
それは137億年前、この宇宙が誕生する前から、遺伝子より遥かに小さい素粒子、原子、電子レベルで覚醒するように仕組まれていた、ということです。
そして覚醒した水やオイルや塩には崇高な意志があり、約束された世のために働くことを
宣言している。
この内容を知ることでまた聖別の祈りも出来やすくなるかもしれません。

3、
聖別の水やオイルや塩は電子レベルで転写機能(覚醒電子がさらに電子を覚醒させる)があるため、その近辺の物性は光に覚醒していく。
転写は一回だけの制限があるため、繰り返しはできませんが、聖別のの水やオイルや塩を新たに足せばまた転写します。
その働きにより身体の遺伝子も細胞も、微生物も、日本の土地も岩も石も鉱物も森も林も花も植物も昆虫も動物も、みんな光に覚醒していくのではないかと、現実に実感しています。
そして地球全体が覚醒する。そうなれば非常にありがたいのです。
ただ、最後に覚醒するのが自身の意識です。ここが問題になります。人の意識が一番強い。
人の意識が地球や宇宙や無意識全体と連動しているおり、そして頑固で自分の都合の良いようにしか事象を解釈しないために、たましいのプログラムや身体の意識と対立し、そのエネルギーは身体を壊し病気になったり、精神に異常をきたすことにもなりかねない。
しかし、身体は精神を見守る側なので、そうならない様に重要な目覚めの信号を発信しないか、弱めてしまう処置をとる。
結果、自分の意識は楽になるが、真の目覚め、精神の成長から遠ざかることにもなる。

4、
こういう人の内心にある、神や悪魔ような意識の頑固さや、都合のいい矛盾点を引っかけ釣り上げて、表面に出してあげるとマツリ(真釣り、魔釣り)となります。
でも釣り上げた側は、相手の大変なエネルギー処理(メカニズムの理解と浄化)をしなければ、いつも悪者、憎まれ者、おかしな人になり、嫌われたりする。
そこをうまくニコニコと、相手に上手に伝えて納得することができるかどうか、カギです。

5、
日本から聖別の光によって、物性が、電子が、遺伝子が、土地が、生き物が、そして人の精神が覚醒して、この地球と、私たちを育んだ宇宙が光に成長する。
それは137億年前から宇宙誕生以前から準備されて、いまが重要なポイント、覚醒時代に突入しています。
この内容を腹に理解し、こころから納得できているか、いないかで明日の自分が生きている地球の様相がガラリと変わる。

6、
極限状態で誰も恨まず、ニコニコと光の地球と光の宇宙をイメージし、喜びのエネルギーを発して生きていけるか。
未来の地球と未来の人のために、光の精神と聖別の知識を正しく伝え、残してあげられるかどうか。
今、という時間の現在に、自分の態度によって明日の地球の様相が変化する。
わかろうとしない人はわかろうとしない、わがままな地球にシフトする。
わかろうと努力する人は知識を授かる地球にシフトする。
正しい知識と歴史を知っている人は正しい光の地球にシフトする。
すでにレールは分かれ始めている。
今はまだお互いの声は届く。
しかしお互いの言い分に関心に向けるエネルギーは次第に無くなり、それにより事象は離れ行き、お互いはいずれ会うこともなくなる。
お互い自分の主張が正しいと思っているから、別に困ることはないのでしょう。
ただ、家族の中でも、親子間でも、恋人間でも、友人間でも、全部そうなるので、相手に対して良かれと思う強引さが、対立や犯罪を生むかもしれない。

7、
でも、本当の愛を持っている人は、最後まで正しい道を求める。
そして真理と真実と歴史を知り、少しでも多くの人に正しく伝えようとするでしょう。
先人がそうされたように。
そうすることが137億前から宇宙創造前から、準備してくださった存在に少しでも報い、感謝を捧げることです、とタマシイが告げています。
ミエル

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