【 信仰 と 志(こころざし) 】

2013年8月27日
『光の精神に成る。』29
≪至福の喜びに到る=(命の書、最終知識、精神学、おふだ)16≫

【 信仰 と 志(こころざし) 】

・2013年8月17、18日(土、日)は高田さんの「光のワークショップ」があり、場所は高野山の「遍照光院」でした。
今から数か月前ですが、数年前に高田さんがアイヌの長老の故秋辺さんに渡された、不動明王の持つ剣に龍が巻いている不動剣を「倶利伽羅剣」といいますが、なぜか同じ「倶利伽羅剣」がまた新たに必要だ、と思い立ってきました。
それで高田さんと妹さんについてもらって、小さい「倶利伽羅剣」を購入するため、高野山の仏具店に出かけました。 その仏具屋に寄る前に、高野山の奥の院にご挨拶しました。
高田さんも妹さんも「空海さんおられた。」といわれていました。
次に仏具店で「倶利伽羅剣」を購入した後、すぐ近くの高田さん馴染みの「遍照光院」を高田さんがそっと外からのぞかれました。 するとすぐ高山執事様(NHKのもよく出演される有名な偉い方)が高田さんをさっと見つけて、中へ入る様に招かれました。
高山執事さんは高田さんと知り合いで高田さんのファンだそうです。 
中へ入って「まあ、本堂にご挨拶をされてゆっくりしてください。」と高山執事さんが勧められてご本堂に入りました。
ビックリしたのは70センチくらいの大きく立派な「倶利伽羅剣」が正面に、デンとあって、「不動明王」がその奥に安置されていました。 「倶利伽羅剣」はそれ単体でも「不動明王」を現します。
私は高田さんを見て、知っていたか聞くと、「全く知らなかった」といわれていました。
その左に空海弘法大師像がありました。 私はそちらに御礼をして立ち上がろうとすると何かを感じました。 もう一度座り直し、御礼と頭を下げました。
あとで高田さんと妹さんに聞くと「空海さんが前におられた」とのことでした。

8月17、18日の高野山遍照光院「光のワークショップ」終了後の夕方17時ごろ、私はご本殿に挨拶がしたかったので、高山執事様に許可をいただき、(普通は自由に入れません)、高田さん、妹さん、未来の聖筆Yさん、私の4名でご本殿に入らせていただきました。
私はどうしても夕食前にご本殿に御礼に入りたかったのです。
ご本殿は薄暗く静かでした。 高田さんの妹さんは「顔がいっぱい見える」といわれていましたが。 私は「倶利伽羅剣」の前で御礼と「浄化・上昇」をしました。 高田さんも「倶利伽羅剣」の前で「浄化・上昇」されました。 私は左の空海弘法大師像の前に動き、目を閉じて御礼のため、頭を下げました。 すると頭の中に4つの文字の浮かびました。
「灌頂する」と浮かんだので、ビックリして頭を上げ、また目を閉じて頭を下げると、もう一度、頭のスクリーンに「灌頂する」と浮かびました。
(帰ってから高田さんにこれを伝えました。)

結局、イエス様は来られていませんでした。 積先生は、「遠巻きに見ておられたのだろう」とのことでした。 積先生は「皆さん信仰が足りないね」みたいな感じも言われていました。
帰って8月19日(月)仕事中も積先生の「信仰」という言葉とイエス様のことを考えていると、イエス様の顔が浮かんでくるのとオーバーラップして、「志(こころざし)」という雰囲気(文字でなく音かニュアンスみたいな感じ)が浮かんできました。 何度も何度も。
以前に「求道」と浮かんでいました。 結局、求める真理や道や、真の歴史は、自分が求める理由とは何なの? どこに帰着するのか? 自己満足でゴールか? 他の人のためか? 未来人の幸せのためか? 地球のためか?
私は日本の八百万の神々の考えも好きですが、一神教にある真摯なまっすぐな面は大好きです。
これには実は「自己犠牲」という自分を捨ててでも、他人の本当の倖せに尽くす、という意志があるからです。 
イエス様の顔と一緒に浮かぶ「志(こころざし)」には全き天に対し「自己犠牲」の決意が
読み取れるような気がします。

一週間たって8月25日(日)に居眠りした瞬間に、目の前のズラッと各宗教の聖人様達が並んでいるシーンがありました。
ゾロアスター教、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教、仏教、道教、エジプト、ギリシャ、ローマ、シュメール、マヤ、インカ、アステカ、など等、各セクションに壁があって横の交流ができませんが、人の子はどの聖人とも向かい合い、お話しできるし、中継を繋ぐことができます。
そんな夢でした。

「最終知識」には「自分とは何もの?」として生まれた宇宙意識は人のそれぞれの意識の中に宿っています。 その「宇宙意識」の続きを各人が受け継いで探しているようです。
この答えを見つけようとし始めた時から、人は天と一体となって働き始め、運命が好転し始める感じがします。 
そして「最終知識」ではこの宇宙の始まりの前から、宇宙の終わりの後を繋ぐポスト宇宙、新しい宇宙としての進化が書かれています。
それは人でいえば人生の生まれる前と死に往くあとの世界を、人が生きている間でに理解するということではないでしょうか。
臨死体験した人は多い。 生まれる前の記憶を残している人も多い。 けれど生身に戻ってきてしまうと、表現説明する時に環境に沿った考えが混じってしまいます。
これを回避するのは亡くなった人や聖人や神々が直接、生身の人間に教えるしかない。
生まれる前の仕組みと死んだ後の世界の実際と仕組み。
これが解かれば人生も環境も命も死も、そして精神ももっと喜びの光に満たされると思います。

「ぜひ聖人の皆様に生きている人に、イメージや言葉をダイレクトに生身の人におろして、正しい認識と間違った道を正す方向に、お手伝いください」と祈っています。

8月18日(日)奥の院の空海弘法大師様の前で口をついて自然に言葉がでて、いのりました。

「正しき人に正しい道を、間違った人に正しい道を、示したまえ。」

この文章を書いていて、終わろうとする時に次の文章がきました。

「必要なものは必要な時に天が用意し、人がこれをおこなう。
     しかして人のいのりなくして天にとどかず。
             いのりなくして天にとどかず。
                人いのりて、天応ずる。」
 ミエル

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