専業主婦という隠れ蓑のひきこもり(自分のことです)

私は傷つきやすく、自分に自信がない人間です。
自分に自信がないことは、やる意欲も少ないですし、できないと思っているからです。
だから、心理的には、いつでも他人の助けが必要だと思っています。他人のことまで、気が回らないから、自分のことしか頭にない、自己中心的で、それを傲慢な人と言うらしいです。
私は、ある60代のおばさんを知っています。(今は80代でしょうか)絵本教室で一緒に学んだ人です。
その人曰く「小さい時に、両親と電車に乗っていて、地震が起きた時、両親だけ逃げて、その子は置いて置かれた」そうです。
そして、帰って来て、「あっ、忘れてた」と笑ったみたいです。「とっさに、子供のことに忘れるなんて」と、まるで、捨て子にされた勢いで、その人は、涙を流していました。
巨人の長嶋さんなんか、息子を観客席に忘れて帰ったこともありますから、一瞬、忘れたぐらいでと思いましたが。
その人が語る、周辺の人、旦那さんと結婚する時のいきさつや、娘に対するその人の予測のつかない気まぐれな行動に振り回されているのを知ると、滅多なことは言えないなと思いました。昔は、バラのような美貌だったと思われます。
たったそれだけのことを、彼女は、五十年も根に持っているのです。
その人は、小さい時は、被害者だったかも知れませんが、恨みは恐ろしいもので、そのまま人間的に成長せず、もっとひどい加害者になっているのに、その人は気がつかないのです。

その人に私は、何もしてないのに、苛められたことがあります。その人より、若くて、絵の才能があったらしかったのですが。その人と同じ、子供の時にひどい目にあったと思っているので波長が合ったのかも知れません。
「言い返したら、いいじゃない」と周りの人は、私の味方をしてくれましたが、代わりにやっつけるようなことはしませんでした。当たり前です。もう、大人なのですから。

自分に自信がない人は、人に慰めて貰って元気になれるという、誠に世話の焼ける人です。
傷つきやすい人というのは、癒されていないままなので暗いのです。周りを暗くします。そんな人は、他人から、必要とされません。
しかし、愛してと、暗に求めているので、よく他人にボコボコに傷つけられてしまいますから、輪をかけてもっと暗くなります。

駄目な私を知っています。
他人の評価がとても気になります。
他人に否定されることが、耐えられません。
嫌われることを、勘づいているから、怖いのです。
外に出て行くと、嫌なことが起こるから、過剰防衛のために出て行きません。
「実は、他人を恐れる態度が嫌われているのです」と本に書いてありました。
平等でない関係、へりくだり、卑下するから、他人からみたら面倒臭くて、疲れるから、つまんない人なんです。
私は、東京へ出てから、変な人に会って、口の悪い人だなぁとか、友だちを心配してお節介で電話をかけたら、お母さんにいきなり怒られて、電話切られたり。面倒臭い人だなあ~って。暗い人だなあとか思ったら、いつの間にかその性質を吸収している自分に気がつきました。嫌な人と出会って、だんだん嫌な人になって行っているのです。

友だちが結婚したら、素直に祝えなくて、何のプレゼントも用意してなくて、不誠実でした。今から思えば、真っ当な神経の人は私から去って行って、不満ばかり抱いている人とか、性格が悪くて先細りになって行く人とばかり、出遭っていたなぁと思います。
愚痴ばかり言ってたら、それに切れた人から、絶交されたし。
職場と親戚しか、付き合いのない人と見合いして、振ったら、今、自分がそんな付き合いの少ない人になっていたとか。
手抜きの専業主婦になるのは、嫌だなあと思っていたら、いつの間にか、自分がそんなつまんない人になっていたとか。

ここへ来て、なかなか心を許せる友だちに出会わなかった。
せっかく、仲良くなったと思ったら、生命保険の人か、宗教の勧誘だった。
そして、その人たちは、いかにも見下している様子なのです。
私は、無視しましたけど。
姑にも、言われっ放しでしたが、姑とバトルをするぐらいなら、お金を稼ぎに外へ出れば良かったのです。冷える職場は体調が悪くなるので、働く気にはなれませんでした。お金はなくても、幸せだったらいいと、理想論を掲げ、家計の足しになるように働く気になれなかったのです。
しかし、今思えば、それも、自己中心的だったのでしょうね。

「自分の父が家族のために働かなかったから」という母の恨み言があり、『男は働いて家の為に稼ぐものだ』という固定観念が私にも、あったのす。

でも、少しだけ働きに出ました。
しかし、いざ働きに出てみると、労働条件は、とても悪い時代になっていたのです。
物覚えには全く自信がなかったので、記憶を訓練することもなく、新しい職場で仕事を覚えるのが、全くできなかったのです。右から左へ抜けて行くのです。
これじゃあ、周りの人に負んぶに抱っこだなぁと思っていたら、一通り慣れた頃に、やってみたら、まったくできなかったのです。
そして、職場は、何もできない新人も、十一年目の職人の域にまで達したパートの時給が同じだったのです。それはもう、ヤバいと思いました。
そして、パートなのに、重いノルマ。責任を負わされて、失敗したら、連帯責任として、全員が怒られるのです。私の足を引っ張るのは目に見えてました。
そして、その中で、一番の若手で、苛められている女性がいたのですが、私は過去、そんな友人を知らない振りをしましたので、今度こそそうしたくなかったので、庇いました。
何ヵ月かすると、しだいに、私の肉体労働的な仕事のできないのがバレて、苛めが降りかかってきたのです。
仕事のできるムードメーカーが、そう言う風に持って行ったのです。その人は腰痛で、去って行きましたが、喜んだのも束の間、菓子工場の仕事がうまく回らなくなってしまいました。ストレスが、ベテランにかかり、私への苛めがもっとひどくなりました。

唯一私を大事に扱ってくれる、ベテランが一人いました。
その人は東北の出身で、家を出て働きに出たいと言ったら、毎月10万円仕送りしたら、許してくれたそうです。みんなが驚いて「え~」と言いました。結婚して、子供がもう20歳ぐらいになります。「そして今も仕送りしている」と言っていました。「え~」二度びっくりです。とっても美人で、魅力的な人なのに、自分が貶められていることに、気がついていないというか。そして、アルコールを呑んだら、人に絡むのです。やっぱりと思いました。
私は、考えなしに、無神経なことをその唯一親切な人に言ってしまいました。それで、庇う気もなくなったみたいです。

苛めが、耐えられない程、ひどくなった時、目が回るようになって、辞めました。耳の血管に石が動いて、三半規管がおかしくなったらしいです。
その中で、同期の新人は、私が叱られるように、二回同じことをみんなの前で言ったりしました。意地の悪いことをしました。
仕事のできる新人は、みんなのあてにされ、仕事の足を引っ張る新人は追い出しにかかるのです。

あの時の心の傷が癒えるまで、結構な時間がかかりました。

みんなの前で、怒りの集中砲火を浴び、恥をかかされるのは、誰だって嫌です。
こんなことがあると、いつでもあの時のことを思い出します。フラッシュバックするのです。S生命の勧誘をやった時、毎朝、朝礼でみんなの前で、三十分激しく説教されました。
ボロボロになっても、自分で辞める決断ができませんでした。
それで、次の就職先を検討していて、やはり行きませんと断ったら、その人が腹いせに私の職場に嘘の通報で、クビになりました
しかし、そのタチの悪い相手の正体が分かったので、それは幸運でした。

それから、似たような激しい苛めや、バッシングが多かったですが、その時にいつも、そのルーツとなる一番古い記憶が蘇ります。

母に理不尽に苛められたことです。
そして、下校時にどこかの畑からみかんを盗んだと、弟のイタズラの性で、代わりに私がみんなの前で30分ぐらい説教されたのです。二回。その時、私は悪くないのに、誰も助けてくれませんでした。

そして、母は私に対して、何の憐れみも感じていないようで、私の気持ちなんかどうでもいいのだと知りました。今でも、あの時は、母が悔しいだけで、一欠けらの私への同情もありません。おまけに、その先生からの年賀状を書けと命令しました。書きました。
その事があって、癒しのないまま、歳月が流れました。

母は、私のことを愛していたとは、とても思えなかったことや、誰も私のことを分かってくれなかったことが、悔しかったのです。

この前、母に、ある質問を電話で聞いてみました。
「小さい時、私は何になりたいと言っていたか?」
「弟に子守唄を歌っていたのを覚えているが、私にも歌ってくれたのか?」
ついでに、「私が生まれた時、嬉しかった?」
「私は、お父ちゃん子だなんて、よく言うわ」
母が思い出したように言い出します。それで怒りが込み上げて来たのか、父から「一家心中で死のう」と持ちかけられたことを言い出しました。
私は、「子供が親を慕う権利はある」と言いました。尚も、エピソードを言いましたが、向こうは、怒りが沸騰してか、電話はガチャンと切られました。
私は、スッキリして、「私は、無罪」だと思いました。
「咎がないのに罰せられていたのだ」と喜びました。
母は、父を連想させる私をことごとく憎んだだけだったのです。

そんな似たような事件が起こると、その時のことを思い出します。
そして、自分のその時々のことを細かく、分析することができずに、ただ、『私は悪くないのに、ひどい目に遭う』のコーティングのようなものでした。その内部まで切り込めませんでしたが、理由がはっきりしたら嬉しかったのです。

その後で、ふとレンタルビデオ屋さんに行きたくなって、西原理恵子原作の「ぼくんち」をDVDで観ました。
あの妙な、すれた世界を味わわずに済んだのは、母の保護のお蔭だと思いました。
やっと、本当に母の真っ当な行動に「恨み」より「感謝」の方が勝ちました。

例えば、列車で、何か、トラブルが起これば、その原因をチェックして、すぐに直します。
電気系統の故障や、信号トラブルだったとしたら、それを直すべきです。
ところが、私の心理状態で言えば、「昔、踏切で事故が起きて、電車にはねられたそうよ。その性でしょうか?」と、言っているようなものだとしたら、バカです。何の解決にもなりません。その鉄道を誰も利用する人がいなくなるでしょう。
「人気がなくて、どうして、お客さんが来ないの?」と気づかないのです。体質を直そうとしません。
長いこと、私はそんなことをしていたのです。

20年前に、よく似たおばさんを知っていたにもかかわらず。自分がそうだとは思わなかったのです。
大勢の前で、恥をかかされる。ひどい苛めに遭う。
その時の状況は、一つ一つよく思い返してみたら、違うはずです。
常に、私のやっていることに対して、周囲の反応は、正確です。
みんなの足を引っ張るし、要求通りにやらないし、頑固です。
自分のスタイルを変えないし、自分のやっていることに甘いですし、(私は、自分に厳しいつもりでしたが)一言で言えば、自己中心的だったのです。

ネットで『たかたまさひろ』さんのサイトを発見するまで、このことは分からなかったです。何ていうか、色々旅をしましたが、そういう考え方の文字が書いてあるのを読むまで、ここに辿り着けず、これはどういう意味なのか、理解できなかったのです。自力では、考えが及ばなかったのです。

今、トヨタのCMで、『ドラえもん』に出て来る未来の『のび太』が、登場していますが、私は、ドラえもんを面白いと思ったことはありませんでした。過保護でダメな子になると思っていたからです。今ならわかるのですが、私には、(自分の味方)ドラえもんがいなくて、ドラえもんが欲しかったのです。
だって、母の背中に隠れて、顔だけ出して、「アカンべ~」をしたかったという思いがありました。今は、旦那の背中に隠れて、「アカンべ~」をしているだけだったと思い至りました。そして、今もドラえもんが欲しいと願っているのかも知れません。
なんて、子供っぽい大人なんでしょう。
小さい頃は、早く大人になりたいと思っていたのに、ちっとも成長していないと今、気づくなんて。

もしかして、未だに直らない、髪の毛をいじる癖も、親が悪いと思っていたのを崩したくなかったのかも知れません。

私は晩婚でしたので、子供は生まれなかったのですが、自分のトラウマを次の世代にバトンタッチしなくて済んだと、内心ホッとしています。子供の大好きな旦那には黙っていますけど。そして、旦那がぬいぐるみに、向かって「母ちゃんは冷たいね」という言葉を、もし、生まれていたら吹き込むだろうから、良かったと思っていました。
もしかしたら、父が同じ言葉を私に、吹き込んでいたのかも知れません。離婚する前は、父と娘は、恋人のようでしたから。

※     ※

さて、介護をやっていて、義母は、生きたいのに、痩せ衰えて、食べてくれない。
こんなに暑いのに、水気も摂ってくれません。昨日は、「食え!」と、旦那が怒鳴りつけました。
まるで、自分の命に係わるのに、親のいうことを聞かない、知能の遅れた子供です。
買って来た小さい弁当を、昨夜も食べなかったのです。

さすがに、これはヤバいと思ったので、介護の経験のある友人にメールしました。
「病院へ入院すると言うが、連れて行けば、ここは市民病院じゃないといい、警察へ行ってレイターを切って貰いたいというので、本当に連れて行けば、あれは警察じゃなかったと、村長さんが言っていると、言う老人を愛せるか?」
という内容です。
対応を、長く書いてくれましたが、いいことを書いてくれたので、要点だけ書き移します。

「工夫し、反応を見て楽しめるようになれば、可愛くも見えてくるんではないでしょうか?」
「私優しくないですよ。
情があまりないので」
でした。

確かに、全部食べてくれれば嬉しかったし、ほとんど食べないとがっかりしています。
ふと、これは、自分本位なのに、気がついて、ゼリー状の栄養補助食品に、フルーツゼリーを出してみて、「食べる?」と聞いてみました。
「温めたら、食べる」とやっと言ってくれましたので、匂いチェックして、大丈夫だったので、置いてみました。義母にしては、だいぶ食べてくれました。
専業主婦だから、レトルトは恥だとこだわっていたのも原因でした。食べてくれれば何だっていいのです。
ほんのちょっと、掴めた気がしました。

SBMの2本は、もちろんしています。
ブログに書ける程、成果がでないし、「レイターがもっとひどくなるので、止めて」と毎回断られていますが。

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