節目

東京サロンのSBMを受けたのは、なぜか、何となく流れというか、何かの節目という気がしていた。
久しぶりの東京サロンは、まったりとして居心地がよかった。
長い低迷を抜け、やっと元気になりつつあって、その原因を話していた。
神の闇の部分、それを真に受け過ぎたのだ。
それをおし頂く癖を指摘されて、ほんとうそうだと思った。
私の復調のキッカケが、洗脳を解く類の本だったのだから合致している。
そして、よく言われるのが、
「ペカペカさん、神に愛されてるよね~」
まあ、ふがいない私なので、申し訳ない気もするのだが…。

話題に出たのは、サッカーのラモス瑠偉さんの事、愛妻家の彼が奥さんを失くされて一年半になるが、まだ悲しみが癒えないという。
「ここ毎日ね、家から出る、帰ってくる。お祈りして出かけます」
「いつも恋しいなとか、会いたいなとか。今でも好きです」
つたない日本語で、とつとつと語る温かい笑顔(私のイメージするキリストの顔が、ラモスさんだった)
「いろんなトロフィーを手にいれたけど、一番大切なトロフィーが彼女だった」
「目が覚めた時、そばにいたに、隣にいない。寝る時も寒い。特に冬はベッド寒いですよ。枕抱いて寝てます」
テレビを観ている私の喉が痛くなった。
怒りの時に、喉が痛くなることを経験していたけど、一緒に悲しい思いの時も痛くなるのだと知った。(父親っ子の私が、父親のことを話せない環境だったことも悲しみの一部だった)
そんな世間話をしながら…。

「今まで、言えなかったんだ」
それを吐露するということは…。
「これ、もうSBM始まってますからね」
何度も、その言葉がゆうちゃりさんの口から出た。

考えが明確になってから、ゆみさんと、ゆうちゃりさんのSBMのセットメニューを受けた。
心の変化に寄り添う形で。身体も変化させて行く。
そうでなきゃ、ラチがあかない気がしていたから、ここで一気に変えて行くのは、却って経済的な気がする。

先祖からの受け継がれたいいものでない方のモノが開放されて行く。
普通にどうがんばっても、ある壁を越えられない人が確かにいる。それがご先祖さんたちから受け継いでいるものだとすれば、切ない。
どんなに背を真っ直ぐに伸ばしても、背中に丸いところがあったのが、スッと真っ直ぐになった。できるだけ、キープし続けたいと思う。
それと、頭の後頭部下部の左側は、押さえても痛く無くなった。
頭から、いっぱい出たそうで、「怒り」らしい。「呪い」も。

最近、義母の首とかにタイプ②のオイルを塗ると、施術日の前夜私の頭もひどく痛くなって、ものすごい攻撃だったことを初めて知った。
それで、机や、瓶で、カンカン大きな音を鳴らして、紛らわそうとしていたのだ。
東京から帰った翌日、じっくり時間をかけて、祈りとオイルトリートメントもやった。
一度はレイターも切れて「OK」サインを貰った。
「もう、寝る」
義母は、いびきをかきながら、コンコンと眠り続けた。
いたちごっこで、気長に治そうと思っている。

東京サロンは、トラウマとか、精神的な弱さとか、その家系が持つ因縁とかに、いい結果をもたらすみたいです。統合失調症に劇的な変化をもたらすそうで、予約もいっぱいあるそうで、何よりです。
うんと、お世話になり、ありがとうございました。

1 thoughts on “節目

  1. pekapeka 投稿作成者

    欧米発、介護の娘へ、母からの手紙が大勢の感動を得ているようなのでここに引用します。介護の心得のようなものでしょうか。

    Facebook上で「感動する」とシェアされまくっています。
    旦那が、感動すると言って教えてくれました。
    他人の老いよりも、今自分たちの物忘れを肌に感じている今日この頃です。

    「母から娘への手紙」

    私のかわいい娘へ。
    私が老いていることに気付いたときには、落ち着いて受けとめてね。
    何より、私が直面している状態を理解しようとしてほしい。

    話をしているときに私が同じ話を何回も繰り返したら、「さっき同じこと言ったじゃない」なんて言って遮らずに、ただ耳を傾けていて。
    幼いあなたが眠りに落ちるまで、私は幾夜も幾夜も同じ物語を読み聞かせたわ。

    私がお風呂に入りたくないと駄々をこねても、怒って私を責めないで。
    あなたが小さな女の子だったころ、言い訳をして逃げ回るあなたを追いかけてお風呂に入らせなければならなかったことを思い出して。

    新しいものに対して私が無知であることに気付いたときは、そんな目で見ないで、ゆっくり時間をかけて覚えさせて。
    覚えてるかしら、私があなたにたくさんのことを教えてあげたこと。
    正しい食べ方、お洋服の着方、髪のとかし方、そして毎日ぶつかる人生の壁との向き合い方まで、ね。

    私が老いていることに気付いたときには、落ち着いて受けとめてね。
    何より、私が直面している状態を理解しようとしてほしい。

    私が何を話していたか分からなくなってしまったときは、思い出す時間をちょうだい。
    そして、もし思い出せなくても、心配したり、いらいらしたり、馬鹿にしたりしないで。
    私にとって何よりも大切なことはあなたと一緒にいることだということを分かってね。

    私が年老いて、以前のように歩けなくなったときは、やさしく手をとって。
    あなたが初めて歩いたときに、私がそうしたように。

    そんな日がきても、決してさみしいだなんて思わないでね。
    私が最期の日を愛情に包まれながら迎えられるように、ただそばにいて。

    ともに過ごした時間、ともに過ごすことができた幸せを、あなたに感謝しています。

    満面の笑みと、いつ何時も絶やすことのないあなたへの愛とともに伝えさせて。
    愛する、私の大切な娘へ。

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