心の声

正直なところ、サロンをやる一年半前では、介護に嫌気を感じていましたが、今は私的に落ち着いたといえます。
恵まれている条件の中での介護は、苦ではないという、愛おしいという不思議な感覚です。
それにしても、義母を看ていて一度の事件(痴呆度テスト?)のプライドの傷ついた印象で人間は、その悔しさに執着をするものだと知りました。
恐怖と理不尽さを何度も口にして吐き出そうとします。
「一日中テスト。殺されちまう」と訴えます。男言葉をたくさん言います。
ごはんを用意したり、目ヤニをホットタオルで拭くと、素に戻ったように「ありがとう」と言います。

自分が、夜か昼かわからない時空の中を、自分の感覚を信じて言い張ります。自分がボケていることは一切認めません。
食べたか、食べてないか、それを食べたいか、食べたくないか。
一時期とっても遠かった耳も、施設を出たい一心で復活しました。自分の聞きたくない言葉は、聞えませんが!(^^)!。

何でボケるのか? 
人の気持ちを受け入れる習慣のない人がそうなるような気がしています。その中には、『自分が悪かった』という回路がないような気がします。
人の言葉によって、深く傷ついて落ち込む人もいれば、人の気持ちを意にせず我が道を行く人とでは、後者の方がボケるのでは?と思います。

その意味では、葛藤って面白い人間のドラマだなと思えます。
腹の中に大勢の小人がいて、口々にいろんなことをつぶやきます。それを拾いあげて意識にのぼるみたいな説がありますが。
対立する意見があるから、悩むわけで、最近、みんな自分だと認めると、楽になりました。

旦那さんに大昔の恨み辛みをチクチクやっているボケてしまっている奥さんを介護しているご主人の話をまた聞きしました。
最近、『夫源病』という言葉が流行っていますが、それに気づかず、(自分のために戦わず)
ケンカしないで、一方的に我慢していると眩暈や、吐き気や頭痛に悩まされるそうです。自分の心の声を聞いて、知りつつたまにはその意見を尊重したケンカも大切です。

1 thoughts on “心の声

コメントを残す