よくぼう

ここのうちへ移り住んで一年間はハラハラどきどきしていた。
二年目から
・「そうかー 初めて知ったー」という自覚をもつ場面があらわれ
それと比例して落ち着いてきた。
こういうながれを今朝考えていたら
・「心底知りたい、とおもうことができるようになった」
ことが
初発にあることがわかる。
・「心底知りたい」と
出生と同時に「おもえない」のはどうしてだろう
。。

この世に人間としてうまれて同時に、「心底知りたい!」という自覚発動セットボタンを押せば
本当の本当の自分の心の奥の奥の奥の欲望に沿ってたくましく活き活きと生き通すことが出来るだろうに。。

一神教の神が
私は妬むものである といわれる
これはいったいどういうことなのだろうと常におもっている。

そしたらまさにきょう
自分のかつてハッキリ体感した「妬み」を思い出した。

それ(妬み、)はあまりにも意外なところから突然現れた

10歳を過ぎた子達と姪、甥に対してだった。
・ああいいなー、、自由で、
・思うことを持っていていいなー
・身体で全開放できていいなー
この感情の中には親としての視線叔母としての視線は無かった。ただ
10歳の目の前の人間が妬ましかった。
自分で押さえられなかった「意外なところから来た妬み感情」が突然吹き出した。
ショックとともに忘れられずこんにちまで記憶に残っている。
これが一神教の神の妬みなのかもしれない。

となると一神教の神は 身体が欲しかったの?自由が欲しかったの?見られる想われる存在が欲しかったの?
一神教の神は、人間(わたし)が作ったの?

もうやめようね
隠れて勝手に作り出すのは。
そんなことより心底の想い叶えようね。
感謝されるとうれしいがねー そうおもわない?

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