朝一番 ほんとうにすごいなーとおもった。
目覚めるまで ぐーーーーっすり 眠っていた
こんな体験は 数十年もしくは生まれて初めてくらいだとおもえてくる
きょうという7月ラストデーに
すごいことがあった。
家人から
・うちのなかを片付けられないことについて
・ものをさっさと手放せないことについて
きびしく発信があった。
もちろんわたしに向かって。。
わたしという人間を熟知しているので後ろへも横にも逃げ場がないくらいに周到に意見された。
存在証明を感じた。
きれいごとにこの出来事をスルーはしない。
真摯に受け止める。
その上で
7月最後の日のタイミングにあったこととして
自分の中で自在に感じたまま記録したい。あしたからもここの会員ブログで体験したことを書きたいために。。
5月のシンロジカル・セミナー会場でわたしは存在証明を果たした
その二ヵ月後足らずに 二段目の存在証明がきたーと感じた。
同時に、
「ロケット二段目 飛んでいるんだなー」
「天=死 に近づいているんだなー」
とおもった。
それと三日前から脳に浮かんでくる「マッチ箱と一本のマッチ」が意味を持ち始めた。
・たった一本のマッチの火をどうやって何をして燃やし尽くすのか
・わたしは宗教にかかわることに たった一本のマッチの火を使い続けた
結果むたいなものであったけど
(ひどいめにあった
とか
(だまされたたいけんをしてしまった
とかいう非難が
いまもみじんもないのは もしかしてこのたった一本のマッチを使い込んだという安心のほうが強いのだとおもった。
ここにマッチを一本擦ってあとのすべては安心して生き切る道をただただ歩けばいいのだ
というわたしなりの作戦のように構図が浮かぶ。
マッチ箱は自分の小宇宙
マッチ一本は生き残りに賭けるためにどこでどうしますかという問いに対する存在証明をとうとう 二段階果たした!
家人からきびしく部屋を散らかす性分を指摘されて
ああ。マッチは燃え尽きたー
とドスンっとお腹にきた
ここを時点に(存在の証として)あしたからの「三段目のロケット(天=死)にむかう自分がある」
とわかる。
きれいごとに収めるつもりでこの出来事を書いたのではなく始点として書きました