やはりもしかして
あのときの
交差合流地点で体感したことは
。。
逃げも隠れもしないという骨が背中を通っているから
書いてみるのだけど
決して
逃げるためにおもったのではない
隠れるために思ったのではない
あの日
法事が行われる実家へ行くために高速を走る車に乗っていたわたしは別の経験時空で
あちらがスピードを落としていなかったときの
もうこの世からバイバイした「わたし」ではないか
。。
24日夕刻
母が異変となり救急車でおおきな病院へ運び込まれた
福祉関連で仕事経験の豊富な姉の積極的なかかわりで事がすすんだ
施設からの連絡第一家族は身元引受人の自分だったが
「施設から一番近いから」
という
姉の提案で
姉に変更になっていたから
「
診察券と保険証もって病院へ来て
」
と24日
晩御飯の支度をしていたら姉から連絡が入った
夫に車でおおきい病院へ連れて行ってもらった
待合室
姉夫婦と自分たち 4人
二時間近くひたすら救急治療室から知らせがくるのを待った
姉妹の中で一番遠方の長女家族は
連絡待ちということにしてもらった
会話もほとんどしなかった
心臓は少しもドキドキしていなかった
たったひとつ救われたことは
姉の言葉だった
「
もう少し容態を落ち着いて経過をみればよかった
施設の担当医師が母を診る前にもう救急車の手配を
してしまった
」
と言ってくれたこと
急激な変化に母を放り投げてしまったことを心の中で詫びた
待合室ではやることはひとつしかなかった
祈りの言葉を繰り返した
母が光につつまれますように
母に平安がとぎれませんように
やっとアナウンスで入室を許された
夫をおいて姉とふたり救急治療室へ入った
促されてベッドに近づいた
「
あらら、、おかあちゃん」と意味のわからない言葉になってしまったが
アッ
と
びっくりした
にっこにこ顔の母
まるで
「
きゅうきゅうしゃー乗ったよーはやいよー
」
と
あたらしい体験をしてワクワクしているかのような
無垢な顔だった
「
もう帰ってもいいですが夜が遅いですし
様子見で一泊入院しましょうか
」という担当医の話も母の顔にはぴったりだ
あの日
法事に出かけた日
長時間
ここのうちを留守にしたとき
なんと
猫赤ちゃんを産んだ母猫は
隅っこのわたしの眠る部屋にこどもを移してしまっていたのだ
そう
いまも毎夜眠るときは
猫親子 5人と同じ部屋でわたしは眠る
お母さんになった猫ちゃんが「おしえてくれた」
pandaちゃんは
夫の運転の
あのとき(交差合流地点の「あらあらあら」、、、)
すでに死んでいた過去を思い出したんだよ
17年前の5月26日
わたしは中3だった子供の
高校進学説明会に
地元中学校へ自転車でむかうとき
車同士の衝突事故にまきこまれて歩道に倒れた
救急車に乗せられた
中学校に近い病院で
「
特に治療ありませんから もういいですよ
」
と言われた
テクテク自宅へひとりで歩いて帰った
留守番していたわんちゃんは大喜びしてくれた
生と死の交差の理解が
17年の月日を使ってまでも
それと
母の緊急事態もきっかけとして
いまのわたしの心にやってきた
予定通り母は一泊入院を終えて
今日午後一番
施設そら:へ戻った
と
姉から連絡が入った
母子心中的関係は終わった
母にしてあげたいことも
母のために考えたいことも
自分ひとりのものではなくなった
自分ひとりのものではなくなった
という意味は
「守る・わたしが守る」というのは
「依存(ひがいもうそう」だったという理解ができた
という意味
生と死をかけた被害妄想(いぞん)だったのかもしれない
毎夜眠る部屋で母猫と赤ちゃん猫の対話が聞こえる
なんとふしぎな空間でわたしは眠っているんだろう