きのうは足湯をした
きょうは手湯をした
晩御飯になる素材がたりないしきょうはなんとか外へ
出ようと思った
きのうから手の届かない部分が氷りついている体感だった
そんな中
娘から
・お花を庭に植えたら?
・乳酸菌が増えすぎても漬けたものが酸っぱくなるんだって、
と
おしえてくれた
このとき
・ああ。もうここには母は居ないんだなー
とクッキリ心に記憶した
・母が40年前からまもってきた糠どこ
・季節季節にお花を植えるのが趣味だった母
どちらにも今一行動でピントを合わせることのできない自分が
版画のように白黒色で見えてきた
手首がなかなか温まらないから手首のサポーターも
見つけて買ってこよう
と
一日半ぶりに外へ出た
徒歩13分運良くそのお店は営業していた
温かい飲み物を飲んだ
時々営業し
時々お休みする
その喫茶店はいつもゆったりさせてくれる
手首の冷えの変化を意識しながら
今週の体感を振り返った
・自分ひとり誰にも知られず
悲しんできた苦しんできた
という自分の心の内部(片側)と
・ここちゃんを探しているんだろうか
そわちゃんがよく鳴くね
という外側の人間(夫)の放つ言語(片側)と
両者の内容がたとえ思い込みであったとしてもこうして
釣り合いをとろうとして
目に見え
耳に聞こえる「プロセスがある」、
ということは
思い込みは
思いであっても
たしかに重量=現実、はあるということがよくわかる
過去の
人知れず苦しんできた部分(氷)が
まさか釣り合いをもってして溶解していく(癒されていく)とはおもってもいなかった
浄化と上昇のおいのりで心にハカリができたのだろうか
不思議のくにのアリスみたいな喫茶店をでて
スーパーへむかった 手首はあたたまっていた
スーパーを出て帰り道
歩道橋のうえからさっきのお店の屋根を探した
ア、
営業ランプが消えていた
~お休み
やはりなー あの店はアリスちゃんだー
住まいにもどるとやっと
埼玉へ出かけたときのズボンの洗濯に着手できた
・よし!