貧困問題発信

それからというもの母との時間は注意深くするようになった
それから
というのは父がなくなって一人暮らしになった2010年秋のこと

「ここのうちへ引っ越すからねよろしくね
と母に何度も言った
母は言葉ではありがたい
といっているけど
身体が「娘夫婦がここへやってくる」ということがなかなか受け付けられないようだった
母は「うんうん 座敷で寝てね
とか「わたしは二階が実家みたいにくつろぐから一階は好きなようにしてね
とか
言ってくれるのだが
「押入れの中のものを一度出そうか
というと
「いい いい こんどまでにやっておくから
と決まって返事した

わたしは自分の生活の収支バランスを壊してしまっている中で母からお金を援助してもらいたいという情けない事情を抱えながらなので
頭の中はパンパンに「考え事」でふくれあがっていた

いったいわたしはどうしたらいいんだろう

気の合わないできるあの人たちはこんな鳩の心臓のような自分の心の中に土足でズカズカ入ってきた

「お金にぜんぜん余裕がないんだよー
「節約しなさいー
「新聞購読もやめたらー

と母に忠言するあの人たちを憎みながら
ひたすら注意深く母との時を過ごした

ここのうちへ自分たちが引っ越すのはお芝居でもいい
と考えるようになった

母のうちへ訪問時
リュックで「ちいさなちいさな引越し」をはじめた

混乱から解き放たれない母に「ちいさなちいさな引越し」を見せて
このさきはひとりじゃないよ 力になりたいよ
という実感が少しずつ少しずつ1ミリ1ミリ広がればいいと考えた

まずは光の道具を使い母の身体に光に意識に光

と賢く考えることができた

「とにかく三人わたしたちで母を守ろう」
体制に純度がめきめき上がってきたのには
叔父の死別がおおきなものとなった
という
ほんとうに稀有なことが昨年冬あった

純度があがるのに
やさしさもおもいやりもあまりドンピシャリというわけにいかなかった
貧困問題解決がビンゴだった

昨年クリスマスイブに母の弟が亡くなった
たったひとりの相続人は母だった
母のもとへ300万円が入った

その数ヶ月前
叔父の入院する病院から電話があった
「姪御さんですか 叔父さんはあなたを頼っています
来てくれますか

だった

叔父さんのアパートの鍵を開けて入ったら
壁に
そして手帳に
pandaちゃんの携帯 自宅電話番号
と記されていた

銀行の暗証番号を教えてくれた
叔父さんは
「すまぬ これで 墓に骨を埋めてくれ
すべてpandaちゃんに頼みたい
と言った

クリスマスイブ二日前から病室に泊り込んだ
やすらなこころになりますよういのり
光の道具を叔父の身体に塗りつづけた

わたしはうまれてはじめて喪主さんをつとめた

天に向かってそして母の心にむけて言葉が出た

母はむくわれた

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