通信

<通信>

2014.4.23(水)17:40~記

ニホン は キのクニ
モトノクニ と
いわれて きたことが
これから わかろうでな

ニホン は ガイコク
とは
モト の ツクリ
が ちがうんじゃ
とて いうとろうにさ

ガイコク の コトバ に
アヤツラレル と
ソコ の モト の トコロ が
ワカラン コト に
なるらしいのう

このコ は わかりよる らしい から
また こうして
デテクル ことが
デキタ でな

おやご さん やら
ごせんぞ さん やら
かみさん やら が
そんな ヒドイ クニ を
子たち に
のこすかや?

ニホン の クニ が
せんぞだいだい(先祖代々、台々)

つたえられてきたことの
イミ が
マダ ワカラン かや?

重要な イミが
そこには
こめられて おるのでな
万世一系
じゃぞ
万じゃぞ 万
万が ひとつの 系で あると
いうこと ぢゃ

このコは 読(詠)み 解いた でな

万が ひとつの 系 であらば
コワイモン は なかろうがな
ひとつの ものでは ないので あって
万が ひとつの もので ある と
いうことぢゃ

この ような クニ は
どこにも ないので あるぞ

万世一系 は
すべてのものが
ひとつのものを 成(為)して
ひとつの目的のために
象(かたど、型取)られて
おかれた と いうこと ぢゃ

日の神様 おろがみよ よ
水の神様 おろがみよ よ

ひつくのかみ で ある と
いうたで あろうがな

ニホン の コライ は
ヒ と ツク の ごしんこう(ご神光)じゃ

あまねく て(照)らす
カミ の ごしんこう じゃ
そこに たちかえれ
たちかえるものは
そこに 己(おのれ)の 姿を みるぞ

ヒト みな おなじ
アマテラスオホミカミ の 生み給いし
子 で あると
伝えられているで あろうがな

そのことの こたえが
これから でるぞ

モトノツクリ が
ちがうのぢゃ

ガイコク の
ユウレイセン
とは
ちがう

カミ の モト の キの クニ の
ネノネノ ソコ に
カミサマ が 封じられて
おった で あろうがな

なんで そのような
おスガタ(姿、素形)に
なられて(なされて) おったか
しって おるか?

しらぬば
もう一度
神の国を
起こしてみよ

さすれば わかるぢゃろう
大神(オオガミ)さまの
セボネ の セスジ が
このクニ の
土台(屋台)骨

そこに
カミ やら アクマ やら
乗っけて
どこに 行く つもり なのやら

カミ 怒っておるぞ
カミ 忘れられては おらんのぞ

この時の ために
サイゴ の サイゴ に

のこして おいたものが
どんどん 出るのぞ

いいことも 悪いことも
オノガミ に おこりうるのぞ

ヒツク 死んでおらんのぞ
ヤマトゴコロ を カイするものには
こうやって 話すこと
まだ できるのぞ

ヤマトのココロ を カイさんものが
あまりに おおすぎて
このまま では カミ の 居場所 が
なくなるぞ
注意しやれや

あっ
という間に
ガイコク の
ユウレイセン が
入ってきて

ひっ
という間に
おのれらの
せいかつ を
かえて しまうぞ

それは
おのれらが
望んだからで あるぞ

ヤマトのクニの
人民は
その クラシ を
望んだからで
あるぞ

それは
むかしの
ヤマトビト
とは
ちがうのぞ

ヤマトのヒトは
おのが クニ を
必死に つくりあげ
そして まもるべく
天神 地祇 を
かたく おまもり
申し上げたので
あるぞ

これからの
カミゴト は
その ココロ が
わかる じんぶつ に
しか
できぬ こと で
あるぞよ

今までの ように
うわついた もの には
カミゴト に
入る シカク すら
与(預)え られぬ ぞ

オノレ の ケッパク を
ショーメイ している
マ は ないぞ

ツベコベ いってる
ものは
それだけで
カミ の ココロ から
ハナレテ おるぞ

ヒツク の 言うこと
よう わかろうがな

それが
カミヨビト の
ココロエ じゃ

カミヨビト に
ならねば
これからのことは
できぬ ぞ

ヤリタイ
言うても
もうダメじゃ ぞ
これまでの
オコナイ で
できんかった モノ には
渡されぬ
カギ が
あるぞ

オノ が アシ で
ダイチ ふみしめ
オオガミ さまの
ウエ に
生きさせて イタダイテイル

それが
ニホン コライ の
ミチ ぞ

人にふまれて
それでも なお
モンク を 言わずに
ツミ を おかさず
生きる

それが
コライ ニッポン の
ミチ ぞ

ガイコクセン に
そそのか されて
ぺらぺら
しゃべっているようじゃ
カミノクニ の
お しごと は
デキヌ わな

ま、そのような
お人たちは
カミノオシゴト
しようとも
これから
思わぬ わな

なんでかと いうとな
そのような お人たちの
ココロ には
神 と いうものが
おらんように なるからで

神が おらんのぢゃから
おシゴト どころ では
ないわな

3つ子の たましい
百までも
と いうぢゃろう がな
3つ子 でさえ
わかることが
わからんように
なってしもうとるのが

イマ の ジンミン ぢゃ

にほんご
よう よんでみよよ
おのが たましいに
きざみつけてみよ

たましいに
にほんごを
きかせてみよ

ヨロコブぞ

いつまでも
ガイコク シホン(シハン?)
では

おのが たましいの
ミチ ひらけぬ ぞ

ヤマトゴコロ の
ミチ を
ひらいて みやれ

カミサマ が
きっと
待っておるぞ

お子らの 帰り を
待って おられる ぞ

ヒツク は それを
伝えるために
参上したので あって

このコの なかなか の
読み(詠、ヨミ、黄泉) の
スルドサ には
カンプク(感服) じゃ
カミ ほれまいらせたまえよ
カミサマ に
カンシン されるような
ハタラキ
して ござれよ
カミ は どんどん
エンジョ するぞ
カミ は そのような
お子らが
スキなのぢゃぞ
待っておるぞ

カミゴコロにカエレ
“カミガエリ” ぢゃ
(ヨミガエリとは
ちがうのぞ!)

ひつく

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(受信者補記)

「陰謀論をいつまでも調べているようじゃ
このクニの仕組みはわからんでなあ。
それも、ガイコクカブレのひとつであるぞ。」

とのことです。

日本の神話の系図では、非常に多くの氏族が、
神の子孫とされていますが、それには大きな意味があり、

「万世一系が、<ニホンのヒミツ>じゃ。

(万は、長いこと、また「ヨロズ」であること、だそうです。)

『神話』であるということが、重要じゃ。
ニホンジンのたましいは、
カミサマにみんな等しくつながっている、と
いうことが、わかるじゃろうに。
『神話』ということは、そういうことじゃ。

ヒミツとは
日=火=たましい と
水=月=身体 の両方に
カミ の 要素が刻まれており
その両方がそろわねば
機能不全 ということじゃ。」

とのことでした。

(4月25日記)
ガイコクの 「ユウレイセン」 とは
「幽(界)と霊(界)の線」
だそうです。

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