オムツとコーヒー

「玄関のドアを開けると、おしっこの臭いがする」とは、旦那の意見。
「まあ、そう言えばその臭いに慣れちゃって気がつかないのかも知れないね~」
義母本人は、澄ましているのだが、オムツに一回分でも溜まっていると、快適そうでも、臭いがする。それで、オムツが脇から破れるようになっているので破ると観念してジッとしている。外して取り替えると小さい声で「あんがと」と言う。ついでにパジャマも全部取り換える時もあるけど、面倒な時は、ズボンの方だけ取り換える。来客があるわけじゃなし気にしない。
ところで、紙オムツを頻繁に替えるのは、手間がかかるので、中敷きを使う。それだけを取り替えてくれたらいいけど、使用済みを捨てる時もあれば、かさ張るのか、未使用で放り出す癖がある。「勿体ない」と言って、トイレットペーパーを幾重にもたたんでそれをあてがう。それじゃ筒抜けで却ってオムツが濡れる。いくら教えても痴呆症がかかっているから、その癖は直らない。まあ、いっぱい買ってあるし、清潔なお婆ちゃんの方が好ましいので気前よく替える。

ある日、義母がトイレを出たあと、たいてい流さないのでこちらがする。それでもまだウンコ臭い。またまた本人は澄ましているので、トイレに入った隙に、覗くとオムツがウンコまみれになっている。外すと、ホッとした様子だった。
本人の手に負えないのだが、「助けて」と言えないのだ。

そこで、伊東サロンの時に買った、ホーローの大き目の洗面器にお湯を張って、お尻を床に着けないようにして風呂場へ運んだ。この間、クダを巻いて叫びまくられた。旦那に「お湯」のスイッチを押して貰って、トイレの掃除を頼んで、パジャマを持ってこさせてだ。風呂にお湯を張るには、時間がかかり過ぎる。
「もっと計画的にやんな~」と旦那が言う。
「臨機応変なんだから、仕方ないだろう!」とやり返す。
とはいえ、お尻を洗面器に漬けたまま、服を全部脱がして、シャワーを流して、ついでに頭をシャンプーして全身も洗った。新しいパジャマに着替えると、さすがにウンコの臭いは消滅した。汚れたパジャマはバケツのお湯に一度つけ込み、あらかたの汚れを取ってから洗濯機に託した。お湯は便器に流した。

風呂へは勧めるのだが、疲れるので嫌らしく、渋い顔をして「行かない」と言う。
ケアマネージャーが時折来て、風呂を一人で入れるというのでびっくりされる。
ヘルパーを利用してみては? 通所へ一日通って見ては?と毎度のこと聞かれるが、「行くと疲れるので嫌がります。来てもらう日時を決めても、本人のタイミングがあるので」と断っている。だいたいケアマネージャーが来ること自体、義母が緊張しているので。

この前、40代の私の畑教室の友人が家に遊びに来た時も、わざわざやって来て「行きません」と盛んに訴えていた。宇佐美のNという施設で、よっぽど嫌な思いをしたのだろう。
「あそこ、いつも求人募集しているから、人使いが悪いんだよ」と言われた。
「介護施設で働いていると、職員が切れてしまってバイトの私の方が、そんなこと当たり前に面倒見が良かったりするんだ」と言う。むいていない人がいっぱい働いている。
彼女は犬好きで、例えば猟師なんかは、犬に対して最悪で、言う事を聞かないと殴るのは当たり前の世界で、殺してもいいと思うらしいと語った。
ドッグトレーナーの養成学校で資格を取ろうと思っていたのだけど、結局、犬を躾けるためには、餌で釣るか、強く叱り、暴力で誰が主人かを分からせるのだそうで、どこもそうだったと沈んでいるのだ。盲導犬だけは、例外的に人間を好きになるために何か月も抱いて育てるのだそうだ。
いつも、義母はこちらの部屋に来ないのに、自分からやって来て、「絶対、行きませ~ん」とかなりの時間訴えて自分の部屋へと帰って行った。
「私に介護施設の職員のオーラが出ているのかしら?」とポツリと言い残して帰った。
「そんなことないよ~」と気にしないように言ったが、その後義母は、しばらく私に対して他人行儀な言葉を使っていた。施設へやられるのではないかと脳裏をかすめたのだろう。そう思うと私のことをありがたがるのだと思う。ちなみに、横柄になる時もあるが、淡々と私はする。
たいていは、小さな声で「ありがとう」と言う。その一言が、私の心に滲み渡る。

ある同世代の女性と話しをしたことがあった。彼女はキャリアウーマンでホテルの運営を任されている。伊東にガン患者専門のホテルができた。講義もあったりして、有機野菜をたくさん使ったランチが1000円だからと勧められた。
まあ、家近いから、高くつく外食はしないのですが。

彼女は一人っ子で、両親とも介護だという。もちろん、父親は、施設へ預けているのと、母親はヘルパーの助けを借り、なんとかやっているのだと言う。
彼女は、高給取りだろうから、両親の年金とで、賄えるのだろう。さかんにそういうシステムを利用して、社会参加を促す。
私の場合は、介護を人に頼んで働くよりも、できるだけまとまった時間がある方がいい。それに、旦那がカメラを持って出かけるので、私が勤め出すと自由に行けなくなるので、まとまらない。観光地なので「日曜日に休みたい」となるととんでもないって顔をされる。
「本人が施設を嫌がるので…」とあまり言うと、後ろめたさを引き出してしまい、気を悪くされるのではと、ハイと答えるに留めた。
介護なんて、百人百様だから、ケアマネージャーが月に一度来て、指導するように言ったり、御用聞きみたいに、「うちのサービス要りませんか?」は、違う気がする。こちらのニーズに応えてくれるか、どうなのかだ。

コーヒーをいつも飲むのだが、一時期、有機肥料にしようと、モミガラを炭にしたのと、ピートモスを1:1でまぜて、段ボールの中で発酵させる実験をしていたが、カビが生えたのでベランダのプランターに入れた。野ざらしで殺菌するに限る。
大き目のプランターに植えたえんどう豆が伸びて来て、花をたくさん咲かせている。ついでに、アスパラガスの株も買って鉢に植えて、新芽が伸び出している。
結局、コーヒーのカスは、トイレのゴミ箱に入れることにした。
私の鼻の感覚では、それで、トイレ臭が消えた。
汚れたオムツは、コーヒーの残りカスと抱き合わせてスーパーの袋に入れ、空気を抜いて口をしっかり結ぶ。生ごみと一緒に棄てるので、二日置きぐらいの小さいゴミ袋いっぱいにして捨てることになる。

トイレを出た所に、オレンジの色の棚を置いていて、その上に入れ歯洗浄剤とか、浣腸の箱を置いていたが、浣腸の中身を全部放り出して、水浸しにして、ぐちゃぐちゃにしてあった。もちろん、そんなことをするのは、義母しかいなくて、頭上の棚に置きかえた。
自宅で使うつもりで、スーパーで買ったお歳暮用の石けんの包装紙も破られていて、箱から石けんを次々と出して、一つは洗面所に置いてあった。
あと、除菌用アルコールの1000ml入りの、プッシュすると霧のように出るプラスチックの容器がある。使い方がわからないらしかったので、押して見せた。納得してうなづいた。
それを臭い消しだと思っているのか、通る度に押している。
それぐらいの『オイタ』は、体勢に影響がないので放っておく。遊びがないと退屈だろうから。子供に還るのだ。
テレビの音声がよく聞こえないらしいので、テレビを見てもわからない。置くと「向うの部屋へ持って行って」といつも言うので置かないことにした。

義母の夜中起きている癖だが、夜眠らないのは、鬱の若者だってよくあることだ。朝、大口を開けていびきをかいている義母を起こすのは偲びない。眠ることで体力も持てるし、疲れも取れるのだ。冬中、オイルヒーターをつけてみたが、その度に、コードを抜いてしまう。寒村に生まれ、生来の節約家なのだ。故に、風邪をひいたら大変だと布団に入らせる。それで、昼間うつらうつらするのも、寿命を延ばしていると思っている。

歩いて15分程の所に馴染みの八百屋があって、「義母の介護をね~」と、店員さんが、いつも感心して褒めてくれる。
和菓子を一個だけついでに買って、みやげにする。「買い物に行くよ」と言っておみやげがあると、快く外出させてくれるだろうと。
「なんでも好きなものを買って、食べなよ」は、たまに言ってくれる。
条件反射のような言葉だ。私も心がけたい。
夜中にトントンして騒いだりするのは、下火になったが、夜中に二回程トイレに行き、宵っ張りなのは、今も昔も変わらない。
その時に、気がつけば、ベッドに足を入れて寝かせる。足が上がらない時もあるのだ。その分、私の朝が起きれないのだが、説明して旦那に納得して貰っている。

ちなみに、ベッド。伊東サロンで買ったエステ用のベッドのチェーンを外し、足を折って義母の膝の高さに合わせて低くして使っている。ホームセンターでパイン材をカットして貰い、家で四角く組みたてたのだ。その費用一万円。
「もっと低く」とか「幅が狭いので落ちる」とか、旦那にケチ付けられたが、壁際に布団を丸めてベッドの幅を増やした。
「介護用ベットの一番低くできるのを見に行ったら、22万円だって!」と納得させた。

歩行リハビリの人を週二回頼んでいたが、トイレに二往復させて、バイタル(血圧と脈)を計るだけで、話し込むので「もっと歩けるようになりますか?」と聞いたら、「ならないですね~」というので、断った。トイレへは、自力でなんとか歩く根性をしているので、必要に迫られて歩く。小さな床ずれのことを書いてあったら、もっとクッションのいい介護用ベッドを勧められた。「リースですから(高くないでしょ)」と言うが、これが何年続くのだろう。
しかし、介護施設での床ずれの跡もあり、「そこでもなるんだから」と断った。
市の住宅だろうが、取っ手を打ち付けた。私の本箱の側面にも取っ手を釘で打って取り付けた。天井からの柱もリースであるが、重くて、あれをちょっと移動する時、確実に私の頭に重い器具が落ちて来て、痛い思いをした。万が一でも却って危険だと思う。以前、あれを4本頼んでいたが、積み重なると結構な額になる。ホームセンターの突っ張り棒でも充分に使えるので、二本取りつけてある。どう言うワケか、義母は掴まってギシギシと揺するのだ。

ちなみに床ずれだが、薬局では勧められないと言われたが、キズパットという大判の絆創膏を、貼ったままに置くと本人の体液で治すのがある。きれいに回復に向かう。介護施設でのやり方は、ガーゼとか、スポンジをあてがうよりはるかにいい。
※床ずれは、たまに身体をひっくり返しなさいよという身体からの合図らしい。血液が身体を循環させないといけないからだ。それは自力でなんとかなっている。
家にマッサージ師を頼んでから、自分で足を揉んでいる。ちなみに毎回「お断りして」と義母が治療師に言っていた。そのうちに、マッサージ師も時間が短かったり、おざなりになって来たので、断った。

前よりは、介護に慣れて当り前にできるようになったと思う。旦那も見るので苦にはならない。

☆☆☆

私は伊東サロンで、できなかったが、後から、商売のやり方で面白いコツを見つけたので、載せて置きます。成るほど。
http://www.youtube.com/watch?v=IVnsVUhPUWA
大金持ち(商売人のリアル)20分以降に出て来ます。

http://www.youtube.com/watch?v=x9vZkjIObYw
常連客の作り方

☆☆☆

さて、本題に入ります。
最近ふと、なんの脈略もなしに思い出したのが、2009年頃だったと記憶しているのですが、「これから、闇を見ます」「本当の自分の姿を知ります」ということだった。
その時は、私は明るいし、平気だと思っていたのですが、5年ぐらいかかって、「本当に参りました」でした。
そして、今は、「しかと見届けたわ」と思っています。
自分のことを善人だと信じて、善行をしていたつもりだったので、これほど落ちこむとは思わなかったのです。
落ちこみの正体は、なんていうか、自分を激しくケナす自分がいつの間にか生まれていたのです。自分がくすんで見えにくくなったようでした。
この時期に、愛がない人が、何か言っても傷つくだけですから、黙って見守る方が得策です。下手に言うと恨まれると思います。
回りの人の言う事に振り回されて、びくびくして行く自分、自信は皆無でした。
この頃は、上昇を試みてもできませんでした。オフダの両端は、ボロボロに破れていました。ネガティブな思考に取り憑かれていますから。他人の助けよりも、自分の気づきの方が大事です。他人のアドバイスで失敗すれば、自分の責任ではないという思想だったのが、とことん失敗すれば、早く壁に突き当たり、早く気づけるかもねという気づきに変りました。これも長い年月を要しました。

3~4年ぐらい経った頃、やっと変化が起こりました。
きっかけは、人の言っていることよりも、自分のフィーリングの方を採用した時でした。
海の底に、錨を着地させたように、嬉しかったのを覚えています。
新大阪のホームから見える景色がリアルに見えた気がしました。
自分に自信のない人は、自分の感性を否定しますから。
当の自分さえ自分の本心がどう思っているのかを、見失ってしまうのです。
これは、自分で考えなくなるのとある意味同じことです。

人のアラがとても気になるし、止めようとしてもつい、つい、口がすべってしまうし。その人に棘を刺して、不快に思うのが感じられたし、あとで後悔もしましたが。
いつも暗くて、暗いのが自分だってわかっているし、まわりの人は、嫌だろうなと思っているし、それでまた落ち込むし。
周りの人、本当にすいませんでした。<(_ _)>
たまに、電話を掛けて、元気が出るのですが、その後に、またネガティブな言葉をしゃべってしまって、また、失敗した~と後で思うのですが。思っていることは、出てしまう。思わないようにしないといけないなと、反省するのですが、つい、忘れるのです。

ある時、客観的に自分のことを知るキッカケがありました。
あるワークショップを初対面同士でやったのです。
そうなれば、自分の醸しだす雰囲気や、第一印象が他人からどう見えるか?

私は、O型なのに、B型に見えるらしく、季節に例えると秋だと言われました。
第一印象から、好意的には受け入れられていないと感じました。
電気店なんかに入ると、いきなり自分の姿がテレビの画面に映っていて、うろたえることがありますが、いかにもさえないおばさんが映っています。写真写りが悪いから、カメラに写るのが嫌いだと思っていましたけど、あれが正真正銘の自分の姿なんです。これを受け入れることから始めました。さえないのが嫌なら、化粧するしかありません。
他人が自分のことをどう、感じるか? ガマの油ではないが、冷や汗ものです。これは非常に大事です。
と言うか、むしろカメラが好きだと思わないと、永遠に嫌がっている表情が記録されてしまいます。これは損です。
このあと、かなりの時間がかかりましたが、嫌な自分が見えることによって、この不完全な自分を受け入れ、世界を肯定できるようになれました。
試練前と、試練後では、自分のことがよく見えるようになったのです。前よりも、自分のことを客観視できて顧みる余裕ができて、落ち着いたと思います。今回は失敗したけど、次はこうやろうとできるように思えるのです。以前は、全否定されている気分になりました。

そして、感じたのは、恐怖の正体は、『ご用心のメッセージ』じゃないかと最近気がついたのです。
恐怖を抱くことは、まず、悪だと決めつけないで、「ああ、自分に感情が、知らせてくれたんだな」と肯定的に捉える。それ以降、ひどくパニックになるようなことはなくなりました。ひどい時は、終電の時間に遅れて、今晩帰れなくなるということで、時間的に大丈夫なのに、過剰にパニックに捉われたことがありました。根拠もなく「大丈夫、大丈夫」と言って落ち着かせました。後で「なんであれきしのことで闇にハマったのだろう?」と不思議に思いましたけど。

『終良ければ全て良し』という言葉がありますが、最後に成功すれば、全てが成功のためのステップ、オセロゲームの色が全部ひっくり返ります。ここへ辿りついた時は、成功だと確かにそうでした。
しかし、『過去は闇』という言葉に捉われ過ぎていて、思考が過去に行くと闇なのかと、想像してしまいましたが、ある時、
♪笑い話に時が変えるよ  心配いらないと笑った~というさだまさしの『秋桜』のフレーズを聞いて、過去は、笑い話じゃんと考え直すことにしました。やっぱり楽天的に解釈する方が私の好みですから。

私に一番あてはまる説明として、こんなのがありました。本当に回りの人は、面倒臭かったと思います。タイトルは『不完全主義者』ですが。完全な人間なんてありえないし、私の天然キャラは、一生治らないし、直す必要もないということです。

http://www.youtube.com/watch?v=RAh2ZXtBSMc&list=PL0DGiP2I92mQJ7YWRlxqrLzGVLQ5bEEWH

☆☆☆

ついでに、書くと「地球ドラマチック」という番組で海洋生物が現在、破壊的な状態で滅亡の危機らしいのですが、過去に5回壊滅的状態だったと知りました。
海の世界ではそうだから、地球上でもそうだということでしょうか。
☆☆☆

この前、別の友人からこのサイトを教えられました。
ミステリーサークルのパターンとフリーエネルギーの関係性が最初出てきて、欧米型経済の終焉思想も述べられています。地球のこれからの方向性を欧米の気づいた人たちが立ちあがっているのが分かります。もちろん、100%正しいとは言えません。見ていて日本のニの字も出て来ないなと思っていましたら、最後に日本の合気道の植芝さんが紹介されていて、満足でした。

スライヴ (THRIVE Japanese)
https://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI&feature=youtu.be

☆☆☆

「だまし討ちに気づかない日本人へ!これ以上毟られるのがいやならこれだけは知っておけ!!ふたりだけが知っている超アンダーグランドのしくみ」
ベンジャミン・フルフォード&飛鳥昭雄 著  中古本だと、格安なので買いました。
人工地震と、世界の金融のおかしなことは、この本に述べられています。動画は、流れて行くので留められませんが、本なら理解するまでじっくりと眺められます。
ただ、Aさんの神ごとはスルーしてもいいと思います。協会の方が正しいと思いますので。

友人は、ひつき神示のことを信じているようなので、その後の話をおいおい話そうと思っています。

☆☆☆

それと、昨日のテレビの番組で「和僑」という言葉があるのを知りました。
欧米では、世界に散った人々が何をするかというと、植民地化をし、中国は、一家を大事にし、お金儲けに励みます。
それにひきかえ、日本はやっぱり素晴らしいと思うのは、現地の人と仲良くし、現地の貧しい人々が豊な生活を送れるように教育をし、起業し、尊敬されているのです。
日本での閉塞感は、何のために勉強するのかわからなくなっている若者が、タイとかへ出向き、教育することで、よりよい職につけることができ、豊かで幸せに暮らせるように現地の人を助けて生き甲斐を見出すキッカケになるのかも知れないと思いました。

☆☆☆

理不尽な震災を被った人々にも、地球全体で見ると、救いがあることがわかりました。

ディグラム性格診断という、波形のデータベースがあって、その本の巻末にこんなことが書いてありました。
――――――――――――――――以下引用
震災前までのデータに蔓延していた、どこかなげやりな「あきらめムード」はいっそうされ、2011年夏のデータには「団結しなきゃ!」「明るくしていかなきゃ!」という強い思いがあふれていたんです、波形でも、思いやりの「NP」や空気をよむ力の「AC」の数値が格段に増えていました。
2020年の東京五輪が決まった今も、また違う結果が見られるはずです。
―――――――――――――「ディグラム性格診断」木原誠太郎著より

まあ、机上の空論ではあるけれども最近の報告まで…。
ついでに、ベランダのバラが冬中枯れないで花を咲かせました。

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