本のリクエスト

この前、本屋に旦那が行くというので、ついでに立ち読みしていますと、わたしの目をくぎ付けにしたのが『毒になる親』という小さな本でした。
手に取って裏を見ると、22刷発行。かなり売れているのでそれだけ需要があるということです。平たく言えば、親によって傷つけられたのは、事実だから、それを肯定しなさい。 
ということに尽きるのです。まだ、最後まで読んでいませんが。

その事実を歪曲して、親には恩があるからとなかったことにすると、自分の感覚を否定しなければなりません。自分の軸が違ってくるのです。
こんな冬のガラス越しに太陽の日ざしがポカポカと入ってきて平和な日々のなかで、本を読んで、怒りがぶり返してくれば、「そら、当然、当然、誰でも怒るよ」と自分の感情を肯定してやるのです。

自分の怒りを悪だと思い、止めるから残るのです。
もう、出るにまかせることにしました。それを客観視する。※もちろん人に八つ当たりすることではありません。
自分の芯が信じられなければ、まわりの反応を気にしすぎ、自意識過剰は、ウツのもととなります。
自分を主軸に置いて、まわりは脇役にして、その代わり、自分の悪さもちゃんと認めること。というスタンスに慣れることにしました。
穏やかな日常に「天国」を感じます。
人を助けるには、余裕が生まれてからにします。

そして、介護のことでも、義母は『鶏の蒲焼』がとっても大好きなのに気がつきました。
別皿に、おかずを盛っても箸をつけないので、「せっかく作ったのに食べてくれない」と一喜一憂するのはやめて、てんこ盛りの丼にすることで、それを食べることで良しとすることにしました。

ケアマネージャーも自分のところのサービスは使わないと知ると、前ほど、熱心ではなくなり、あっさりと帰って行きます。便も毎日、バナナやヨーグルト、乳酸飲料、フルーツせりーを食べることによって、結構、頻繁に出ていることに気がつきました。

「お風呂は一カ月に何回くらい?」
正直なところ、一か月に二回がやっとです。本人が「いや」がる時もありますので…。
「便は何日に一回ぐらい?」
ケアマネージャーに、なぜか叱られている気分になります。
施設のサービスを利用すると、ある種の強迫観念にとらわれることもありますので気にしない方がいいです。
歩行訓練士が来ても、トイレまでの距離を歩かせて、血圧と、脈拍を二回記録して、話し込む感じです。
「このベッドじゃあ、硬いし、手すりがないから」とパンフレットを見せて、「リースもありますよ」と、勧められたり。
「でも、施設を利用していた時、施設のベッドでも、床ずれができていましたから」
「このままやってても良くならない」というので断りました。
素人から見ても、分かる程度の答えしか返ってきませんし、プロならそれをうわm熱心さが欲しいと思いました。
厚く盛り上がった足の爪も、切ってくれないで私が切りましたし、これは勇気がいります。
マッサージ師を読んで、オイルと塗布する表をあげましたが、反応はありませんでした。
毎回、義母が嫌がっていましたが、(保険を利用すると一時間三百円でしてくれます)
三十分の約束でしたが、だんだんおざなりになって短くなって行くので、ついに、断りました。

義母は、トイレへはテーブルや椅子などを伝え歩きで、自力でなんとかしてますから、できないことだけ補助をするスタイルで落ち着きました。
「家がいい」
「施設はいや」
あいかわらず、レイターに「施設にやるぞ」と脅迫されていて、
「行くもんか!」
「妥協するもんか!」
「回答費ゼロ!(施設使用料らしい)」
とそれに返事をして戦っていますが、以前より夜も静かになりました。

マザコン気味?の旦那は、義母に頬ずりしながら、「世界一の母ちゃんお休みなさい!」と言っており、ご飯を食べないときは「食え!」と怒り、「食うわ!」と返事しておりますが、わたしには、そういうマネはできません。

私が中学時代、私の顔に三センチぐらいに母が顔を近づけて来て、「鼻が臭いよ! もしも恋人ができて、キスしようとして、鼻が臭かったらいっぺんで嫌われるよ」と言い続けた顔のイメージが未だ間近に感じられます。愛よりも、うっとうしさが先にきます。だからか、私も義母もあまりベタベタされることを好みません。ちょうどいい距離感だと思います」

そうそう、お題は本のリクエストでした。

ドラえもんの作者、藤子・F・不二雄、藤本弘先生のことをテレビで紹介されていました。
あれだけ世界に人気があるので、いいマンガには違いないでしょう。でもわたしにはしっくりこなかった作品です。(おせっかいなお母さんのような気がしていて)
藤本さんは、極度のイジメられっ子だったそうで、助けてくれる人がいればいいなという発想でドラえもんが生まれたらしいのです。
そして、「魔法のつえ」というジョン・バッカン著の古典が、バイブルだとうかがいました。

それを、図書館でリクエストしたのです。

図書館では、復刻番をわざわざ買ってくれたらしいのですが、さっそく届いたのを借りて読むと、イギリス人ゆえ、南方の島の住人を野蛮人と決めつける差別発言はあるものの、賢くて、心優しい少年が主人公の活躍する、素敵な物語でした。そして、増上慢をいましめることも書かれています。
こんな子供の心を育むような物語、最近ないなと思いました。
今は、児童書の新刊として、棚に並んでいます。ほんとの良書です。

それと、もう一冊。わたしが二〇代の頃、読んで、好きだった本です。悲しくも友人に貸して、それっきり消えた本です。(彼女は、読んだ本は捨てる主義だったのを後で知りました)
そして、長い間、古本屋にも、図書館にもどこを探してもなかった本です。
それも、ついでにというか、まさか出てこないだろうとタカをくくって出したリクエストに、図書館から届いたという連絡があったのです。
内心すごくびっくりしながら、抑え気味に「参ります!」と、弾んで答えました。
それが、12月1日。30年ぶりの感動の再開とでもいえるでしょう。
奇しくも私の一番うれしい誕生日プレゼントになりました。
表紙のイラストも覚えていませんし、ストーリーもほぼ忘れていました。
ただ、「真実を書きなさい」というメッセージがあったようななかったようなことだけは覚えていました。青い洞窟の中に老人と会話している男性のシーンをイラストにしたことがあったからです。その絵もどっかへ消えています。私が捨てたのでしょう。

そして、再版はされなかった理由もわかる気がしました。
やはり、民族的な差別発言はあるものの、複雑な漢字(細かすぎて虫眼鏡を使い、IMEパッドを使わないと読めないほどで、昔の私は平気でそれとなく読んでいたのでしょう)、古い言葉の名調子的な言い回し、博学さ、発想の豊さ、こんな作家はもういないと感じました。
二か所、文字が横倒しになっているのを発見しました。今は、これはあり得ません。
しばらくは、感動に浸りながらこの本の持てる期限までを過ごしています。

そしてNHKアーカイブで司馬遼太郎さんのことが紹介されていました。
出版社からしきりに書くように勧められていた「ノモウハン事変」のことで、山ほどの資料を集めています。
「これを書いたら死んじゃう」と生前、言っていたらしいです。
軍が民をどのように扱ったかのメモのようなものでしょうか?
司馬さんは、20代の頃、「日本人はなんでこんなにバカになったのか?」と思っていたそうです。日本が滅びなかったのは、昔の日本人がとても優秀だったから…。だから歴史を調べるようになったらしいです。

わたしも30年前のタイムカプセルに再会して、こう思いました。
これはもう、ある種の古文書です。
現代は、漢字も簡素化され、名調子の言い回しも聞けなくなった。

現代人は、言葉を議論して闘うことはしても、コミュニケーションとしてのしゃべる言葉が下手になっているんじゃないかって感じたのです。
夫婦ですら、相手の言葉が通じず、理解できなくなっている、いわゆる痴呆という現象かも知れない、と。私は対話としての喋る言葉がずいぶんと下手になったなぁと自分でも思います。

最近、『日本はいいな的』な番組が多いのだけれど、やればやるほど、何かを誤魔化されている気もするのです。
日本において個人で豪邸を建てられるのは、外資系企業で働く在日欧米人であること。
こんなに一生懸命働いても、信じられないほど使い勝手の悪い家のリフォームや、小さな家すら建てられない日本人のイメージと対照的でした。
なぜ?

1 thoughts on “本のリクエスト

  1. pekapeka 投稿作成者

    これもまた、図書館で見つけたのだが、
    サンドラブロックの『ヤァヤァ・シスターズの聖なる秘密』
    母と娘のバトルが面白く、やがて知り、理解して、和解する。
    通じ合わないのなら、真正面から気持ちをぶつけてみるというのも手だと思う。

    『毒になる親』という本の後半に、自分の気持ちを手紙にして書いてみるというのがあって、実行してみた。返事は、…なし。
    同じ家の別棟に(あっちが本家)、私より一つ年上の従姉がいて、私の幼い時は、こうだったという手紙を書いたら、そんなことがあったの全く気が付かなかったと驚いていた。
    そして、自尊心の低さが改善されたと思っている。

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