11月24日
新幹線の窓から
富士山をみた
とても天気のいい日で
雲ひとつなかった
雲の全くかかってない富士山は
あまり見れた記憶がない
でーーーーーーーんと
富士山が姿を見せてくれた
車内でおばちゃんたちが騒ぎだし
写真をぱしゃぱしゃと
撮りはじめた
だいたい撮り終わると
何事もなかったかのように
隣のおばちゃん同士
またペチャクチャしゃべりだした
富士山て 大多数の人にとっては
こういう扱いだなあ
と想った
富士山を
ぼーーーーーと
眺めていたら
わたしのことは
もう ほおっておいて
じゆうになりたい
もう 構わないでほしい
そんな想いが
伝わってきた
キリキリ怒っているでもなく
どこか
疲れてさみしげな様子
小さな女の子でもなく
大人の女性でもない 雰囲気
切なくなった
あんなに悠々と
そこに存在しているのに
さみしそうだった
かわいそうだった
そうだね
もう少しまっててね
なぜかわからないけど
そう答えた
富士山は
生まれ変わりたいのかな
ちいさなちいさな
ベビーなお山になりたいのかな
富士山の意志と
相反する想いの人は
あまり登らないほうが
いいと想う
そっとしておいてあげてほしい
そう想ったよ
そしてね
もう年が明けたような
体感がある
でもほんとの新年は
冬至の日
なんだよね
楽しみだなあ
グレゴリオ暦には
騙されないよ
ほんとの暦
わたしたちは忘れてないよ
富士山がもっと
小さなお山になったら
登ってみようかなあ
あんなに重いリュックしょって
あんなに高いとこ登れないよ
みんなすごいなあ
こたつに入って
寝正月気分
あああ
ガガちゃん
いい声してるなあ
内臓に響いてくる声
日本語で歌えばいいのに
もっと響くのに
やっぱり声は
骨から
響いてくるんだ
その人の声が好き 嫌い
は
その人の骨が好き 嫌い
とおなじ
骨まで愛せるか愛せないか
は
声と
おとで
わかってしまうんだね
新幹線の
おばちゃんたちの声
みみざわりだったな
富士山の
おとは
かわいらしかったよ